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0009 B-side 漫画・百物語

 百物語を冠する書物は山ほどある。百物語という言葉は、今では、怪談の代名詞として流布しており、そのため、怪談本には百物語をタイトルに起用した本を掃いて捨てるほど見つけることができる。その1冊1冊を紹介することには、大きな意味があるが、それはまた、別の機会にとっておくとして、今日はやや趣向を変え、百物語を冠する漫画を取り上げよう。広大な百物語群に分け入る端緒として、漫画は大いにアリである。

1.杉浦日向子の百物語

杉浦日向子『百物語』新潮社 1995

 杉浦日向子氏といえば、漫画家あるいはエッセイストのイメージが強いと思われる。それはもちろん全く間違っていないのだが、江戸研究家の側面こそ忘れてはならない。何せ、江戸研究に邁進するために漫画をやめたほどなのだ。今も現状が大きく好転しているわけではないようだが、黄表紙や読本の類には、アクセスするだけでもかなりの時間がかかる。無論、手軽に誰かの現代語訳を参照することもできない。そのため、目的の一冊を探し、それを「ただ読む」という作業だけでも膨大な時間がかかる。さらに、それを「読み込む」という段階まで持っていくには最低でも1ヶ月以上はかかることが予想できる。それを誰の助けも借りずに一人でやるというのだから、漫画を書いている場合ではないというわけだ。これもまた風流人の粋といったところか。
 杉浦氏の『百物語』は、そんな、たった一人で行った杉浦版江戸研究のまとめの一冊とも言える。参照されている本だけでも、『百物語評判』『新百物語』『御伽百物語』『太平百物語』『諸国百物語』など多数あり、おそらくここに並べてある本以外にもあることを考えると、どれだけの時間を尽くして蒐集したのかと、作者でもないこっちが途方に暮れてしまうほどである。しかも、それらの話を漫画という表現媒体に落とし込み、再構成し、余白たっぷりに描き出す、その手法は誰にも真似できない。確かに杉浦氏の代表作と呼ばれるのも頷ける。これは杉浦氏の大傑作の一つであり、さらに言えば、怪談史に残る歴史上の大傑作と言って差し支えない。漫画・百物語としては、空前絶後である。今もこれを超える本は出ていない。
おすすめ話をいくつか紹介しよう。

「其ノ八 異形の家人の話」
 吉田某なる侍が、暑気にあてられ体調を悪くし早退する。家に帰ってみると、妻は顔が牛、若党は蛙、下女は馬、子供は芋虫と家人が皆、異形の者になっている。侍はそれを切り捨てようかと一時は考えるが、所作は常の家の者と何ら変わりがないので、熱のせいであろうと横になってしばらくすると皆元に戻っている。吉田某を帰宅する途中に見かけた侍が言うには、彼の背中に小鬼らしきものが取り憑いていたということである。

「其ノ二十七 天狗になりしという話」
信州松本藩の萱野五郎太夫という侍が、急に家人に申し付け、六尺の半切桶、十枚の新しい筵、赤飯を用意させる。自身は身を清め、それらとともに奥座敷に閉じ籠った。すわ乱心かと家族が気を揉む中、夜中になって、座敷から三、四十人の声がする。夜が明けて静かになった座敷内を家人が覗き見たところ、中はもぬけの殻であった。以来五郎太夫の行方は知れない。後に、五郎太夫から手紙が届き、彼が実は愛宕山の天狗であったという話。

「其ノ六十五 絵の女の話」
 越後の酒問屋の旦那の元に茶碗を届けると、旦那はその茶碗を持って、嬉しそうに掛け軸に描かれた女に向かって話かける。店に茶の相手をするものがいないために、旦那は絵の女を茶飲み友達にしているという。彼は夜明けまでずっとその女に語りかけて過ごしている。20年後、再び茶碗を頼まれて届けると、絵の女が歳をとっているように見えた。旦那が言うには、自分一人だけ歳をとるのが嫌なので、一緒に歳をとるよう絵の女に筆を加え続けているのだという。

「其ノ九十二 大楠の話」
 ある庄屋が娘の婚儀が決まったお礼に家の大楠を切り倒して、産土神へ大鳥居を寄進しようと企てた。杣を集め、注連縄を巡らし、後は伐るばかりとなった夕暮れ、屋敷に立派な侍が現れた。娘が欲しいという。唐突な申し出に庄屋は呆れ、すでに婚礼の約束があることを伝えて、侍を追い返し、固く門を閉ざした。その晩、娘が消えた。あくる日、杣の一人が申すには、大楠に娘の顔が浮き出ているという。人々は大楠の精に娘をとられたのだと噂した。庄屋夫婦は世を儚んで出家した。以来、大楠を伐ろうという者はいない。

2.手塚治虫の百物語

手塚治虫 『手塚治虫名作集③ 百物語』集英社 1995

 百物語の名を冠するが、これは百物語ではない。ゲーテの『ファウスト』を手塚流に翻案した手塚版ファウストである。ちなみに手塚治虫はよっぽどファウストが好きだったようで、これ以外にも、『ファウスト』、『ネオ・ファウスト』などゲーテの『ファウスト』を題材にした作品をいくつか描いている。その中でも、本作品は戦国時代を舞台に描かれた日本版ファウストである。あらすじは次のようである。 

