13日目。号泣
本日も時刻は0:50と、明日になってしまいましたが。
今日は、おばあちゃんが、がんセンターの先生とお話をする日でした。ママと叔母がおばあちゃんに付き添い、先生と面談したそう(父は運転手)。
知らなかったのだが、肺にある腫瘍は「肺がん」かどうかは今はわかっていないそう。明らか何かしらの腫瘍らしいが、組織検査をしていないので確実ではないみたい。右の耳の下のリンパが腫れていてその検査結果が22日に出るのだけど、もしかしたらリンパ腫が肺に腫瘍としてあらわれているかもらしい。複雑だ。
リンパ腫は、先日橋田壽賀子さんが亡くなったのと同じ。脳裏に死がよぎってしまう。
今日、本当は今後の治療について話をする予定だったのだけど、結論はでなかった。22日のリンパの診断をみて、総合的に考えるみたいだった。
検査のことはママから色々聞いたし、朝おばあちゃんを見送る時に思ったことや、ひとりで自宅で仕事していた時にソワソワしたことや、ママがテレビをつけて「くだらないものが見たい」とこぼしたことや、おばあちゃんがカツをランチに選んだことや、おばあちゃんは無喫煙者なのに肺は喫煙者の人のように腫瘍ができてるってこととか、色々書きたいことはあるのだけど、今本当にここで残しておきたいのは「おばあちゃん、死んじゃいや」だ。
おばあちゃんがママに「年内かな」と寂しいことを言ったみたい。それを聞いて夜ご飯の途中だったけど号泣してしまった。そんなの嫌すぎる。今はまだちゃんと会話もできて、笑ったり思い出を語ったり、できているのに。たしかに体力は本当にないし、すごく小さくなってしまったし、呼吸が苦しそうでかわいそうだけど、おばあちゃんがこの世からいなくなることは考えられない。だんだんと会話ができなくなり、応答もしなくなり、もっと苦しくて大変なことになるのだとは思う。そんなのきっと、誰だってそうなんだと思うけど、今はまだおばあちゃんがそうなってしまうことが考えられないし、無理だ。
おばあちゃんには辛い思いをさせたくない。けど、矛盾するけど、頑張ってほしい。何のための頑張りなのかと聞かれたら、これはもうおばあちゃんの為ではなく、私のため、残された家族のためになってしまうのかもしれないけど。本当にどうしよう。おばあちゃんのいない世界が考えられない。
おばあちゃんが病院から帰ってきても、怖くて顔を見に行けなかった。顔を見たら泣いてしまうのがわかったから。おばあちゃんを失うのが怖い。おばあちゃんの前ではまだ泣きたくない。おばあちゃんを心配させたくない。おばあちゃんを泣かせたくない。
次の病院まであと10日。何食わぬ顔して過ごすのだろうけど、診断結果が怖い。月日が経つのが怖い。夏を無事にこして、過ごしやすい秋、一緒に紅葉を見に行きたい。冬になる前に旅行にいきたい。「年内」なんて悲しいこといわず、今年も無事に一年一緒に過ごして、来年を迎えたい。
生きとし生けるものには必ず死が待っているのだけど、まだ早い。おばあちゃんにはもっと幸せに、長生きして欲しい。
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