見出し画像

雨水染みこむ雨合羽を着て、水墨画のような景色を歩く【2015.02 額井岳】

登山前夜、知人に会うために尾鷲の地に降り立つ。知人というのは、夏に尾鷲で行われた速見林業主催の林業塾で知り合った友人のことである。尾鷲檜で知られる一大林業地、そのなかでも速見林業は別格の事業体で、林業界で知らぬ者のいないほどだ。そのときの塾生の同期が速見林業でインターンをしているというので、遊びに行ったという次第である。もう一人の知人、速見林業で勤めている若手技術者に駅まで迎えに来てもらい、3人で家へと向かった。古錆びたジープのがたつきが、尾鷲檜の山影によく響く。鉄の塊がエンジンの爆発で無理矢理走っているかのような車だが、この無骨さが子ども心を燻ってくるのだ。深夜まで飲み明かし、とんぼ返りで大阪に戻る。

画像1

たいした話はひとつもしていない。5年という時の流れを越えることができた話はほとんどなく、どうせくだらない話ばかりだったのだと想像される。唯一覚えているのが、功夫(クンフー)の話。ジャッキーチェンの出る武術映画で、負かした相手に対して「功夫が足りてない」的なことを決め台詞的に言うらしい。功夫の音の響きが面白く、一晩中、功夫功夫連呼して遊んでいた。5年を乗り越えた話も、結局はこんな程度の話。すき間風吹きすさぶジープの後部座席からおさらばし、額井岳のある三重県の榛原駅を目指す。

画像2

天気は雨。Colombiaの雨合羽に身を包み、駅から登山口を目指して住宅街を抜けていく。Colombiaの雨合羽は、購入してから早4年が経つ。デザイン性だけで安易に選んだ合羽だが、4年も着ると想い入れもあるというもの。山の中腹まで住宅地の広がる関西らしい山麓を歩きながら、雨合羽ごしに伝わる雨粒の冷たさを感じる。合羽ごしとはいうものの、雨粒の冷たさは本来、合羽が正常に機能していれば、合羽ごしに伝わってはいけないような気もすると、今になって思う。

画像3

額井岳は標高800mの山で、(三重なのに)大和富士と呼ばれる秀麗な山だ。独立峰でもなんでもないのだが、額井火山群と呼ばれる死火山の一部であり、そういう意味では富士山と成り立ちが似ている。ぱっと見では、富士山とは似ても似つかない山容なので、大和富士を連想する人は多くなかろう。山部赤人という有名な詩人の出身地ということもあり、詩的想像力が大いに働いてくれたおかげなのかもしれない。

画像5

一旦山に入ると、終始雨雲の中を進むことになる。降り注ぐ雨粒と、空気中に漂う雨雲の水分とでびしゃびしゃになりながら歩いていく。もはや合羽の機能不全を疑わない理由などなく、内側の蒸れとも相まって撥水・防水性能と透湿性能の無さを思い知らされたのだ。前日の夜の話に引きずられ、自らの功夫の足りなさが原因かと一瞬だけ考えたが、どう考えてもこれは個人の問題ではなく、装備の問題である。強いて言うならば、雨合羽の功夫が足りなかった。無事町に帰れたら、新しい合羽、否、レインウェアを購入しよう。そう決意した。

画像6

まるで水墨画のような杉林のなかを下山していく。もはやなにものも遮らない合羽では裸同然で、自然のあらゆる情報が身体に響いてくる。全身で森の水を受け止めているかのようで、だんだんテンションもおかしくなってくる。以前、大峰山脈の八経ヶ岳で大雨に見舞われたときのことを思い出す。あのときの雨の規模とは比べものにならないほど穏やかな雨だったが、合羽の機能ひとつでこうも変わってしまう。

画像7

日没前になんとか下山し、町へと下りていく。晩冬のしとしとした雨が、榛原の町灯りをしっとりと包み込んでいる。これは山奥の地域の雨だなと、ふとそんなことを思う。一面に雲の広がる灰色の空から、暗闇迫るブルーグレーの曇り空への移り変わりを見届け、近鉄電車で大阪への帰路についた。格好いいレインウェアに期待を膨らませながら。

画像8

画像9


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?