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水鏡の向こう側

 

 豪雨が山間の温泉街を襲った翌日、私は大きな水溜まりの前で感嘆の声をあげた。

 剥げたオレンジ色の屋根の喫茶店は、前に大きな窪地があり、大雨が降ると、いつも直径が何メートルもの大きな水溜まりができる。

 空を見上げると綿あめのような高積雲。それは、水溜まりが作る水鏡に映り込み、店の屋根と仲良く並んで、退屈な街の景観を補ってくれる。水がそよ風に揺れ、微かに歪んだ雲と、その空とは異なる色彩は、私を虜にする。

 水鏡にレンズを向け、一眼レフのファインダーを覗いている私には、灼熱の太陽に汗が浮き出ても気にすることはなかった。


 飛行機のエンジン音が遠くに聞こえ、緊張した。十三時三十分。岡山空港を出た札幌行きの便が通る時刻だ。シャッターに指をかけたまま、その時を待ち続けた。
 頭上を切り裂くようなエンジン音が貫いた。水に映る飛行機の小さな影。連射モードでシャッターを切った。

 突然、レンズ越しに、二本の脚とその間の白い布が見えた。

 驚いてファインダーから目を離すと、少女が一人、水溜まりの真ん中に立っていた。波紋が広がり、鏡は只の水の塊に戻る。
「おじさん、私のパンツ撮ったでしょ、いやらしい」
 胸元が開いた白いブラウスと、チェックのスカート姿だった。
「いや、空の飛行機を撮ってたら、君が……」
 私はあたふたして、少女を見つめた。短い茶髪が丸顔を包んでいた。細い目と涙袋があどけなさを残し、腫れぼったい唇が人懐こそうだった。

「罰として、私にハンバーグをご馳走しなさい」
 観念した私は、目の前の喫茶店へと案内した。

「この辺の子じゃないよね?」
「あの飛行機に乗っていたの」
 少女は細い目を糸のようにして笑った。
「おじさんは、どうして水溜まりを撮っていたの?」
 私はカメラの保存画像を見せながら、間接的に見えるものの美しさを力説する。

  少女と話していると、親子連れの家族がやって来た。子どもはずっと泣いている。さらにスーツを着て、疲れた顔で体を引き摺るように歩くサラリーマン風の男、「災難だったね」と、お互いを切ない微笑みで慰め合うカップルが次々と来店し、店の外には行列ができていた。


 「おい、大丈夫か?」
 体を揺さぶられて気がつくと、目の前には、喫茶店のマスターが心配そうにしていた。
「すみません。いつの間に眠って……」
 そう言おうとして、咳き込み、水を何度も吐き出した。体もずぶ濡れになっていた。
「あんた、水溜まりの上で倒れたんだよ」
「熱中症じゃないか? 店で休んでいけ」
「あの、一緒にいた女の子は?」
「何言ってんだよ。店の中からずっとあんたを見てたけど、一人だったよ」 
 私は、首を傾げながら立ち上がり、店の中で休ませてもらうことにした。

 店は客がいなかった。カウンターの上にはテレビが無音で点いていて、画面にはテロップが映し出されていた。

  岡山発、札幌行きの飛行機が行方不明、墜落か? 

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~~編集後記~~
こんにちは、吉村うにうにです。この度夏ピリカに参加させて頂きました。表紙の画像は歌菜さんのフォトギャラリーから頂きました。ありがとうございます。
鏡のテーマ、難しかったです。夏っぽい感じにしてみました。読んで頂けると幸いです。

企画して下さり、ありがとうございます。執筆のきっかけになります。

     

 

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