
楽しいことをしたい
右手の指の皮が剥けている。痛くはない。特に中指の人差し指側、第二関節あたりが一番派手に剥けてる。続いて薬指、小指と続く。
人差し指と親指の方が使いそうなものなのに、まったくもって無事なのがなんだか面白い。
何故こんなところが剥けるのかというと、仕事で長時間包丁を握っているからだ。
ぼくはしがないアルバイトであるが、回転寿司チェーン店にてネタの切付けを担当している。デッカい柵をシャリの上に乗せる形にまで包丁で切り付けるのが仕事。一丁前に柳刃だ。
人差し指を立てて包丁を握るものだから、柄の部分と中指が擦れるらしく、いつの間にやら剥けている。
知らず知らずのうちに力が入っている、ということはよくある。集中している、夢中になっているとも言う。
作業中、絶対に包丁を取り落とすまいと力が入っているのだろう。指の皮が剥けるのはその証だ。
ぼくは指の皮が剥けているのを見て毎度驚く。こんなになるまで力を入れていた自覚がないからだ。
しかし直後には、「こんなになるまで頑張ったんだなぁ」と思い直す。同時に、マメができるのではなく皮が剥けるだけであることに「まだまだなんだなぁ」とも思う。
そういう意味では、自分の手指の状態を見るのは、自分の未熟さと頑張りを同時に知る良い機会となっている。
休日、友人の営む民泊宿の庭を借りてのバーベキューに参加した。
そこで初めて薪割りを体験。斧をまっすぐに振り下ろして太い幹枝を割る。狙いを定めること、力強く振り下ろすことの両立が難しかったが、何度も繰り返してしまうほど楽しかった。
他のBBQ参加メンバーと交代しながら薪割りを楽しんだ翌日、両手の平に合計3ヶ所、マメができそうな膨らみを見つけた。触ると痛いが、水脹れというほどではない。
あれ、マメってこんな簡単にできるんだっけ。未だ皮の剥けた跡が治らない中指を見つめながら首を傾げた。
マメというのはもしかしたら、自分がどれだけ夢中になれたかに比例するのかもしれない。
……違うと思うけど。
いつの間にかこんなに、という体験は少ない。
いや嘘だ。「気付いたらこんなに時間経ってた!」はよくある。大抵はYouTubeだとSNSだのをぼーっと眺めているような、無生産で浪費的な時間を過ごしている。
僕が言いたかったのは、何か生産的というか、成果物を生み出すような行為において、「いつの間にかこんなことになってた」という体験があまり無いってことだ。
皮が剥けた指も、半日でできたマメもどきも、僕にとっては割と貴重な「いつの間にか」体験であるが、その中身はずいぶん違っているように思う。
包丁を長時間握ることで擦れた指の皮が剥ける過程には、楽しさが無い。仕事だから仕方なく、苦手ってほどではないから淡々と、ただただ作業と時が進んでいくばかりで、飽きたら嫌になってくる。
反対に、重い重いと言いながら斧を振り上げた薪割りは、ビックリするほど楽しかった。夢中になるってこういうことなんだな、と思えるくらい、何度も「やりたい!やらせて!」と積極的に薪を割った。体力的に疲れたって関係なく、またやりたいなと何度も思った。
楽しいことに夢中になる。
今の僕の人生に足りてないものはコレかもしれない。
楽しいことをし続けるためなら、多少の疲労や苦労なんて何のその。何度だって楽しい気分を味わいたい。そんな夢中になれること、今の僕には到底思いつかないが、少なくとも切り付けの仕事ではないことはわかる。
そりゃあ、毎日仕事で薪を割れと言われたら途端に楽しくなくなるような気もするが、それでも、包丁を握って寿司ネタを切り付け続けるよりも楽しいことは多いと思う。
夢中になるほど楽しめることで、「いつの間にかこんなに」を体験したい。
いやちょっと違う。
楽しいことに夢中になってたら、いつの間にかここまで生きてた、が理想なのだ。
僕の人生、僕が楽しめるモノにしよう。
「楽しいことをしたい」。
僕の口癖になりそうだ。