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何をしても嫌われるあなたへ、何をしても嫌われる私より

ありのままの自分で愛されるなんて、嘘だ。
私は中学に入って半年も経たずにそう思い知らされた。

目立ちたがり屋で人前に出るのが好き。
思ったことははっきり言うし、喜怒哀楽が激しくて好きな人はすぐにバレちゃう。(で、避けられるまでがセット…泣)

休み時間は男子に混ざって鬼ごっこをしているか、本を読んでいる。
仲良しの友達がいるクラスに入り浸って、よくそのクラスの担任から「お前はここのクラスちゃうやろ!」と摘まみ出されていた。
とにかく勝気で、時に男子と殴り合いの喧嘩をすることもあった。

勉強なんてしなくても100点は当たり前。(この時はね!)
好奇心旺盛で授業を聞くのも大好きだったし、よく職員室(どころか校長室)に遊びに行って、先生にかわいがってもらっていた。

立候補して生徒会長になった。
有志者を募って演劇のグループを立ち上げ、主役を張った。
卒業式や音楽発表会ではピアノの伴奏を任された。

小学生の頃を思い出すと頭を抱えたくなるような黒歴史ばかりだが、言わばこれが”私の原液”だ。
こんなんだったから、中学の入学式でも”新入生代表の言葉”をやらされ、初っ端から大注目を浴びてしまった。

ピカピカの制服に着られて、誰もが俯き加減で着席していた教室。私は窓際の席だった。
出席番号が前後になった子に声を掛ける。人見知りはしないので、第一印象だけはいい。
つまり、あとは下り坂ってわけだ。

その頃はスクールカーストという概念はまだなかったと思うが、たまたま席が近かった子は、後にスクールカースト上位になった。

でもカースト上位特有の習性なのかどうかは知らないが、やつらは授業中に騒ぐし、休憩時間の度に連れションをする。
私はそれが嫌だった。
授業の妨害なんてもってのほかだったし、なんでわざわざ汚いところで話をせねばならんのや…と疑問に思っていたからだ。

そうこうしているうちに、私の周りからだんだんと人がいなくなった。
班別行動やペアを作るといつも余るから、先生が勝手に決めてくれたら楽なのに…とずっと思っていた。

そんなテンションで迎えた修学旅行で生理になって、たまたま同じ日に重なった子と一緒に2人だけでシャワーを浴びた。
今まで話したことがなかったその子とは、文字通り裸の付き合いをして以来、未だにとても仲がいい。


本格的なイジメがいつ始まったのかは、明確にはわからない。
授業中に消しゴムが飛んでくるようになったけど、当たったのはたまたまかもしれないし。
それに、まさか自分がそんな対象になるとは思っていなかったからだ。

だが、これ見よがしに私の悪口が書かれたメモがポイ捨てされているのを見て、さすがに胃が凍っていくような気持ちになった。

あぁ、私はきっと何かを間違えた…

気づいた時には既に遅く、クラスのほぼ全員が敵に回っていた。
誰ももう表立っては私と口を聞いてくれなかった。

リコーダーがチョークまみれになり、体操着がカッターで切られていた。
頑張って仕上げた作品や上履きには無数の画鋲が刺さっていた。
毎日1人で教室の掃除をしていた。
さすがに心が折れて保健室に逃げ込み、再び教室に帰ると糊まみれになった机が私を待っていた。

陰湿だ…文句があるなら面と向かってかかって来いや。
男子と殴り合ってた頃が懐かしかった。

主犯格はわかっていた。
ボスは女子で、彼女に逆らえない男子が遊び半分でグルになっていたようだから、やり方が女々しいことこの上ない。

残念ながらそのボスが部活まで同じだったせいで、部活でも孤立してしまった。
(合唱部なのに。誰と声を合わせろっちゅーねん…笑)

