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esports(eスポーツ)バブルが終わったあとに残るもの(約5,500文字)

ゲーム好きな彼と、今度はお酒ではなくお寿司を食べながらしたesportsの話について書きます。前回の 「esports 市場規模」でググってみた にも書いた【esportsは「バブル」でありそのうち終わる】という話を少し掘り下げた感じの内容になります。

現状の振り返り

そもそもバブルって当事者もその自覚がない、なんでこんなに評価が高くなっているのか、期待値が上がっているのか分からないような状態であることがほとんどですよね。会社で急に「esportsについて調べてこいって言われた」とか「所属先でesportsやってみよう、まずは勉強会だ」とか「プロゲーマーって何?」とか、その対象に興味がなかった、ノーマークだった人にまで突如としてそのワードが飛んでくる、波及している状態が(局所的ですが)起きています。これはある意味esportsそのものを推進したい人たちからみたら喜ばしいことですが、一方で前回の繰り返しにもなるように、2018年に約48億円推定とある記事でされていたesports市場規模に対して、

・メガネ(2018):約3,200億円
・腕時計(2018):約8,000億円
・エステ(2017):約3,500億円
・ライブ/エンタメ(2018):約5,000億円
・スポーツ観戦(2018):約7,400億円
(ざっくりなので誤差や記事によっては違いがあるかと思います)

上記の「対象となる顧客が広い業界」に比べてesportsは「世界で1,000億円突破」がニュースになるという状況は依然ニッチであり「CAGRが高いから一時的に投資マネーが集まっている(とりあえずお金はっとけ的な)」という見方をされるのも分かる気がしますよね~的な(とはいえそもそものスケール感をどの規模で描くかにもよりますし、esportsは1兆円以上あるゲーム市場の僅かな1面でしかないという見方をされる方もおりますので一概にこうとは言えませんが)お話を書いたのが前回。

つまりはこれって、ネットバブルみたいなもの凄い何かが来たわけでもなく、(国内esports)市場の80%程度が広告費と言われているゲーム市場の中でも「プレイヤー同士の対戦による競技シーンがあるタイトル」を対象としたそれに「一部から」注目が集まっていて(主に広告費が)そこにお金が流れているだけの状態。という言い方もできるかもしれません。いわゆる「バブル」ではなくて「ブーム」みたいな感じでしょうか。いずれにせよ、関係者にとってチャンスであることに変わりはありませんね。

ゲーム大会とeスポーツ

ところで、単なるゲームの大会(世界大会含めた)であれば、これ自体は何年も前から各パブリッシャー(当時はゲームメーカーって呼んでいる人が多かったと聞きますが)が音頭を取る形でキャラバンなり、全国大会、世界大会が行われてきました。日本人が世界でも活躍している「ストリートファイター」というタイトルも、もともとはアメリカをはじめとした海外各地のプレイヤー側のコミュニティとパブリッシャーが良き形で手を組んでボトムアップ型で醸成されてきた(実際にはパブリッシャー側が旗を振っていたのかもしれませんが周りの方々からは良き関係性をコミュニティと築けていたようだと聞いたことがあります)良い事例ではないでしょうか。日本とは違い海外では参加費も取れますし、賞金も出せます。母数や環境、考え方の違いもありオーガナイザー側も大きな赤字を覚悟して大会を主催するようなケースは稀なのではないでしょうか。

一方日本では、ボトムアップ型とは逆のウォーターフォール型で物事が進んでいる印象を受けます。団体、協会、ライセンス、それぞれの狙いと役割があり、またそこにお金の流れをつくるために大手の広告代理店が入り、加盟した各パブリッシャーとしっかりと手をつないで競技シーンをつくっている最中です。これが本当に何かのスポーツのように何十年、何百年と続くようなものになれば素晴らしいことですが、仕様の異なったゲームタイトルの寄せ集めを「esports」という言葉で括ってそれを達成していくのは課題がまだ多くありそうですね。

これは特定タイトルの話になってしまうかもしれませんが「プレイヤーと共にすぐそこにあった」コミュニティと手をつなぎ、共に歩み、スポンサーを得て成長してきた海外の市場に対し、日本ではどうやら「すぐそこにあった」コミュニティと手をつなぐ、ですとか、好きなもの同士が集まって定期的に実施していた大会にスポンサーがついて、そこにパブリッシャーも乗っかって~のようなボトムアップ型の流れとは違った形(ウォーターフォール型に近い)で市場形成が進んでいるケースが多いように見受けられます(esports用新作タイトルをゴリ推すときは仕方ないんでしょうかね)。そして繰り返しになりますがそれらを推進するためのほとんどのエネルギー源が「広告費」なわけです。