 戦国時代、切腹寸前の身を悪魔の娘スダマに魂を売ることで救われた武士一塁半里は、その契約により美男子不破臼人に変身。みちのくの地で富と権力を手中に収めるが…。

ゲーテの『ファウスト』を知らなくとも十分に楽しめるが、ある程度知った上で読むと、より楽しいかもしれない。とはいえ、ゲーテの原作は大著であり、通読は睡眠薬程度の役割にしかならないことが予想されるため、もしも、『ファウスト』を読んだ気分になりたいと思うのであれば、以下の本がおすすめである。

中野和朗『史上最高に面白いファウスト』文藝春秋 2016

あなたはなぜ、名作『ファウスト』を、
最後まで読み通すことができないのか?
理由1 これまでの翻訳はエリート教養人向け、しかも誤訳があったから。
理由2 これを読めば人格が向上する、という間違った考えが広まったから。
理由3 ファウストはエライ人、という思い込みがあったから。
文豪ゲーテが「ファウスト」にこめた人生の真理とは、
「破滅へ向かう男社会を救うのは、女性だ」
この名作は、現代に通じる一大エンターテインメントなのです!

 ファウストというのは人間で、悪魔メフィストフェレスと契約を交わすのだが、こいつがびっくりするほどのロリコンクズ野郎である。ファウストは全くエライ人ではない。彼を真似て生きようとすれば、即刻ブタ小屋行きとなるので注意が必要だ。
 手塚治虫『百物語』の主人公である不破臼人も、一塁半里であった頃は、ひ弱な下級武士である。切腹する勇気もなく、死にたくないとああだこうだ言っている最中に、お転婆な悪魔の娘スダマに命を救われ、不破臼人へと生まれ変わる。その代わり3つの願いが叶った暁には、臼人はスダマに魂を捧げなければならない。生まれ変わったといっても、性根が変わるわけではないので、駄目男のままであるが、次第にスダマに導かれつつ、勇敢な男へと成長していくという物語である。まさに女性に導かれ、社会を変革する物語であるゲーテ版『ファウスト』のテーマを上手に換骨奪胎した作品といえるだろう。最後は、結局臼人とスダマが両思いとなり、スダマが情けをかけたことで、臼人の魂は天上へと昇っていく。
 手塚治虫はピノコも然りだが、男の尻を上手に叩きつつ、一人前に成長させるお転婆な女性を描くのが実に上手い。そして、それは大体において、諸事情から結ばれない悲運の恋物語となるのだが、この『百物語』はその中でも、中期の傑作として名高い。

3.つのだじろうの百物語

つのだじろう『新説百物語』ハロウィン少女コミック館 1992

 現在では絶版のため、Kindle版がおすすめである。
女子高生の小鼓初音の実家は宝珠山九輪寺である。そこでは毎月怪談会として「百物語の会」が開催される。そこで語られた話をベースに初音が語るという形式で物語が進行する。
全5巻、総話数は29話であり、通読もしやすい。『月刊 ハロウィン』に連載されていた。同誌は少女向けホラー漫画であるため、登場人物も主人公と同じ女子高生が多い。少し話が逸れるが、同誌は怪談史研究において、外すのことのできない伝説の雑誌であり、まつざきあけみ、高橋葉介、伊藤潤二など著名なホラー作家たちも連載をしていた。別の機会に取り上げたいと思っている。
 話を元に戻すと、本書には、普通の怪談だけでなく、妖怪、日本の歴史、心霊主義、キューピッドさん、UFO、宇宙との通信などジャンルにこだわらない様々な話が取り上げられている。啓蒙的な色彩が強いことも特徴である。
各巻の印象深い話を一話ずつ紹介しよう。

「第2話 夢の中の妹」
初音は一人っ子で、ずっと妹が欲しいと思っている。しかし彼女には実は妹がいる。それは現実の妹ではなく、夢の中にだけ出てくる乙音。夢の中でだけ出会える乙音は、悪戯ばかりする妹だが、初音は優しく接しようとする。ある日、初音は苦手なテストで満点をとるも教師に呼び出されてしまう。名前を間違っているというのだ。指名欄には小鼓乙音と、なぜか妹の名前が書かれている。次第に現実を侵食する架空の妹。

「第6話 累が淵」
 第2巻では日本の古典怪談や妖怪に焦点が当てられている。この話もその一つで、もちろん取り上げられているのは、「真景累が淵」である。現代風の筆致で描かれているため、読みやすい。この話の軸となる悪役・与右衛門であるが、端的に言って人間のクズである。呪われて当然の所業に、見ている方は当然、累に肩入れしてしまう。
あらすじだけでなく、1988年に起きた歌舞伎上映にまつわる怪現象も取り上げられている。実際に報知新聞にも取り上げられた事件である。

