僕と「書くこと」の不思議な縁

さっき街中を歩いてて思ったんだが。

やっぱり自分は、書くことからはどうにも逃れられない運命にあるような気がして。

というか、書くこと以外、自分が満足して生きる道がないような気がしてしまった。唐突に。


ひとつ秘匿情報を全体公開すると、僕は会社に勤めているわけではなく、なんとなく自分ができそうなことを引き受ける感じで生活している。

その「なんとなくできそうなこと」の最たるものが「書くこと」だったため、なんだかんだで今こうして食べることができているわけだが。

今でも書くことが根っから好きなわけではない。…が、自分の中にそれ以上のものが見つからない。…から、こうして今も、何かを自分の中から掘り出そうとするかのように筆を走らせているわけで。


なんで今自分は書いてるんだろうな。それすらもわからないのに、何かから逃げるように今日も書き始めてしまった。

不思議な縁だ。小学生のころ、作文用紙1枚がノルマの読書感想文を20枚書いたことを記憶している。なんでそんなに書いたのか、自分でもわからない。

多分、多く書けば友達や先生が褒めてくれると思って書きまくったのだろう。ただ、その時も別に「書くことが好き」と感じてはいなかったし、今まで一度も感じたことはない。


そう思い返していると、動機がなんであれ、小学生で作文用紙20枚書けるのは珍しいのではないかと思った。

それからというもの、特別ものを書く機会はなく、20年ほどの月日が流れる。

何も決まらないまま大学を卒業し、しばらく自宅を守る日々が続いた僕は、なんとなく文章を書いてみた。書かないと、何も起こらない日々に押しつぶされそうになったから。


そういえば、停滞したときはいつも何かを書いていた。大学を中退して浪人していたときに初めてブログを書き始め、いっちょ前に作詞なんかをしたのもいい思い出だ。

あのとき、僕は何かしら変化を感じたかったのかもしれない。勉強して、バイトして、寝る。この灰色の生活に、ひとつまみの彩りを添えたかったのかもしれない。

今日、なぜ書こうと思ったのかなんとなくわかったような気がした。


なぜ自分が書くのか、はっきりとはわからない。だが、今の自分にできる、数少ない活動の一つであるのは確かな事実だ。

だから、書き続けることだけは止めないようにしようと思う。きっと、自分の人生は、書くことと切っても切り離せない縁がある。

僕のくだらない思い込みかもしれないが、そうだと信じて書くことと添い遂げようと思う。


なんか書き終えてみたら「趣味垢で書くようなことか?」という内容になってしまったが、おいもと老師という存在があったからこそ生まれた文章なので、そのまま公開することにする。

ここまで読んでくれたみなさんならもうお気づきだろうが、僕の文章は香ばしい。こんなはずじゃなかった。書き始める前までは。

まあ、恥じていては文章は書けないので、これからも時に香ばしく、時に香ばしいを通り越してクサさを発しながら文章を書いていこうと思う。


最後まで読んでいただきありがとうございます。こんなヘンテコな文章を書く僕を認め、関わってくれるあなたのおかげで、今こうしてこの文章を書いています。本当にありがとう。


おいもと老師


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