見出し画像

銭を生かす

誰もが不景気で「今だけ自分だけ」の
せせこましい時代からなかなか抜け出せなくて
若い君らに与えてあげられるものが少なくてごめん。
だからせめて、自分の経験から学んだ
智慧を残していこうと思う。

お金の話は避けてきた。
誤解を生みやすいからである。

SNSには投資や自己啓発、MLMなど、
人から金を引っ張ろうとする輩が後を絶たない。

彼らは「銭を作る方法」はもったいぶって教えるが、

「銭を使う方法」については教えてくれない。

ゆえに「さもしくて貧しい富」ばかりが世間に溢れている。 

私は、商人の娘として育った。
私に生き方を教えた祖父は早逝したから、
「見て学んだ」のか
「母方のDNAとして隔世遺伝した」のか

…いずれにしても、銭の使い方については個性的な環境で育った。

「稼ぎ方ではなく、使い方」を教えてくれた。

そのおかげか、収入の多寡に関わらず、不思議と困窮したことはない。(若き日に借金を作ったこともあったが、その「身から出た錆」の話は別の意味でそれなりにドラマチックなので、また今度にする)

◆生きた銭を使え

◆宵越しの銭は持たない

◆ちんまり、ちぃちぃしてたら、虫に銭を食われる (※ちんまり≒守銭奴のこと)

◆礼は欠かすな。贈り物を惜しむな

◆贈り物をもらったら、基本ルールは「半返し」忘れずに

◆近くで人が困っていたら助けること(ただし借りてまで、ではなく「一食ぶん」とか自分の範囲で) 

これが、我が家の家訓。簡単に言えば

「自分のために銭使っても意味ねーから、ちょっとでも持ってたら人のために使いたまえよ」と。

金は天下の回りもの、という言葉があるけど
その通りだなって思う。
血管に血がめぐってるみたいに、動かなくなったら銭も経済もその時点でDEADなのである。

自分 ➡︎ 自分 

「消費」という目に見える形での経済活動しか生まぬ。

自分 ➡︎ 誰か・・・・➡︎ そのまた誰か

ギフトが(ハートや労力、奉仕が)どんどん繋がっていくと経済活動は比例して大きくなる。
(ペイ・フォワードにも似ているけど、経済視点の話である)

経済をブンブン回すとき、そこには
ハートや奉仕がそこに乗っかって動いている。
あなたがギフトしたものは
誰かのココロに残り、還流して戻ってくる。

ある人は仕事やチャンスを
与えてくれるかもしれないし、
人を紹介してくれるかもしれないし、
物品や食べ物の形で戻ってくることもある。
個人に投資されることさえある。

「貰おうと思うな、与えることに徹しろ」

「自分より目上の人だけど、ギフトしてもいいんだろうか?」

贈答のコツはあれど、
誰かを思ってのギフトという行為には
実は年齢もあまり関係ない。

むしろ「年下の子が、わずかな財力と時間の中で自分を思い出してそれを選んでくれた(食事などに誘ってくれた)」だけで

たいていのオトナは、ウルッと来る。
コンビニのアイス一つだって、
かわいく思えるものなのだ。

もちろん、返礼だって付いてくる。
(貰いっぱなしの上司なんかは、器が知れるのでこっちから願い下げだ)

生きた銭の使い方は、
あなたを活かす道となる。
「金を使わずに”持つこと”が金持ちたる所以なんだ」
という人もいるけれど、
そういう人は一生何も生まず、信用もされず、
ソサエティにも、招かれず蔑まれて終わる。
(ノブレス・オブリージュを知らないとみなされるからだ)

「自分のために買い物したり自己投資して
酒飲んで使って、終わればいいジャーン!」

という人も、似たようなもの。

死ぬときに感謝されろとまでは言わないけれど
そう言えば、こんな人がいたな
…って思い出してもらえるくらいの
縁は作ってもいいのではなかろうか。

ひとまず銭から切り離されることのない、
通貨発行権を持つ誰かの意図によって
作られた搾取システムと
この貨幣経済・物質文明の中では、

「ハートを送りあって、見えない経済を回すこと」

は、せめてもの反逆とも言える。

「お貰いするのを待つより、今持ってるものを与えたり交換する」

そんな、贈与の時代になればいい。

「誰かから贈られるものは、貨幣兌換と関係なく、なんだって嬉しい」
そういうハートが、通貨の価値を奪っていく。

誰かのために、生きた銭を使おう。

その想いが、しなやかに、革命を起こしてく。

#若い人へ #20代 #生き方 #マネー #経済
#コラム #note #学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?