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0008 B-side 東京の怪異を読む

 0008 A-sideでは東京伝説を取り上げた。B-sideでは、さらに多面的に東京に潜む怪異の姿を取り上げよう。色々な角度から怪異を深掘りできる都市。それが東京である。

1.あらゆる街が怖い東京

東京怖い街研究会『東京の怖い街 23区と市の怖い話』興陽館 2022

 本記事を書こうとしていたら、ちょうどよいタイミングで上梓された。愛葉るび、遠藤マメ、桜木ピコロ、住倉カオス、村田らむ、まにゅ・やまげら、夜馬裕、レイバー佐藤によって構成される東京怖い街研究会が東京23区、市、島から集めた怪談集である。各自の蒐集した怪異譚だけでなく、各章の最後には各区や市の怖い噂として、インターネット上に書き込まれた噂や長く語られる都市伝説的な話がまとめられており、さながら東京の怪異辞典の趣を呈している作品である。分厚いので長くじっくりと楽しめるだろう。
 これを読んで思うことは、東京には安全な場所などない、ということである。あらゆる区市町村そして離島の島々にまで怪異が満ち溢れている。それはどこに住んだとしても怪異から逃れるのは不可能ということであり、誰でも、いつでも、怪異と遭遇する可能性があるということだ。逆に言うと、怪異と遭遇したければ東京に行くとよいということでもある。
 区市ごとに集められている怪異数は違うが、港区の怪談が多いのは意外だった。東京をあまり知らなくとも(私も実際東京には詳しくない)、港区には華やかで高級なイメージを持っている人が多いのではなかろうか。そのような土地は怪異と無縁かと思いきや、事態は全く逆なのである。港区が坂の多い土地であることに関係があるだろうか。煌びやかなイメージとは裏腹に昼間でも暗い場所も実は多いという。某ヒルズ周辺は霊的磁場が狂っているとも言われており、それは有名人の自死や変死にも関係があるのかもしれない。
 著者が多いため、各自のカラーが色濃く出ており、読んでいて飽きない。やたらと物騒で怖い人が登場するなと思っていたらやはり村田氏の記事であったり、友人には絶対したくないような人物の登場する怪異譚だなと思っていたら案の定、夜馬裕氏の記事であったりする。
 注目すべきは島怪談で、最近流行のジャンルなのだけれども、これ本当に実話なのか?と思ってしまうほど、現実離れした風習・邪習が出てきて、興味深い。桜木氏による八丈島の「七人坊主」にまつわる怪異譚は最恐である。今後も島怪談は続々と語られていくだろうが、蒐集に出かけてうっかり自分が当事者にならぬよう注意せねばならない。

2.守られている東京

加門七海『大江戸魔方陣 徳川三百年を護った風水の謎』朝日新聞出版 2020

 最近では色々な書籍や番組で語られているため、人口に膾炙しているが、東京は呪術によって守られた都市である。著者の言葉を引用しておこう。

社寺も道路も鉄道も、すべてが東京を呪術の上で護り、あるいは変容させる闇の顔をもっている。そ知らぬ顔で光の中に立つかのごときビル群の中、数々のオカルティックな仕掛けは今現在も息づいて、この地を強力に守護しているのだ。
 それは千年以上も前から、武蔵野の治世者によって受け継がれてきた、精密で、残酷な呪術システムだ。

前掲書

 加門氏はまず江戸の四神探索から始める。四神とは東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武のことである。これらの霊獣は現実の土地として、それぞれ河川、街道、海や池、山と対応しており、これに基づいて都の位置などが決められていく。天の采配に従って、地上の人や物の配置を決める風水システムの一つである。
 氏はこれまでの四神相応の通説に疑問を持つ。通説の四神相応では江戸の平和が300年以上も保たれるはずがないと思われるからだ。そして、ここから地図とフィールドワークを駆使した氏の四神探しの壮大な旅が始まるのであった。
 氏が発見していく数々の風水の謎。地図上の点と点がつなぎ合わされる時、そこには鮮やかな図形が浮かび上がっていく。西の結界、鬼門ライン、大江戸トライアングル、江戸城縄張り図などなど。氏の膨大な風水学的知識と類い稀なる想像力によって、次々と江戸を守護する隠されたシステムが白日の下に晒されていく。
 通常、呪術と科学は相反するものとして語られがちだが、実際には両者は渾然と分かち難く結びついている。これらはむしろ対立するものとしてではなく、呪術-科学スペクトラムとして捉えるべきものであると私は考える。科学も呪術も私たちの暮らしを豊かに(ときに全く逆の結果を導くことはあるが)するための手段として、古から紡がれ、語り継がれてきたものである。本来両者は同じものであり、人間が勝手にあるときは呪術、あるときは科学とレッテルを貼っているに過ぎない。おそらくは、どちらも私たちが漠然と感じる直感のようなものを、掘り下げた結果、理論として得られたものなのだ。この著作で見出された図形は、決して個人の思い込みや独我的な結論などではない。
 加門氏の著作を読んでいると、現代の科学寄りの思考では決して感じることのできない、原始の直感を呼び覚まされるような不思議な感覚を味わうことができる。これ1冊でも十分面白いが、本書は本来『東京魔方陣』との姉妹編である。読み終えたら、後編として『東京魔方陣』に進むことを強く薦める。