「第15話 ウィジャ招霊」
 米国の心霊主義研究家ミスティ・沖田日系三世が会に参加し、ウィジャボードを利用した降霊会を決行する。日本ではこれがいつの間にかコックリさんという形に変形され、子供たちに消費されるものとなったが、ウィジャ自体の起源はピタゴラスの時代にまで遡ることができるほど古い歴史を持つ。こういう物語の常として、案の定ふざけ半分で降霊術をやった友人が痛い目にあってしまう。皆さんも、生半可な気持ちで降霊術を行わぬよう、十分ご注意を。

「第22話 どしゃぶりの夜」
 やはり人形譚は外してはならない。
どしゃぶりの日、初音は道端で振り袖姿の女の子を見かける。別の日、田舎の祖母宅で初音が見たものは件の少女そっくりの日本人形であった。祖母からぜひにと勧められ、人形を譲り受けることとなった初音だが、雨が降ると人形がずぶ濡れになるという怪現象が起きてしまう。やがて人形は初音に何かを訴えかけてくるようになり、突然、空を飛び消え去ってしまう。人形はどこへ行ったのか。

「第27話 チャネリング」
 チャネリングとは、霊的世界や宇宙意識と波長を合わせ、彼らと交流を図る方法の一つである。当時はこういうのがオカルトの主流であったなあ、という懐かしさを感じる作品である。例によって、女子高生たちが張り切ってUFOとのコンタクトをとるのだが、初音の元にヒロコと名乗る宇宙人が現れる。このヒロコなる宇宙意識、なかなかコミュニケーション能力が高く、人懐っこさもあって好きなキャラクターである。

つのだ氏といえば、『うしろの百太郎』や『恐怖新聞』も名作だが、この『新説百物語』もおすすめである。もちろん、怪談好きであれば、北極ジロ(いたこ28号)氏の怪談と関係が深い『空手バカ一代』もぜひ。

4.的野アンジの百物語

的野アンジ『僕が死ぬだけの百物語』小学館 2021

 令和の漫画百物語といえば、これであろう。あらすじはこうある。 

謎が謎を喚ぶ、次代の正統派ホラー第1巻。少年が語る百の怪談。一晩に一つ。独り。動機は不明。謎が謎を喚ぶ。開幕。WEBにて話題沸騰中、背筋凍るホラー・オムニバス・・・待望の第1巻です。
【編集担当からのおすすめ情報】
「サンデーうぇぶり」にて隔週金曜日に連載中のホラー・オムニバス。
令和のホラー漫画界を間違いなく牽引する、弱冠22歳の新鋭による初単行本です。
心臓を握り潰されるような恐怖アリ、度肝抜かれるどんでん返しアリ、そしてなんと感動もアリ・・・
夜、眠れなくなっても、責任は負いかねます。

 作者はまだ22歳である。これからのホラー漫画界を背負って立つ存在となるように心から祈っている。絵柄が非常に怖く、センスの良さが滲み出ている。最初見た時は、表紙だけで全身に怖気が走ったものだった。
 オムニバス形式でユウマという少年が毎回一話ずつ話を語るという形式。毎回出てくる怪異が狂気的でぶっ壊れている。
 では、好きな話をいくつか。

「第四夜 宅配済み」
 ある朝、封印されていたアパートの郵便受けが開いていることに気づいた時から、怪異は始まった。サラサラ髪が欲しいと言えば髪が投函され、ピアスが欲しいと言えばピアスが投函される郵便受け。ただ一つの問題は、投函されるものが全て、その物の所有者から無理やり奪い取られる物だということ。だが、彼が本当に欲しいのは、既婚者の女性だった。もちろん何が起きるかは読者の想像通りである。

「第十三夜 普通の家庭」
 男が望んだのは、美しく気立ての良い妻、勤勉で優秀な娘、そしてそれを支える主人としての自分だった。だが、いつからかその願望を叶えるために、男は暴力を必要としてしまう。崩壊する家庭。殴られるのが日常と化した毎日から逃れるために、妻と娘がとった方法は……。
 緊迫する家庭内の様子は手に汗握る展開だが、本当の衝撃は、その後に訪れる。あるホラー映画を彷彿とさせる終わりだが、それは読んでのお楽しみ。

「第三十夜 テケテケ」
 「放課後にテケテケを見ました。皆さん気をつけて下さい」。教師が目にした生徒の落書きには、その文言とともに、テケテケの絵が描いてあった。だが、テケテケの絵がどうにもおかしい。テケテケとは上半身だけの怪異のはずだが、その絵は腕がなく、足だけがあるのだった。期待通り、テケテケは現れる。無くした足を取り戻しに。だが、このテケテケ足はあるんじゃなかったのか? 新たなテケテケ像を提示する野心的な一篇。

オムニバスゆえどこからでも楽しむことができるが、百物語の裏ではユウマ自身の物語が進行している。彼が百物語を行う動機は何なのかを想像しながら読むことで、さらに恐怖が増すだろう。本記事執筆時にはまだ既刊3巻だが、この記事がアップされる頃には4巻が出ているはず。まだ、すぐに追いつけるので、未読の方はぜひ、記憶に残る令和の百物語となるはずだから。

 本日もお読みいただきありがとうございました。次回は、「名著探訪 稲川淳二の恐怖がたり」です。次回もお読みいただければ無上の喜びです。


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