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さらば青春の光、学生最後の登山【2015.03 書写山】

学生時代最後の登山、どこか有名な山に登るでもなく、遠くの山に遠征するでもなく、兵庫県にある書写山を最後の山として選んだのは、なんとも私と砂丘(大学1年の時に鳥取砂丘で仲良くなった友人)らしい選択だなと思う。地域の名峰であり、清水寺と似た趣の圓教寺という立派なお寺もある。なにより姫路市ということで、帰りに姫路城へ寄ることができるのが良い。早朝に大阪駅を発ち、姫路駅にて下車、バスで書写山に向かう。結局、こういうかたちでの登山が、一番僕ららしくもあり、また僕らが山において一番求めていたものがそこにはあったのだと思う。


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天気は素晴らしく、快晴。播州らしい岩山。最後の登山らしくない、何のチャレンジもない山。いつものように、その土地の空気を味わい、山の様子を味わい、一日という時間を贅沢に味わう。朝日が登ってから沈むまでのシンプルな時の流れを、景色に意味など含ませず、ただただ眺め味わった。山で過ごすように日常を過ごし、日常を過ごすように山で過ごす。瀬戸内へと続く播州の平野は、そんな平穏な気持ちですら、たった一陣の風によって気持ちを上ずらせる。

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あれだけ朝早くに出発したはずなのに、どうしてあたりはこんなにも夕闇の足音に満ちているのだろうか。砂丘と一緒に山を登っていると、登山前の入念な登山計画などなかったかのように、気づけば経験と感覚頼りに日没までの登山に収める、そんなゆるさを含ませてしまう。太陽の確度と気温を肌で感じ、経験と感覚で判断する。かつては身体の中で自然に行われていたであろう、狩猟採集社会のリズムに想いを馳せる。

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結果、姫路城の閉門時間を過ぎてしまった。計画を破り、計算せずに登山をした報いである。黄土色の生温い夕焼けのなか、凜々しい表情の姫路城が我々愚か者二人を見下ろしている。学生時代最後の登山、いつも通りいたって普通の山に登りにきたものの、せめて最後に姫路城へ入城したかった。最後の最後に姫路城に入れないなんて、どうにも後悔が残りそうじゃないか。

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うだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだ・・・

うだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだ・・・

うだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだ・・・

日没ギリギリまで姫路城前の公園でうだうだしていたら、なんやかんやうやむやになって満足してしまった。うだうだしながら、過去の登山を二人で振り返り、姫路城のお膝元で談笑をしていたら、なんだか4年間とても楽しかったような気がしてきた。姫路城に入城できていたら、おそらく訪れることがなかったであろうこの時間が、学生時代に方を付ける、なんとも味わい深い時間となった。

姫路城、ありがとう。

学生時代、万歳!

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