6日目。今日は落ち着いていた

2021年4月5日。

実家は二世帯住宅。今日は月曜日だけど有休をとったので、基本的におばあちゃんの部屋にいる。今も、おばあちゃんの部屋のリビングで、おじいちゃんの椅子に座ってこれを書いている。おばあちゃんは横になっていて(18畳のリビングのはじに、おばあちゃんのベッドがある)、たまに咳こみながらも、ちょうど寝息を立てて寝始めた。おばあちゃんの腕の中には甘ったれのワンコ2。ちなみにワンコ1は、おばあちゃんがいつも座っている椅子で丸まっている。

ここ2日くらいの間、今起こっていること、思っていることを全て覚えておきたくて、noteに記録したいとは思っていた。けど、なかなか整理がつかなかったりで。頭の中では何本も記事ができあがっているくらい色んなことを思ったのだけど、やっと、今、書けるようになった。

おばあちゃんが肺がんになった

知らなかった。こんなに身近な家族から、がん患者が出ることを。想像していなかった。よくニュース等で有名人ががんになったりするけど、家族から出る可能性もあること、1ミリも想像できていなかった。青天の霹靂だった。

おばあちゃんは長年リウマチを患っていて、喘息も持っていて、元々体力がある方ではなかった。でも、元気だった。少し買い物にでかけると「お茶して帰ろうか」というくらい。少し長く車に乗ってでかけたりすると、次の日はゆっくり過ごすくらい。そうやって休憩しながらも、元気だった。今年の1月14日で御年87歳になったので、もちろんバリバリの高齢者ではあるけれど、頭もまだクリアで、炊事や家事もまだ自分でできていた。93歳(多分)のおじいちゃんの方ばかり、おばあちゃんも家族も気にしていた。物忘れや難聴で心配や愚痴を一緒に言っていたくらい、まだまだおばあちゃんはこっち側にいて、全然現役だったのだ。

4/5、17:13。ここで速報が入った。悪性リンパ腫で、橋田壽賀子さんが95歳の生涯を終えたらしい。心臓が痛い。深呼吸。深呼吸。おばあちゃんは無反応。ここで何かこの件に触れると、私が困ることがわかったのかもしれない。もしくは、感慨深く何かを考えているのかもしれない。

4/5、おばあちゃんと二人の時間

この数日のことはおいおい記録として残していくが、今日の日記を。

(以下から、一人暮らしの部屋にて続きを記載)

今日は有休をとったのだけど、元々は仕事の予定だったので、今日やるべきことを朝まで作業し4時半に就寝。そして8時半に起きた。寝坊はしていられない。半ば焦って起床。やるべきことはたくさんあるはずだし、おばあちゃんとの時間をきちんととりたいと思い、いつもなら二度寝するところスッと起きられた。

起きたら送ろうと思っていた会社のメンバーへのSlackをそれぞれ送り、仕事のSNSを更新し、ママから今日の予定を聞く。わたしが任された(やるべきこと)仕事は以下だった。

食器洗い/洗濯物干し/夕食のお米を3合炊く/買い物(うちと祖父母)に行く/おからパウダーを瓶に詰める/洗濯物畳む/赤ポーチ受け取る(おばあちゃんのカードや現金が入ったお財布)/体重計る/工作(おばあちゃんの椅子の前に置いてある箱をくっつける)/ピアノの査定/グリル掃除

私が仕事を休めたので、ママは11時過ぎに家を出て職場へ。私はひとまずチャチャッと済ませるタスクだけ終わらせて、買い物に行くことにした。祖父母たちの欲しい物リストをママがメモっていたけれど、追加でおじいちゃんから「りんごとめんつゆ」のオーダー。その他、任された買い物リストは以下だった。

4パックのヨーグルト×2〜3/牛乳2本/流水麺/1.5斤食パン/小さいサイズのカップバニラアイス

ヨーグルト、流水麺、食パンは、おじいちゃんの朝食&昼食ルーティーンに欠かせない食品(朝はいちごジャムたっぷりトーストとバナナ、お昼は流水麺のお蕎麦ともうここ何年も決まっている)。おばあちゃんは食欲がなく、ここ最近はずっとママがご飯を用意していて、ぜんぜん食が進まず激ヤセしてしまったので、「ちょっと食べたい」と言っていたバニラアイスは、ハーゲンダッツの箱で買おうと心に決めて買い物に行った。ちょっとでもいいものを食べてほしいし、カロリーも摂取してほしいから。