広告費とeスポーツ

ちなみに、この「広告費」って、何に対しての価値なのでしょう。皆さん、考えたことありますか。
(1) 大会やイベントの広告価値換算からのプライシング
(2) そこに集うユーザー属性(+プレイヤーの広告価値)
(3) Esportsというワードそのものへの期待感(お試し込)
TVの場合は視聴率という一つの指標がもともとありますが、ネットでもまた同時接続数なり、エンゲージメントなり、平均視聴時間なり、様々な指標がりますよね。そんな中で、スポンサー側の立場に立った際に(1)であれば、それはもともとゲームパブリッシャーが独自で主催する「ゲームの大会、ゲームのイベント」でも同じ価値が出せるはずなので、仮にesportsバブルが弾けたとしても我々の大好きな「あの場所」は無くなりはしなさそうです。(2)の場合、これは実は日本の市場において「(ざっくり」プロゲーマー」と分類できる母数に対して、相応の広告価値(+自給自足できる継続的な収入の担保)を持っているプレイヤーが少なすぎるため、バブル崩壊とともに「元プロゲーマー」と冠のついたSNSアカウントやYoutubeチャンネルが溢れることになる可能性があります。そして(3)についてはセカンドライフアゲイン。という感じですね。

私は普段から「プロゲーマー」の定義には興味がないし、人それぞれが議論していればそれでよいのでは(何故なら本人たちの人生に圧し掛かるのは肩書ではなく、選択して、稼いで、生きるという現実だから)という立場なのですが、esportsが「単なるゲームの大会ではない」というのであれば、そこに集う「プレイヤー」たちの現実に責任を持っているのって本人たち以外に一体誰なんでしょうか。というのを思うことがあります。
価値がなくなったら(負けたら)それまで、というようなコロッセオで無限に闘い続ける「剣闘士」のような存在なのか。それとも、リアルに存在する純粋な「ヒーロー」なのか。とりわけ(3)をベースにした「ゲームや選手のことが良くわからなくても、今ブームであるesportsそのものにお金を出してもらえばいい」という考え方、発言については、前者の剣闘士の方を思い浮かべてしまいます。そういう関係性ってチーム運営や大会運営していて、長く継続的なエコシステムに繋がっていくんでしょうか。挑戦している感じはあるけど私にとっては少し刹那的かな。とかとか。

フォロワー数百人、数千人のプレイヤーが集まって、試合して、そこにドラマも生まれるし、どんなタイトルでもそれが好きな人たちにとっては、その場所・その時間が最高のものになるのだけれども、でもその話と、その場所に単なるゲーム大会・ゲームイベント以上の価値があるかどうかは全く別の話だと私は思っています。

(A) 広告価値が決してあるとは言えないプレイヤーの集まる大会において、スポンサーが集まっている、大会が継続している場合
・お金の出どころはパブリッシャーで、その額面も全体バジェットに対し自社での捻出(プロモーション兼ねた)割合が多い場合はないでしょうか。
・スポンサーの協賛理由が前述(3)に当てはまる可能性はないでしょうか。
・そこにいるプレイヤーではなくパブリッシャー側の「タイトル」やパブリッシャーそのものとの付き合いに価値や意味合いを感じて協賛が為されている可能性はないでしょうか。

(B) 大会そのものに相対的に多くの同時接続が集まるわけでもなく、冠やどこかに「esports」がついて大会やリーグが継続している場合
・お金の出どころはパブリッシャーで、その額面も全体バジェットに対し自社での捻出(プロモーション兼ねた)割合が多い場合はないでしょうか。
・既にパブリッシャー側と何かしらの取引がある(代理店を介しての取引含)、接点があるスポンサーが協賛についている場合はないでしょうか。
・パブリッシャー側の「タイトル」やパブリッシャーそのものとの付き合いに価値や意味合いを感じて協賛が為されている可能性はないでしょうか。このあたりをサッとチェックしてみると見えてくるものもあるかもしれませんね。

