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生きるための喜びと悦び

とても悲しい事があった。
生きていれば人生の中で、人格を維持できない程の悲しみは必ず訪れる。誰しもに。

私も過去に二度、リセットボタンをいつでも押せるような日々があった。

そんな経験がない人は、本当に幸福なのだと理解して欲しい。

能登然り、震災や戦争、事故や事件に於いて筆舌に尽くし難い悲しみを受容せざるを得ない人は数え切れない。

そんな渦中にある時は、誰からの慰めも耳には届かず、周りを歩く普通の日々を送る人たちから自分は隔絶された存在なのだとさえ思ってしまう。

少なくとも自分はそう思っていた。妬む事はなかったが、何故こんな運命なのだろうか、どんな理由があってこんな事になったのかと幾度となく考えた。

「喜ぶ」と「悦ぶ」という同じ音の言葉がある。

どちらも「よろこぶ」だ。

どちらも辞書で調べても明確な差は無さそうだが、最近知ったことで随分納得した事がある。

「喜ぶ」とは、誰かを喜ばせる、誰かから喜ばせてもらうという風に自分以外の第三者の介入がある。

一方で「悦ぶ」とは自分自身を悦ばせるという側面がある。

そこが違いなのだと知った。

人から喜ばせて貰うのは、ハッキリ言って運や周りとの関わり方に影響されるので意図的には起こり得ない。

しかし自分を悦ばせる事は、何とか少しでもやれるように思う。

それは食事だったり、欲しいものを買うことでもいい。ほんの小さな事であろうと能動的に発生させる事が出来る。

もっと言うと喜怒哀楽の中で「よろこぶ事」だけは、意図して起こせる気がするのだ。

何故こんな事を書くかと言うと、人生をリセットしたくなった時に「よろこび」を敢えて果敢に行う事で、少しでも生きる事への熱量が生まれるからだ。

これを読んでくださる方の中には悲しみを抱えている人もいると思う。

そんな時はどうか少しでも自分を悦ばせてあげて欲しい。

景色を見るでも良し、美味しいカプチーノを飲むでも良し、自分から意図して自分を悦ばせてあげて欲しい。

それを重ねていけば、どうにかきっと悲しみに立ち向かう気持ちが少しずつ育つと思う。

頑張って欲しい。

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