でも私は不登校にはならなかった。
ここで学校に行かなくなったら”負け”な気がしたからだ。
いや、なんで私はなんも悪いことしてへんのにこっちが学校行けなくなるん?!おかしいやろ!!と謎の負けん気を発揮して、ほぼ毎日学校に通っていた。
(今思えば逃げときゃよかった!笑)

学年の先生には恵まれていた。
あまりにもクラスが荒れているときは、普通だったら卒業まで入ることのないであろう来賓用の別室に避難させてくれた。
授業の合間に、入れ替わり立ち替わりで様子を見に来てくれた。

イジメられていたからかどうかは知らないが、私は普通の中学生活よりも随分得難い経験をさせていただいたと思う。
それがますますイジメを長引かせる要因だったとも言えるが、優等生を演じて先生に好かれ、成績は授業態度で取ったようなもんで、実際の学力よりもかなり上乗せされた”成績泥棒”だったし、高校も面接だけで希望校に入れた。
とても感謝している。


もちろん親にも隠し事はナシだと思っていたから、イジメのことも話していた。
でも心配性の母は世間体を気にして、娘が目立つことをよしとは思わなかったようだ。

夏休みの宿題を溜めまくり、8月31日に半泣きしながらやっつけで書いた意見文が学年でただ1人、作文コンクールに入賞したときも、合唱部で先輩たちに混ざって重唱メンバーに選抜されたときも、国語の古文の暗唱テストでトップの成績を取って授業中に先生に褒め千切られたときも、学年主任に呼び出しを喰らって(スカートが短かったか…?)とビビってたら、市の中学校全体が集う式典の司会に指名されたときも、母に報告すると第一声が「大丈夫か?あんた、またイジメられへんか?」だった。

まぁ、今となっては母の気持ちがわからんでもない。
でも私は一緒に喜んでほしかったのだ。どちらにせよ、既にイジメられているわけだし。
そこからすれ違い始めて、親とは必ずしも子供の良き理解者というわけではないことに気がづいた。
私はあまり家族に自分の話をしなくなった。

事が大きくなってしまい、保護者やPTAまで心配をしてくれていたお陰で裏の力が働き、私は裸の付き合いをした唯一の味方と3年間一緒のクラスでいられた。
やさしく気づかってくれる保護者に対して「私、あなたの息子にイジメられているんですけど…?」という言葉を何度も飲み込んだ。
息子を妄信しているのがあまりにも滑稽だった。


集団生活を叩き込まれる学生時代に”みんなと馴染めない”のは致命的だ。
いくら根本が目立ちたがり屋だからって、狙っていないところで悪目立ちするのは苦痛だった。
運動神経が皆無で鈍くさいせいで、体育の授業はただの羞恥プレイだった。
団体スポーツをやれば私がいるグループは絶対に負けてしまうし、本気でやっているのに、あまりにも下手くそすぎてわざとだと思われてしまう。
その腹いせか、ドッヂボールなんてここぞとばかりに標的にされるのでめちゃめちゃ怖かった。

同じ制服を着て同じことをやってるはずなのに、なぜ?
私が目立つのは私のせいか?!とずっと自問してきた。
何をやっても嫌われるからだ。

そして、今はもう取り返しはつかないけど高校では同じ過ちはすまいと心に誓った。
幸いクラスも変わって受験生にもなると、みんな自分のことに精一杯で人をイジメている暇などなくなり、だいぶマシになった。

それからというもの、私は死に物狂いで”共感力”を身に着け、人の表情を読んで、ある程度相手が望むキャラを演じるようになった。

人見知りをしないのをいいことに、最初にいろんな人と友達になっておけば何人かは残ってくれるだろう。
おバカなふりをしてイジられるのは一番楽だ。
陰口を言いたがる子には、その子よりもキツい毒を吐いてやれば大いに喜ばれる。
孤立しているオタクは、本当は饒舌だ。根気よく話を聞いてあげれば心を開いてくれるし、どこにも属さない余り物同士でペアも組める。