eスポーツ的な「価値」とは

こうしてみると実際は「何か目に見えてものすごく価値があるもの・理由」なんてものは国内のesportsにおいては稀で、そのほとんどは今までプレイヤー側も、パブリッシャー側も当たり前のようにやってきた「ゲームの大会・イベント」の延長でしかなく、単にバブルとともに「esports」というラベルが本来以上の価値を見せているともいえるかもしれません。これってある意味プラスとも取れますね。でも、魔法が解けてしまったときにカボチャの馬車はカボチャに戻ってしまうわけで、それまでの間に現実的な価値との差分を埋めるのか、それとも一人一人の広告価値を全体的に底上げし、収入につながる何かを創り出すのか。何かしらしないといけないことは間違いなさそうです。プレイヤーからしても「ゲームに関わってご飯が食べられる」こと自体は決してマイナスではないでしょうし。

私なんかは少しひねくれている見方をしてしまうところもあるので、なんだかんだでこのバブルの横でスマホ人気タイトルを中心に着実にチャンネル登録者を増やし、ゲームイベントにはエキシビジョンなどで御呼ばれし、ベースを積み上げ、程よくコンシューマタイトルもプレイするYoutubeのゲーム実況者が一番合理的でバブルにうまく乗って崩壊後も生き延びていく人たちである、と思っているんですけどね。
でも実際に一線で活躍してる20代~30代の人たちのお話を伺うと実際のところ「名誉・勝利>賞金・安定収入」な人たちが多い印象も受けます。皆さんいざとなればキチンと現実と折り合いをつけて生きていけるような大人な人が比較的多いようです。かたや心配なのはこれから山を登り始める10代の世代です。登り始めた山(自身が決めたタイトル)は3年後も盛り上がっているか(ナンバリングが変わって環境や規模が変化しないか)、そもそもesportsバブルは続いているか(セカンドライフ状態になっていないか)、自身の信じたタイトルはキチンと寄り添ってくれるパブリッシャーのものか。こんなこと10代で見極めるのなんて相当難しいですし、そもそも好きになるものって気づいたら好きになっていたことがほとんどなのでこのあたりは運なんでしょうけど(私なんて友人の間ではクソゲー好きで有名ですし)。

eスポーツバブルが終わったあとに残るもの

「esportsバブルが終わったあとに残るもの」というのは、実は「バブルがはじまる前からそこにあったもの、多くのプレイヤーと思いが積み重ねてきたもの」なのかな、と私は考えています。
・各タイトルごとの熱量の高いコミュニティ(規模問わず)
・パブリッシャー主導のゲーム大会、ゲームイベント
・コミュニティを代表する強豪プレイヤー、スタープレイヤーたち
・元々そこにあるものに価値を感じてくれていたスポンサー各社

ざっと思いつく限りこんな感じです。今はバブルで、それはいつか終わると言うとなんだかネガティブな感じに捉えてしまいがちですが、決してそんなことはないと思っています。私たちが好きだったもの、好きなものはバブルに関係なく、何かしらの形で続いていくでしょうし、無くなりません(そこにコミュニティがある限りね!)。ゲームが大好きな皆さんの積み重ねてきたものも、バブル崩壊が原因でいきなりなくなったりはしないと思います。
ただ、そのバブルの舞台の上に上がってしまったプレイヤー各位は、自身の収入のベースと現実との折り合いのつけ方を身に着け、そのプレイヤーを抱えたチームや、イベント運営などを担う中間でビジネスをする各社・各位についても変化が訪れることと思います。でもそれについては本来は私含め周りがとやかく心配することではないのかもしれませんね。

どんな人気タイトルでも終わりが来るように、esportsにもブームの終焉は訪れます。市場をつくるためにじっくりと腰を据えるかと思いきや、先進国アメリカの企業でも既にサンクコストの回収を急ぐ声や、スケールさせるための戦略・戦術が難航しているという声も耳にします(日本国内でもね)。その一方で日本人選手の活躍や、国内でもこれだけ盛り上がったよ!的な明るいニュースも目にする機会が多くなりました。祭は終わっても、そこにいた人や思いすべてが消えてなくなるわけではありません。熱量と共に冷静に市場や状況を見つめること。自分たちの好きなものに対し、それぞれの立場で最大限考え、行動すること。まだまだ私たちが自分たちの好きなもののためにできることはあるのではないでしょうか。

というわけでまた、またおいしいものでも食べて気が向いたら次のネタを書いていきます。
そんじゃーね!

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