3.文学の中の東京

村上春樹『東京奇譚集』新潮社 2005

 日本を代表する作家、村上春樹氏の描く、都会の片隅で迷い込む奇妙な世界の話。短編集であるが、どれも怪談という視点から見て非常に興味深い作品ばかりである。村上氏はいつもオカルトには興味がないと言っているにもかかわらず、彼の描く作品からは常にオカルト臭が漂う。実際に、彼自身は強力なオカルト吸収装置としての資質を備えていると思われてならない。だが、それを作品として世に解き放ち、一種の自己治癒やカタルシスとして機能するために、オカルトに対するこだわりが全く無くなってしまうのかもしれない。つまり、村上春樹は生まれながらの怪談蒐集家なのだ。
 人生の中ではあり得ない偶然というのがしばしば起きる。しかし、実は奇跡のような偶然は多分日々量産されているのだろう。誰もが奇跡を感じながら生きている。「偶然の旅人」は、そんなあり得ない偶然を描いた小品。だが、ここに苦悩と癒しを絡めてくる手法が村上春樹らしい。静謐な感動がある。
 「ハナレイ・ベイ」は鮫にサーファーの子供を咬み殺された日本人マムの話。彼女は最愛の息子の影を追い求め、毎年ハナレイの町へやってくる。ある年、日本人の若者二人組との偶然の出会いが彼女にもたらした不思議。ある怪異がそれを切望する人の元に現れず、別の人間の元に現れるというのは切ない。だが、それはひっそりと傍で優しく見守っているのかもしれない。
 「どこであれそれが見つかりそうな場所で」は、まるで実話怪談師が体験者に取材をしているかのような場面から始まる。そして、その後は入念な現地調査。怪談好きにはたまらない構成である。24階と26階の間の階段で忽然と消えた男。それを探し出す「怪異専門の探偵」が階段で出会う不思議な人々。怪談を探すのも、きっとこういうことなのだろう。ドアだか、雨傘だか、ドーナッツだか、象の形をしたものを探し求めるということなのだ。
 「日々移動する腎臓の形をした石」は、男が生涯で出会う「三人の女」について考えを巡らせる売れない作家の話である。彼はある日、謎めいた女キリエと出会い、彼女との仲を深めていく。村上文学の真骨頂はキレのある会話にあると思うが、それが遺憾無く発揮されている一編。この世に存在するものはすべて意思を持つ。だから腎臓の形をした石は日々動くのだ。そして、それは聞く者によっては怪談となるし、苦い愛の物語にもなる。
 「品川猿」は名前を盗む不思議な猿とその猿から名前を盗まれた女性の話である。なぜ猿なのか。おそらくそれは「見猿、聞か猿、言わ猿」から来ているのではないかと私は睨んでいるが、真相は作者にしかわかるまい。名前というのは一種の暴力である。自分が好きで背負っているわけではないのに、一生背負わされる。時には、苗字が途中で変わることもある。それは人間の本質でないにもかかわらず、それがないと人間は極度の不安に陥ってしまう。名前とは誠に不思議なものである。