買い物から帰ってくると、おばあちゃんはトイレにいた。昨日、おばあちゃんがトイレに居る時に発作が起こってしまい大変だったと聞いていたので、ドキドキ心配しながら、けど明るい声で「大丈夫〜?」と声をかけたが、大丈夫そう。安心した。おじいちゃんと一緒に食材を冷蔵庫にしまって、うちの買い物を2階に持っていきまた下に戻ると、洗面所で座っていた。少し苦しそうだけど、会話もできる。よかった。ゆっくり部屋にもどって、土曜日に浅草で買ってきた松竹梅を食べたり(やっとのことで1枚食べられたようだった)、お茶を煎れて一緒に飲んだり、比較的体調が安定していたので、束の間の休日っぽい時間が過ごせた。

おばあちゃんに頼まれたボックスを工作したら喜んでくれた。大したことはしていないけど、喜んでくれたのがわかって嬉しかった。

わたしが2回派手なくしゃみをしたら「大丈夫?」と、「一にほめられ二に憎まれ、三に褒められ(惚れられ、が正しい?)四に風邪をひく」を、「あれ?二になんだっけ?」とか言いながら笑ってくれた。結局2回しかでなかったのだけど、「二回で終わらせちゃだめだね、あともう1回は後でするってことで3回はくしゃみしなくちゃ!」と笑った。

テレビでは、事件もののドラマが再放送されていて、CMに葬儀屋さんのPRが流れたりしていた。これまでは1ミリも気にかけていなかったが、心が痛む。やめてくれ、そんな縁起でもない。おばあちゃんが自分事化しそうなそういったテーマは本当に空気を読んで自粛してほしかった。私はおじいちゃんの席に座りながらPCで作業していたので、ドラマもCMも聞こえていないフリをしていたのだけど。

おばあちゃんとの会話はできるだけ動画やボイスで残した。いつかきっとそれを見返して涙するときがくることはわかっている。だけど、今この瞬間を常に記録しておかないと、後悔する時もきっとくる。これからも極力記録していく。容量の大きいXRを購入してよかった。2年前の私ナイス。

座ったり寝たり、時々咳したり、深呼吸したりしながらも、今日は比較的落ち着いていたと思う。車で外出しているとき、ちょっと2階でご飯の用意や家事をしているとき、ふとおばあちゃんのことが心配になり、ドキドキしてしまうのだけど、今日はいつ確認しにいっても少し落ち着いていた。

夜、パパに牛肉をフライパンで炒めながら「今日はおばあちゃん比較的元気だったんだよ」と話したら「がん患者が元気になりだすのはあまり喜べないんだけどね。最後に体が〜〜〜」途中から少し涙がでそうだったが、要は最期の直前はすこし回復し、家族も「あ、このままよくなるかも」という期待してしまうことがある、という、例のがんあるあるの話だ。わかってる。そんなこと、わかってるけど、苦しい姿を知っているので、少しでも辛くない時間が長いことが単純に嬉しかった。頭の隅では「もしかしてコレって…」とよぎる瞬間もゼロではなかった。けど、今日はやはり期待してしまった。いきなり改善することは無いのも百の承知だけど、少しでも、この日常を普通に過ごすことができるんじゃないか?前の元気なおばあちゃんを思い出していた。

夜ご飯は、私が夕方から仕込んで作っていた。ママがプレートのようにお皿に盛る。トマトとシソのサラダ、オイキムチ、松喜の牛肉と野菜たちを塩コショウで、ポン酢で。それに具だくさん餃子のスープと、白米。頑張って食べていたみたいだけど、やはり完食は難しい様子。

2日間、一人暮らしの部屋に戻る

いつどうなるかわからない状況で、少しの外出でも心配なのだが、夜、一人暮らしの部屋に帰ってきた。ただいま夜中の1:15。これだけ書き終えて、寝たい。今この瞬間も、心配でたまらない。

おばあちゃんに「じゃあこれから帰るね、また水曜夜に帰って来るからね」と話しているうちから、涙が出そうで我慢していた。握手をしたりハグをしたりするのは、なんだか「最後になりそうだから」と言っているみたいで縁起が悪そうに思ってしまいできなかったけど、ちょっとだけ、自然に手に触れて、家を出た。温かい手だった。水曜は夕方に仕事で外出があるため、その準備も含めて帰ってきたのだけど、明日は仕事、手につくだろうか。集中して頑張りたい。おばあちゃんのことを思うと、心配すぎて悲しくなって、泣いてしまうから。

2日だけ、いったんこの部屋で暮らす。水曜の予定が終わったらまた実家に帰る。今日の夜から明日の昼間までは弟が帰ってきているし、母も明日の午後から連休だ。おばあちゃんに寂しい思いも、ひとりで辛い思いもしないように、みんなでサポートしていきたい。

おばあちゃん、寝られているかな?



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