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12/2 金沢市民芸術村のうらあやか個展に行った

  本格的に冬になって意気消沈しています、お元気ですか、私は虚無です。だって金沢雨ばっかだもん。

 本日の記事金沢市民芸術村で開催されていた、「うらあやか個展 貝の/化石が/跡を残して/化石の/雌型/となった/身体」という展覧会を見にいき、ワークショップに参加したの感想です。

・展覧会の概要

  本展覧会は11月17日から30日にかけて金沢市民芸術村のアート工房で開催されていた展覧会でございます。

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 2枚の画像は展覧会のポスターとして入場の際いただいたのですが、裏はこんな感じでリバーシブルになっています。

 企画はあの宮崎君という事で、polaris展などの記事でもちょくちょく登場しております。
 最近個人的にエンカウントしやすい人物であり、彼の関心にも興味があったのでそれに迫れるいい機会でした。

 展覧会の情報は宮崎君のTwitterで知ったのですが、美術手帳にも記事になっていたりします。

 こちら、美術手帳さんの記事ですが作家さんの経歴が簡潔にまとめられていて、展覧会を見た後や作家を知ったばかりの身としてはとても有益な記事でございます。

・展示の内容

 アート工房自体が結構面白い空間なのですが、入るとまず、パフォーマンスの内容が書かれた紙を手渡されました。
 どんな展覧会だったかというと美術手帳さんの記事に書いてあった文章を引用しました。

 会場にはそれぞれのパフォーマンス作品の「レコード」としての粘土作品とメモを展示。常駐する2人のパフォーマーによって、レコード(記録)された指示がその身体を通して再生される。そこではうらが過去に行ったパフォーマンス内容と必ずズレが生じ、また、行為を抽象化した指示書によって2人のパフォーマーのあいだでも解釈の齟齬が生じることだろう。

 展覧会会場では、パフォーマンスの展示、上演が行われているそうで、常駐する2人のパフォーマーが常に行為しているという事で。
 私が行ったときは、ワークショップ直前でその準備という事でその様子は見れなかったのですが、会場内のいたるところにその行為の痕跡と言いますか。
 いろいろとモノが転がっている様子が観察できました。
 普通にアート工房の高低差があり広々としたフィールドと相まってとても気持ちいい空間だったなと思います。

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 お!これは、「おどる墓石2」というパフォーマンスの痕跡ですね。
 ちぎれたミミズ、筒のような身体ということで。
 手順の内容は
1.寝転がり足の裏を壁につけるようにする。
2.体のパーツを球と円柱でパーツ分けする描画法の話をされ、人間の肉体は臓器などの集合=筒の集まりだという話をされる。
3.鳩の歩き方のスロー映像を見て、それを参考に視点を固定して立ち上がる。
4.ミミズが自分の体をねじ切る動画を見て、ちぎれた半身のどちらも動くのを見て、どちらに仏性があるのかという禅問答が紹介される。
5.靴下を片方脱ぐ
6.床に置いてある粘土をゆっくり踏み、1で寝転がっていた場所に戻る。
7.1~6を繰り返す。
8.足の裏の粘土をふき取り、魂の形についてディスカッションをする。
9.解散

 という事で、実際やっている様子は見ていないのですが、していることを上げると謎ですね。
 結果として残った痕跡だけ見ると、こんな工程があったとなると奇妙というか、いかなる名探偵でもトリックが見破れませんね。

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 これは「バナナミーツテーション」の痕跡ですね。
 人房のバナナを分け合い、お互いが目配せしながら食べるというパフォーマンスの痕跡です。
 バナナは多くの作品において登場し、安価でありながら象徴的な役割を担っています。
 テキストには松尾芭蕉の「芭蕉」や能の演目「芭蕉」などが取り上げてあり、人間とDNAが50%ほど一致しているなどバナナ雑学に言及されています。
 ちなみにバナナは種がないので、生産のため同じ株を複製していて、みんなクローンみたいなものらしいので、感染症が発生すると全部だめになるリスクがあるらしいです。
 熱帯では食用としては「プランテン」という甘くない調理用バナナがあり、日常的に食べるお米のような立場を担っていて、私たちは食事をすることを「ごはん」といいますが、それを向こうでは現地の言葉で「バナナ」っていうみたいです。
 それにしても、これは展覧会です、作品です、という順序がない人からしたらゴミに見えてしまいますね。

