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暑夏の自由研究【狛犬のルーツ】


友人になぜか頼まれる

友人と電話していた時、唐突に、神社にいるあの狛犬について調べてくれないかと頼まれた。暇人のにおいがしたのかもしれない。

友人いわく、
狛犬は一対で、一方は阿形(あぎょう。つまり口を開いている)、他方は吽形(うんぎょう。つまり口を閉ざしている)であるのが一般的だ。ところで、運慶・快慶によるものが有名だが金剛力士像もまた、一方が阿形、他方が吽形である。
両者には何か関係があるのだろうか。

というわけだ。私は狛犬なんていっさい興味がなかったけれど、まんまと好奇心をつつかれて、自由研究することにしたわけである。

阿吽とは

そもそも、「阿吽」という不思議な言葉だが、もとはサンスクリット語に由来するそうだ。阿はアルファであり、吽はオメガだ。宇宙の始まりと終わりを表す。

素人考えだが、アはなんとなく入口を、ウンは出口を表しているような気もする。
サンスクリット語で「呼吸」を意味し、転じて「自我」や「生命」を意味するようになった「アートマン」という言葉が、アに始まり、ンに終わっていることも何か関係があるのだろうか。

上の友人によると、阿吽と、キリスト教における「アーメン」の類縁性も気になっているらしい。それはまた別の機会の課題としよう。

全国の多様な狛犬

手始めに、上の『狛犬さんぽ』という本を手に取ってみた。すると、多種多様な狛犬がいた。狛犬どころか、キツネやサルまでいる。なんたることだ。

伏見稲荷大社の「狛狐」(「京都ガイド」より)

ともあれ、全国各地の職人それぞれの様式があるらしく、いろいろな狛犬のヴァリエーションが展開しているようだ。

私もちょっと、ふと思い立って出先の神社の狛犬を訪ねたりもしてみた。

こんな、りりしい奴がいた。

話によると、逆立ちしている狛犬も中にはいるらしい。とにかく全国津々浦々、遊び心にあふれている。

カジュアルにもほどがある。漢字から仮名文字を生み出した、日本文化の心性がここにも反映しているのかもしれない。

さて、狛犬のルーツ

無から狛犬が湧いたわけではない。

じつはこの『狛犬さんぽ』を読んで、狛犬のルーツがあまりにあっさりとわかってしまった。
そして驚いた。

狛犬をさかのぼっていくとなんと、古代エジプトにまで辿りつくのだ。
急ぎすぎるまい。落ち着こう。
その前に。狛犬はそもそも、一方は犬ではなかったのだ

ツノがなくて阿形のほうはなんと獅子(ライオン)というではないか。
ツノがあって吽形のは、だ、狛犬(コマイヌ)だ(コマ(高麗)というからには、朝鮮半島となにか関わりがあるのだろうか?)。

そう、エジプトにまで辿りつくと書いた意味は、狛犬のルーツはエジプトの獅子崇拝に由来していたということだ。

つまり、ピラミッドの近くに鎮座するスフィンクスの親戚ということだ。

その獅子崇拝が次には古代オリエントに伝わり、ライオン像を魔除けの霊獣として置くようになった。

それがさらにさらに古代インドに伝わり、仏教と習合。たしかに、仏像が坐っている台座の下に、獅子が控えているものがある。

マトゥーラ(パキスタン)の仏像。獅子が3頭見える。(karakusamon.comより)

中国を経由して日本に伝わったのは、飛鳥時代聖徳太子の時代である。
ちなみに、百済より仏教が公伝した(もっとも、私的にはすでに仏教は日本においても信仰されていた)のは、538年説が有力とされているようだ。
飛鳥時代は、推古天皇元年(593年)から約100年間つづく。

最初は左右で違いがなかったらしいのだが、平安時代にはすでに、獅子と狛犬で一対となっている。
京都に、狛犬の原型となった絵が残っているらしい。機会があったら見にいってみよう。

そして神仏習合とともに、いつのまにか神社のものとなってしまった狛犬だが、もとは仏教とセットで到来した。だから、金剛力士像ともかなり親近性がある。いずれも、元はといえば魔除けのライオンだったのだ。

奈良国立博物館HPより「獅子」。13世紀の木彫像。素人目には狛犬と区別がつかない。

ちなみに、沖縄のシーサーは複雑な屈折を経ることなく、獅子→シーサーと訛った。なまじ権威的な宗教と習合することなく、ひろく世俗化した。

人からの頼まれごとは引き受けてみるのも悪くない。いわゆる「誤配」というやつだ。思いもよらない事実が次々とわかって満足。神社を訪れる楽しみがひとつ増えたのはよいことだ。


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