4.怪異の散歩道としての東京

飯倉義之監修『江戸の怪異と魔界を探る』KADOKAWA 2020

 2で取り上げた『大江戸魔法陣』とともに読むとさらに面白いのが本書。本書もやはり江戸の鬼門・裏鬼門という観点から、東京に残る有名な寺社仏閣を紹介している。江戸といえば、怨霊も欠かすことのできない存在である。平将門、菅原道真、新田義興、小幡小平次など実在した人物で今なお神として畏れ祀られる者たちのエピソードは何度読んでも不思議と驚異に満ちている。妖怪も忘れてはならない。天狗、狐、化け猫などは地域を問わず有名だが、江戸でも大暴れしている。また、池袋に関連した「池袋の女」という妖怪・怪異は興味深い。女幽霊について、一つの章を立てて解説されているのが良い。お岩、お菊、累など混同されがちな怪異の復習にもうってつけである。女性というのは、怪異と非常に相性が良い。「女」というのは怪異の一大テーマでもあり、月刊ムーでも吉田悠軌氏が女の怪異について絶賛連載中である。私も「女」については、いずれ大きく取り上げる予定としている。そして、最後は魔界探訪である。本所七不思議、平将門、麻布七不思議など現在も残る魔界の痕跡を実際に辿れるように探訪MAP付きで紹介してくれている。
 ところで、東京の魔界探訪といえば、次の本も忘れてはならない。

小池壮彦『東京 記憶の散歩地図』河出書房新社 2016

 怪奇探偵・小池壮彦氏の名著の一つ。恐ろしいほどディープな東京散歩である。この本を片手に東京を練り歩けば、東京上級者に認定されるだろう。0008 A-sideで、東京の地形の特徴に触れたが、東京は起伏に富んだ街である。そして、その起伏が数々のドラマを生んできた。人は決して土地から自由ではない。温暖な気候に住む人々と寒冷な気候に住む人々の文化・民俗が違うように、高台と低地に住む人々の間にも意識の違いが生じる。土地が人間の営みに与えた影響、そこから育まれた怪異譚を著者自らが実際に練り歩き、写真を撮りながらまとめ上げられた著作である。小池氏が実際に横にいて、解説をしてもらいながら魔界散歩をしているようなものである。これほど贅沢な読書体験はそんなに何度も味わうことはできない。

5.飲み歩く東京

清野とおる『東京怪奇酒』KADOKAWA 2020

 怪奇酒とは、「この世のモノではない異形のモノが出没する可能性のある非日常空間で、感情を揺さぶらせながら飲酒する行為をいう」とある。こんなジャンルが爆誕するとは夢にも思っていなかった。怪奇スポットを一人ひっそりと楽しむ姿勢に共感がもてる。
 杉野遥亮主演でドラマ化もされており、その際には、吉田悠軌、三上丈晴、大島てる、松原タニシ、チャンス大城などオカルト界のエースたちが続々と出演したことで話題をさらった。OP曲の酸欠少女さユりによる「かみさま」は作品の雰囲気とマッチした世代を超えて語り継がれるべき名曲である。
 原作となった漫画の作者・清野とおる氏は、壇蜜氏を妻に持つことでも知られており、これ以外にも『東京都北区赤羽』という赤羽の珍名所を紹介する名作で有名である。奇妙な場所を探す能力、奇妙な人物と出会う能力は群を抜いており、天性の才能であると思われる。
 シュールな展開を得意とするが、自然体でこのような感性を持ち合わせているのだろう。それが怪奇酒というテーマとほどよく合っていて、怖い中にも笑いが失われることはない。本書を読んでいると、恐怖と笑いが同じ根を持つものであることがよくわかる。実際には最も恐怖体験が起きていると考えられる状況を華麗にスルーしたりするのは、酒の影響もあるのかもしれない。
 第1集にあたる本書では、「赤羽の幽霊マンションで缶チューハイ」、「怪奇現象の多発する奇妙な空き地で缶ビール」、「半裸のオヤジを横目に見ながら雰囲気の悪い公園で焼鳥&ビール」、「霊穴の出現したアパートでワンカップ」、「幻の大仏の出現を願いながらクラフトビール」、「焼身自殺のあった事故物件で麦焼酎」、「生首の転がる路地で生首と一緒にパック酒」と普通では考えられない場所での飲酒が繰り広げられる。特にチャンス大城氏の撮影した霊穴の心霊写真は禍々しさが漂っているので、オススメである。心霊スポットが酒の肴になるというのは、今世紀最大の発見かもしれない。

 今回もお読みいただきありがとうございました。次回は、「怪談名著1 心霊ショック」です。お読みいただければ無上の喜びです。

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