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流産後、夫との温度差が苦しかった

先日、初めての妊娠が流産に終わってしまったことを書きました。

手術を受けてから1ヵ月ほどの間は、本当に苦しい時間が続きました。1日のうちに何度も、(もしまだ今も妊娠し続けていられたら…)と考えては、ポロポロと泣いていました。

私は高校生の頃から10年以上、ほとんど毎日日記を付けています。けれど、流産が発覚してからの数週間は、何も書いていません。当時は自分の感情と向き合うこともできないくらい、現実を受け入れたくなかったのだと思います。

そんな中、もう一つ苦しんだのが流産に対する夫との温度差でした。夫は流産が発覚した時も、手術後も寄り添ってくれ、労わってくれました。

けれど、私が中々悲しみから立ち直れずにいる中、すぐに前を向き始めた夫との間に温度差を感じ、苦しんだ時期がありました。

手術から間もなく2ヵ月が経とうとしている今は、心身ともにだいぶ回復し、夫との仲も良好です。ようやく当時の感情を振り返られるようになったので、記憶が鮮明なうちに書き残しておきます。

悲しみ続ける私と、日常に戻っていく夫

流産手術後しばらくすると、夫はクリスマスやスノボの計画を立て始めました(手術を受けたのが12月でした)。

私の方は、楽しいことを考える気持ちにはなれず、夫からそうした計画を持ち掛けられるたびに、(クリスマスもスノボもどうでもいい…)と思っていました。

当時の私は、早く立ち直らなきゃと思う一方で、赤ちゃんがいなくなってしまったことを済んだことにされたくない何事もなかったかのようには過ごせない、という矛盾した気持ちを抱えていました。

流産の辛さの一つが、気軽に話せる話題ではないため、周りにも伏せたままひっそりと乗り越えるしかなく、孤独な点です。だからこそ、悲しみを共有している夫婦2人の間で、苦しみを分かち合いながら、少しずつ乗り越えていくしかありません。

当時の私は、夫に対して、流産のこと、赤ちゃんのことを一緒に考えて欲しい、と思っていました。しかし、夫からその話題を出してくれることはなく、口を開けば遊びの計画ばかりでした。

次第に、私は夫と話すたびに、(悲しんでいるのは私一人だけなのでは)という気持ちを募らせていきました。2人の間に来てくれた命なのに、悲しみ続けているのは私一人で、夫がもう日常に戻っていることが悲しく、腹立たしかった

一日のうちに何度もまだ涙を流している私と、何事もなかったかのように過ごしている夫。次第に私は、自分がまだ悲しんでいること、苦しみ続けていることを夫に話せなくなっていきました。


夫は何も失っていない

夫との温度差を感じる決定打となったのが、居酒屋での会話でした。数ヵ月ぶりに外でお酒を飲み、途中までは楽しく話していたものの、酔った夫が仕事の愚痴を言い始めたときに、スーッと冷める気持ちになってしまいました。

当時の私は、手術後の有給休暇から、仕事に復帰したばかりでした。突然何日も休んだ理由を同僚から聞かれても、仕事中に突然涙ぐんでしまうことがあっても、表面上は何とかごまかし、何事もなかったかのように業務をこなしていました。それでも、同僚と雑談をするような気持ちにはなれず、必要最低限のコミュニケーションを取ることに徹していました。

流産とその後の仕事復帰の辛さは、仕事に対する考え方や優先度が根本から揺らぐような経験でした。と同時に、何日も消費した有給、突然休んだことによる職場での気まずさ、業務のしわ寄せなど、短期間のうちに色々なものを失ったとも感じていました。

一方で夫の方は、何も変わっていませんでした。夫は、職場で私の妊娠についてはまだ誰にも伝えていなかったため、上司に説明する必要もなく、仕事を休むこともなく、業務の遅れを気にする必要もありませんでした。

居酒屋で夫から仕事の愚痴を聞いた時、(あぁこの人の日常は何も変わっていないんだ…)と、自分の心が急速に冷たくなっていくのを感じました。流産という同じ出来事に対して、夫婦であっても、一変したのは私の日常だけであって、夫は何一つ変わらない生活を送っているんだ、と思った時に、絶望に近い感情を抱いてしまいました。

居酒屋でのその会話をきっかけに、私は、夫に対して心のシャッターを下ろしてしまいました。夫からしたら、それまで普通に喋っていたのに、いきなり不機嫌になった私の態度は意味不明だったと思います。

その日から、それまでと同じようには夫に接することができなくなってしまいました。私が理由も言わずそっけない態度を取り続けたことで、夫も腹を立て、お互いに必要最低限の会話しかしない冷戦状態に陥りました。

続きます。





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