0006 B-side 吸血鬼を読む
吸血鬼といえば、0006 A-side で特集したブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』であることは衆目の一致するところであるが、幸運にも現代に生きる私たちは、今では様々な吸血鬼に関する優れた作品に触れることができる。0006 B-sideでは、ブラム以前の吸血鬼小説から現代を代表するポップ・カルチャーの中の吸血鬼まで、増殖した彼らの姿を見ていこう。
1.ドラキュラ以前の吸血鬼
『吸血鬼ラスヴァン 英米古典吸血鬼小説傑作集』
G・G・バイロン/J・W・ポリドリほか、夏来健次/平戸懐古編訳 創元社 2022
主にブラム・ストーカー以前に発表された吸血鬼小説に焦点を当てて編まれたアンソロジーである。吸血鬼誕生の萌芽となったバイロン卿による未完の断章『吸血鬼ダーヴェル——断章』、もちろんこれは、彼の侍医であり、バイロンを強力に意識して書かれたポリドリの『吸血鬼ラスヴァン——奇譚』と読み比べるべきである。伝説的大著の抄訳『吸血鬼ヴァーニー——あるいは血の晩餐(抄訳)』へと進む前に、黒人の吸血鬼を描いた『黒い吸血鬼——サント・ドミンゴの伝説』が挟まれおり、吸血鬼小説が現実世界に対する批評的寓話として機能する様を見ることができる。吸血鬼は悪役ばかりではない。『ガードナル最後の領主』では、横暴な領主に鉄槌を下すため、占星術師によって使役される存在として登場する。『カバネル夫人の末路』は、魔女裁判を彷彿とさせる展開で、閉鎖的な村で起きた狂気的事件が描かれる。『食人樹』は世にも珍しい吸血植物についての小説であり、人型でない吸血鬼の可能性を感じさせる1篇である。『カンパーニャの怪』は芸術家の卵を虜にする<蝙蝠姫>の話。『善良なるデュケイン老嬢』はいつまでも若くありたいと願う老婦人の想いが招く恐怖譚。だが、彼女は真に気高い。最後、『魔王の館』は思弁的吸血鬼小説という、ある意味、吸血鬼小説の最高峰ともいえる。ラヴクラフトが本小説を「頽廃美ある傑作」と称したのも宜なるかな。
非常に濃く、重厚な10篇である。これらを読むだに吸血鬼というモチーフがもつ可能性がいかに深いか分かろうというものである。
『吸血鬼カーミラ』
レ・ファニュ、平井呈一訳 創元社 1970
これもブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』に先駆けて発表された小説である。主人公ローラが19歳の時に起きた出来事が回想の形で綴られている。
ローラが幼い頃に見た夢の中に出てきた少女と瓜二つの少女が目の前に現れる。その少女こそがカーミラであった。やんごとなき事情により、いっときの間、二人はローラの家で共に暮らすこととなるが、カーミラは貴族めいていながらも、どうしても出自をローラに語ろうとしない。カーミラは讃美歌を極度に嫌ううえに、魔除けの札を嫌悪している。また彼女は、今は亡きカルンスタイン伯爵夫人マーカラの肖像画と瓜二つである。
ローラとカーミラの仲は、まるで恋人のよう。それはどこかしら淫靡な雰囲気を漂わせており、死の香りをぷんぷん漂わせるものである。カーミラはローラと共に死ぬことをさえ望んでいるのだ。
そんな折、ローラの父の親友であるスピエルドルフ将軍の娘が奇怪な死を遂げたことが判明する。娘はミラーカと名乗る少女に出会い、衰弱した果てに命を落としたという。あまりにも陳腐なアナグラムゆえ、誰が読んでもカーミラ、ミラーカ、マーカラが同一人物であるのは明らかであるが、そうとは分かっても、どのようにしてカーミラの正体を暴き、ローラの命を守るのかについてのその後の展開はスリリングである。