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 そういった様子で、会場にはそこかしこにそういった、パフォーマンスの結果というか痕跡が配置してあります。
 指示書の内容もそうですが、ディスカッションや詩の朗読など、言語による交通に重点を置いたリレーショナルアートなんだというざっくりな解釈で見てました。

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 フェルトですね、個人的にはヨーゼフボイスを思い出しました。
 逸話というか神話のように語られる戦争の生存体験でフェルトが登場して、実物を見たことがなかったので、お!こんな感じなんだ。
 っていう気持ちでしたね。

・ワークショップ

 ということで今回はワークショップがあるという事で何をやらされるのか全く分からないままに、会場へ来たわけです。

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 時間になると、写真の中心に作家のうらあやかさんが登場し、何やらお話を始めます。
 なんやろなぁってかんじで、適当に聞いてました。
 作家はプレゼンのように伝えるような明確な口調ではなく、ささやくように言葉を連ねるといった感じで、まぁBGM的な感じで聞いてました。
 誠実さ0%ですね。
 私は性格が悪いのです。

 耳に刺さるような内容がなかったのですが、後半に「ではこれから金沢駅にみんなで歩いていきましょう」という命令だけはズバッと入ってきました。

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 その後他の参加者含め、会場内にいたすべての人が移動し始めて本当なんだ...と思いました。

 少し寒い程度で気持ちの良い夜の金沢を散歩するのも吝かではないということで、市民芸術村から金沢駅までの集団散歩が始まりました。

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 これは、散歩中に見つけたブランコしかない公園です。

 散歩に関しての指示は特にありませんでした(聞いてなかっただけかもしれない)。
 他の参加者含め周りの人は社会的に、移動の間を持たせるために会話をしている様子でしたが、私は歩くことに集中していたので無言で歩きました。
 歩いたことがない道だったので見えるものが新鮮でそれに集中したかったのです。
 社交性がないだけですね、はい。

 金沢駅に着くと、今度は駅構内の西口から東口まで、往来する人の顔を眺めながらゆっくりと歩いてくださいと指示がありました。

 指示は受け入れました。
 実行するかは別問題だよねという事で、トイレに行きたかったので駅のトイレで用を足して、構内のコンビニでコーヒーを買い、集合場所である東口に向かいました。
 コロナのせいで数年ぶりの金沢駅でしたが、駅構内は結構人がたくさんいました。
 指示通りではないですが、普段から暇つぶしに人は見ているので、視線に入る人は見たような気がします。

 東口でいったん集まって、そこで解散、ワークショップ終了です。
 展覧会を見に行くにのに乗ってきた自転車が芸術村にあるので、そこから一人で帰ることにしました。

・感想

 展覧会の内容はリレーショナルアートという事で、言語による指示の基盤があり、会場内にあるものは無意味に近いものが意味を持って存在している。
 指示としてのテクストと痕跡としてモノの過程が存在しないがその両端にあるものだけが提示され私たちには解釈という手段でしかそれにリーチすることができないわけですね。

 雰囲気でレベルですが、そういうモノの良さには同意です。
 こういうのもあってもいいし、正直好きです。

 ワークショップ参加中は意味が分からんけど、たまにはこういう散歩もええなぁという感じで、テキトーに参加していたので、個人的にはリラックスしただけという結果ですが。
 思い返すと、ワークショップだから指示にホイホイ従っていた私は、注文の多い料理店に出てくる、猟師みたいだと思いました。
 あれは最後には落としどころで、オオカミの計画があったわけですが。

 その後、芸術村に戻ってから、喫煙所で作家とお話しする機会がありいろいろと話しました。
 実は、ワークショップの前日に作家本人は一度芸宿に立ち寄っており、私はそうとは知らずに会っていたのです。

 喫煙所コミュニケーションの内容はというと。
 フェルトからヨーゼフボイスの話をして。
 展覧会も、ワークショップの指示というか、テクストを基盤としてまとまりというか構成されているよね~っていう感じの話から。
 言語を基盤として国家という構造が生成されているよねっていう話になり、そこからなぜかメタルギアの話になりました。

 その後また、芸宿で会うことがあり、作家と宮崎君がしゃべっているのに混ざったときは金沢のウマい飯の話をしたりしました。

 本当にうまいものを食べると、食戟のソーマにちなんで「おはだけ」が経験できるらしく、最上級の体験が2万円以内で大体できてしまう食の世界のコスパの良さという話が話題となりました。

 その話のせいで、今は猛烈に「寿司龍」に行きたいので誰か連れてってください、足がありません、おごります。

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