17日目。500円玉貯金

4/17(土)13:54。4/16の日記を明らかに翌日の今日、書く。

今この瞬間の、空気が、会話が、やりとりが、かけがえのない時間だということをひしひしと感じる。時間というものは有限で、誰にでも平等に最期がやってくることを、やはり普段は忘れてしまっていた。

おばあちゃんとの何気ない会話をするたびに、それが例えテレビを一緒に見ながらの感想だとしても、大切でたまらない。ずっと覚えておきたいと思う。ついスマホのボイスで録音したくなる。いつかおばあちゃんの声を忘れてしまうんじゃないかと思うと怖い。そして、おばあちゃんだけでなく、自分の大切な人たちみんなにも、いつかそんな時が訪れてしまうことに恐怖を覚える。

家族のことを大切に思える環境が、あたりまえではなく、幸せなことなんだなと、大人になってわかった。たまには喧嘩もするし、むかついたり、がっかりしたり、ずっといい状態ではなくとも、絶対的な存在。ただ、そんな人達も、自分も含めいつかみんな死んでしまう。わかってるけど、受け入れがたい。

おばあちゃんとは直接、しんみりするような話はしてきていない。「がん」の話とかはでてきても、おばあちゃんと話ながら泣くようなことはしないようにしてきた。話も深刻にならないよう、がんの話を出されても極力避けてきた。残された時間のことや、悲しいことは、今は自分の精神的にもおばあちゃんとしたくないのだ。普通の時間、おばあちゃんと私の普通の時間を過ごせることを大切にしたい。

昨日(4/16)もおばあちゃんの部屋で仕事をしている時、500円玉貯金の話になった。おばあちゃんは、500円玉のおつりが出たら絶対に使わないで瓶にいれて貯めている。貯まり続けた500円玉を、年に1度の旅行などでパーッと使ってきた(おばあちゃんとの旅行はすべておばあちゃんがスポンサーだった)。旅行から帰る時はいつも「また500円玉貯金がんばらなくちゃ」と笑った。そんな500円玉を「かなちゃんの通帳に入れていいからね」と言った。500円玉だけでなく、別の瓶に貯めていた100円玉も。

おばあちゃんにとって500円玉貯金は、未来へのモチベーションだったはず。「また貯めて孫たちと旅行に行こう」と。「何か買ってあげよう」だったかもしれない。そんな500円玉たちを、私の通帳にいれるというのは、500円玉貯金の終了を意味する。悲しすぎる。涙が出て、こっそり泣いてしまった。そして同時に「まだまだ貯めようよ」となけなしの明るい声をとりつくろって言った。「この前も500円玉2枚を、ママに両替してもらって渡したよ。まだこれからも貯めよう?」。「貯めて旅行に行こう」と言ったら「それは難しいわね」と言われてしまうような気もして、びびって旅行の2文字は出せなかった。前向きな言葉をかけて、現状とのギャップにがっかりさせたくない。

とここまで書いて止まってしまっていた。

4/17(土)おじいちゃんが補聴器をつけにいく。3万円かと本人は勘違いしていたのに、お会計で片耳20万近くだとわかり、びっくりして「涙がでてきた」と泣いてしまったらしい。切ない。

4/18(日)本当はうちのママが代理で出席予定だったのに、自分が一応班長だからと、おじいちゃんが張り切って町内会に出る。93歳が歩いて集会所にいき、自己紹介したり、これからのことを聞いたり、すごいよなあ。

4/19(月)ママが仕事中の時間に、高橋さんが集金の件でうちにくる。おじいちゃんと色々お釣りとか領収書とか対応する。高橋さんの難聴問題も深刻。おばあちゃんが夕方、何かの会話の中で「おばあちゃんが病気になって、みんなに迷惑かけちゃって」とボソッと言う。「そんなことないよ」しか言えなかった。夜は一人暮らしの家へ帰る。メンタルはわりと落ち着いてきて、おばあちゃんには笑顔で行ってきますが言えた。

4/20(火)久々出社。早めに切り上げて、文明堂の高級カステラを買う。久々に、自分の時間ができて、YouTubeを見ながら夜ご飯を食べる。

4/21(水)家で仕事。19時までやり、支度して実家にまた帰る。おばあちゃんに、濡れマスクも渡す。

4/22(木)ただいま23:53。今日の日記もざっと書き終わったので、これをアップしたら続けてアップする。おばあちゃんの様子を見に行って、早めに寝よう。

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