平井呈一訳は、見事としか言いようのないものだが、訳者が変われば、物語の風味も大きく変わることだろう。訳者の生きている時代の空気も当然反映される。百合色を強くすることもできれば、ミステリ色を強くすることも可能だ。健全なジュブナイル小説としてもよい(し、実際にすでに出版されている)。様々な訳を比べながら読んでみたいと思わせる小説でもある。
2.現代あるいは未来の吸血鬼
『愚かな薔薇』
恩田陸 徳間書店 2021
14歳になった奈智は、母の故郷・磐座で「虚ろ舟乗り」になれるかどうかの適性を見極めるための長期キャンプに参加することとなる。虚ろ舟とは宇宙と地球を行き来し調査を行う宇宙船のようなものとして描かれる。この舟の乗り手として認められるためには、身体の変質を遂げなければならない。彼らは血を吐き、徐々に食べ物が喉を通らなくなり、歳を取らない体となる。変質を遂げた者は心臓に杭を打たれない限り死なない。それは無限ともいえる宇宙の彼方と地球を行き来するために人類が手に入れた進化である。誰でもなれるわけではない。キャンプは少年少女たちに変質を促し、できるだけたくさんの良質な乗り手を育てるための伝統的な儀式なのである。変質の過程で失われる血、これを補うため彼らは他人の血を飲む行為を必要とするが、それには特定の人物との「血切り(ちぎり)」と呼ばれる契約を必要とする。母も乗り手であった奈智は早くから変質が始まるが、自らの身体の被る変化を受け入れることができない。小さい頃から彼女をよく知る深志は自分こそが奈智と「血切る」ことを熱望するが……。
盛大な夏祭りも同時進行する中、変質の過程で暴走し、生き物を襲う「木霊」も現れ、そこに奈智の父母の秘密も絡み、事態は複雑な様相を呈してくる。途中までは甘美な趣を讃えた吸血鬼小説といった雰囲気であるが、終盤へ行くに従い怒涛の展開を見せ、最後は人類の進化と宇宙への適応へと拡散していく壮大なSFとして終着する。圧巻としか言いようがない大作である。
2006年から2020年まで14年の連載を経て紡がれた集大成であるために、もちろん大著であるが、ページを捲る手は止まらない。むしろこれだけ分厚い本でよかったとさえ思わせてくれる。終わって欲しくない、いつまでも読んでいたいと感じる小説である。
『傷物語』
西尾維新 講談社 2008
鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードと『化物語』シリーズの主人公にして語り部・阿良々木暦の物語。
高校2年生最後の春休み、暦は四肢をもぎ取られ、瀕死となっている美貌の吸血鬼キスショットと出会う。自身の血を提供することで彼女の命を救った暦は、生き残る代償として彼女の眷属となってしまう。キスショットの四肢を奪ったのは、吸血鬼退治を専門とする3人のヴァンパイア・ハンターであった。暦は眷属として、主人であるキスショットを完全体へと戻すため、3人のハンターたちとの戦いに巻き込まれていく。
このように書いてしまうと、バトル物と錯覚されてしまうかもしれないが、何のことはない西尾維新の趣味120%全開バリバリの厨二病小説である。本作には、強烈な印象でヒロインとして絶大な人気を博する天才学級委員長の羽川翼も惜しみなく登場する。半分は彼女と暦の物語と言ってよい。「何でもは知らないよ。知ってることだけ」——これは化物語が生み出した最高の名言の一つである。羽川翼メインの物語は別にあるにも関わらず、羽川翼の印象があまりにも強すぎて、ドラマツルギーやらエピソードやらギロチンカッターやらとの戦いがどうでもよくなってくる。
全編ふざけた勢い満載で進むのだが、西尾氏の小説には至る所に痛みが隠されている。羽川翼のまとう闇はここではまだ明らかにされないが、正義で偽装された彼女の痛さを十分堪能できるし、キスショットと暦の決意、そして大きな痛みを伴う忍野メメの下す決断にも瞠目である。物語シリーズの中でも屈指の傑作。
3.漫画の中の吸血鬼
『ポーの一族』
荻尾望都 小学館 1998
吸血鬼を題材とした漫画といえば、この傑作を避けて通ることはできない。