お陰でだいぶ高校は平和だった。
(本当はそんなことをしなくても、基本みんないい子たちだったのだが)
奇遇にも、裸の付き合いをした友達も同じ高校に進学した。

なんやかんやあって楽しかった高校を卒業すると、私は変人の溜まり場である音大に入学した。
そこでやっと私は自分が”普通”だと思えるようになった。
変であることがステータスだったし、みんな音楽が大好きで自信満々に振舞っている子たちばかりだ。
それに比べて私は歌もさほど上手くなかったし、音楽に対しての熱量も全然足りない。
奇行に走ったりしないし、”雨の日の1限の必修は休む”というマイルールのせいで単位を落としたりしない。
なんというか、初めて周りに”埋もれる”体験ができた気がした。

ただ正確に言うと、中学以降はイジメはなかったというだけで、相変わらず話したこともない子に嫌われるという謎現象は起きていた。
(せめて話してから嫌ってくれや…!)
今やマブダチとも言える子にすら、「最初は全然いい印象がなかったんだよね」と言われる始末だ。

もはや”人に嫌われる”のが身内ネタになっている節がある。
私なんて霞むくらい変人だらけの大学ですら、「陰でボロクソに言われているから気をつけた方がいいよ」と、わざわざ告げ口をしてくれる子がいたのだから。
その理由がどうやら”男友達が多いから”だったらしく、あまりにも幼稚すぎて「そんなにいいなら全部くれてやるよって言っといて」と、ヴィランズよろしく鼻で笑ってしまった。


私が目立つのは私のせいか?私が嫌われるのは私のせいか?
ずっとずっとずっとずっとずっと悩んで、悩みすぎて考えるのを諦めて、自虐ネタにして笑いを取ってはその度に傷ついて…の無限ループだった。



「あぁ、それは嫉妬だね」
ある日サラッとそう言われて、目から鱗が落ちた。
たった一言だけなのに、物凄く衝撃的だったのを覚えている。

嫉妬が厄介な感情だということは、私も痛いほど知っていた。
何故って私はいつだって嫉妬する側だったからだ。
あの子はいいな、かわいくて。
あの子はいいな、歌が上手くて。
あの子はいいな、お金持ちで。
あの子はいいな、モテモテで。
あの子はいいな、おっぱいが大きくて。
いいないいないいないいないいな…!!!
どうして私は何も持っていないんだろう?と惨めになって、自分のことが大嫌いになる、あの感情。

こんなに何もなくて嫌われる私に嫉妬してる人など、いるわけがないのに。

それでも、
「嫌味を言われたら「あぁ…あの人、私のことが羨ましいのね」と撥ね退ければいい」
「嫉妬されるくらいになりなさい」
というアドバイスは、すんなりと心に入ってきた。


嫉妬、だったのか…私が悪いわけじゃなかったんだ。
本当にそうなのかは誰もわからないけど、それを知ったとき、私はそんなしょーもないことに振り回されていたのかといい意味で拍子抜けした。

「嫉妬されるくらいになりなさい」という言葉が救ってくれるのは、私だけじゃないはずだ。
”やりたいことをやりたいと言えない”、”目立つと叩かれる”、そんなクソくらえな同調圧力の強い日本で、それでも「好き勝手に生きたい!」と藻掻くすべての同志よ、どうか心に刻み付けておいてほしい。


何をしても嫌われるあなたへ

あなたは嫌われているんじゃない。
あなたのことが羨ましくてまぶしくってどうしようもなくて、意地悪しちゃう人はいるかもしれないけど。
嫉妬されるくらいに、あなたは誰かにとって魅力的な存在なんだよ。
だから堂々と胸を張って、笑顔と余裕を振り撒いていればいい。

出る杭がせめて、打たれたことを誇りに思えますように。

何をしても嫌われる私より



#いじめ #嫉妬 #エッセイ #生き方  


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