青い霧に閉ざされた薔薇の村に住むバンパネラ、ポーの一族。彼らは愛する人間を同胞に加えながら、ひっそりと永遠の生を生きていた。この物語は、互いに思い合う兄妹エドガーとメリーベルの物語であると同時に、互いに思い合う二人の少年エドガーとアランの物語でもある。彼らがどのような経緯でバンパネラとなったのか、それは物語の中で断片的に語られていく。時系列に並んでいないため、読者は謎を抱えながら行ったり来たりしつつ読み進めていくこととなるが、そのヤキモキした気持ちがたまらなく心地よくなってくる。人に気づかれぬよう生きざるを得ない彼らだが、持ち前の美貌ゆえにどうしても目立たないわけにはいかない。そうして彼らは出会う人々を魅了し、記憶に残り、世代を超えて語り継がれていく。不死というのは孤高である。バンパネラは安易に人と友情で結ばれたり、ましてや、恋慕の情を抱いたりしてはならない。永遠の時を刻む者と有限の時しか刻めない者の間には乗り越えられない断絶がある。そして、共に生きようと願うことは相手をバンパネラにする以外にないのだ。相手にも悠久の時を生きるのを強いらねばならないとは、なんと身勝手な愛なのだろう。それはバンパネラが一番よく分かっている。だから、彼らの生は悲しさに満ち溢れることが決定づけられている。
全体を通して、壮大な一族の歴史が完結するようにできているが、1篇1篇が独立して楽しめるようになっており、流れを度外視して楽しむことも十分可能だ。眺めるだけでうっとりするような萩尾氏の美しい絵が物語の世界観になくてはならない。美貌の少年が、急に残酷な吸血鬼の本性を露わにする瞬間は、まるで自分が首元に牙を突き立てられたような恐怖を感じながらも、同時に訪れる恍惚感に気絶してしまいそうになる。
『HELLSING』
平野耕太 少年画報社 1998
これも吸血鬼漫画の代名詞のひとつ。ドラキュラの仇敵ヴァン・ヘルシングの名を冠した王立国教騎士団と吸血鬼との争いを描いたアクション漫画。騎士団などという大層な名前はついているものの、実情は団長であるインテグラ、老執事ウォルター、最強の吸血鬼でインテグラの従者アーカードそしてアーカードの眷属セラスの4人しかメンバーがいない。だが、彼らは一人ひとりが数百人に匹敵するほどの力を備えているため吸血鬼狩りになんの支障もないのである。純然純粋なバトル漫画であり、しかも敵も味方も吸血鬼ということで、血飛沫が容赦なく飛びまくる。最後の戦いに至っては、英国の犠牲者371万8917名という空前絶後の大惨事となるのだから、読む方にも覚悟がいるので要注意。だが、バトルシーンは圧巻であり、各人がそれぞれの正義を貫くために戦う様は読んでいて爽快である。ひねくれた正義を持つ者もいるが、基本的に彼らの思考は勝つか負けるかだけに終始しており、そこから得られるものとか失われるものとかを計算に入れていない。そうでもない限り、一国の犠牲者を300万人以上出す戦いが繰り広げられるはずもないだろう。だが、小難しい話などなく、一切の価値観を強弱に置くその姿勢は潔く、だからこそ読む側も、気持ちよくそれを受け入れて読むことができるのだろう。
ヒラコー節とも呼ばれる、平野耕太氏がキャラクターに語らせるセンス溢れる台詞も物語を大いに盛り上げるのに一役買っている。特に、ヘルシングの悪役の中の悪役である「少佐」が単行本第4巻で語る13ページにわたる演説は漫画史に残る名シーンのひとつである。
私が好きなのは、インテグラが命じ、アーカードがそれに答える次のやりとり。
西尾維新とはまた別の形の厨二病の極限である。
本日もお読みいただきありがとうございました。次回は「0007 A-side 海の怪あるいは鈴木光司」をお届けします。次回もお読みいただければ、無上の喜びです。
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