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母がnoteをがんばっている話

いつだって、嬉しかったことを1番に話したいと思うのは母だから。

今回も、私のnote初投稿の際に起こった、私にとっては奇跡のような出来事を話さずにはいられなかった。

私の初投稿は、noteでエッセイを書こうと決めたきっかけについて語ったものだ。潮井エムコさんのエッセイをnoteで読んで、感動して自分もnoteを書いてみようと思ったという旨だが、ご本人である潮井エムコさんがこの投稿を見てくださりコメントをくださったのだ…!
好きな文章を書く人から自分に向けた文章を貰えるなんてこの上ないプレゼントだ。年末の激務でささくれていた心に、久々に栄養が行き渡ったようにワクワクしたのだった。

私は、母ならこの感動をわかってくれるという自信があった。noteというサイトがどういうサイトで、どういうことを書きたいか、そして潮井エムコさんからコメントをいただいたことの興奮を、noteの存在も知らなかった母に頑張って伝えてみた。

母はまず、私がエッセイを書きはじめたことについて、とても喜んでくれた。

『あんたの昔の古いノートにお話が書いてあったのを読んだことがあるけれど、すごく面白かった。向いていると思う!!!』

母は私に対し、思っていることを正直にハッキリと言う。
だから本当に向いていると思わなければ言わないだろう。身内とはいえ自分の文章を1人でも面白いと思っていてくれる人がすでに1人はいるのだと思ったら、それはとても大きな自信になった。


『それでさ…』

実は私がこの話を母にしたかったのは、単に嬉しかったことを伝えたいだけではない。

『ままも、エッセイを書いてみたらどうかな?』


思えば私の作文の師匠はずっと母だった。

小学生のときの読書感想文も、中学生のときの人権作文も、よく『何が言いたいのか分からない!』とけちょんけちょんに言われたけれど(笑)。
それでも決して手を抜かない母は、ボロボロの状態の作文から何回も添削をして私が作文を完成させるまで寄り添ってくれていた。私は添削をしてもらいながら母と話しているうちに『本当に言いたいこと』が頭の中で整理されていくのを感じることができ、段々と文章化できるようになった。
最終的に仕上がった作文は学校で褒められることも多かった。褒められると文章を書くことがどんどん好きになって、今のnoteを書く自分に繋がっているのだと思う。


私の紡ぐ文章は全てといっていいほど目を通してきた母だが、考えてみれば母がどういう文章を書くのか知らない。
節目節目で手紙をもらうことはあったけれど、母が自分のことをパブリックな場所で表現するとき、どんな言葉を紡ぐのだろうと、自分がnoteを再開するようになってからとても気になっていたのだ。

私が提案をすると目をキラキラさせて、
『え!!私にも書けるかしら!!』

『2023年は新しいことに挑戦したいと思っていたし、私にもエッセイが書けて読んでもらえたらすごく楽しいかもしれない!!!』

とすごくポジティブな姿勢で興味を持ってくれた。

母のすごい所は若者の中で流行っている文化や知らないことも、興味を持てばすぐに調べて取り込んで、私たちと同じように使いこなしてしまうところだ。インスタグラムだっていつの間にか覚えて、今では同世代のインスタグラマーのブランドで洋服を買っていたりして、私よりもインスタでの情報収集が上手なのでは?と思うときもある。

母は早速その場でnoteのアプリをスマホにインストールし、会員登録までちゃちゃっと終わらせてしまった。さすが。

noteの基本操作やしくみだけは軽く教えて、あとは『すきなことを自由に書きなよ』と言って母のやる気に委ねることにした。

私は実家を出て一人暮らしをしているが、母とは同じジムに通っているため週に一回は顔を合わせる。
私がnoteを教えてから、会うたびに母はnoteの話をするようになった。

『いまこの話を書いてて』
『なっちゃんはいつ書いてるの?』
『昨日は寝る前に執筆していたらあっというまに2時間経ってて』
『いまどんな話を書いてる?』

noteという新しいコンテンツに取り組む母はとても楽しそうであった。
そして私も執筆仲間が出来たようで嬉しかった。

最初はお互いのアカウントを教えていなかったが、しばらくして記事が溜まってきたのでお互いのアカウントを教え合ってフォローをした。

初めて読む母のエッセイだ。

母のエッセイの中にはいろんな時代の私や弟が居た。私が生まれた時の様子が書かれていたりもした。たしかに自分のことが書かれているのはわかるのに、母の目線で表現されてエッセイの中にいる自分を客観的に見ている自分もいて、なんだか不思議な気持ちになった。

母は『子どもたちのことを記しておけば、いずれ自分がいなくなっても形として遺せるものになると思ったんだよね』と言った。私と弟への、言葉のプレゼントでもあるということなのだろう。

この私が感じたあたたかさはどう表現したらよいのだろうと思ったとき、私の初投稿に潮井エムコさんがコメントしてくださったときにこんな言葉をくださったのを思い出した。

たくさん読んでいただけて、そしてなつみさんの気持ちに抱きしめていただけて、全部がとてもとても嬉しいです。
潮井エムコ様からいただいたコメントより一部抜粋


潮井エムコさんの言葉を借りれば、私も母の気持ちに抱きしめてもらったということだ。
この言葉がとてもしっくりきた。

改めて、文章って、言葉ってすごい。

noteを始めてから、私はたくさん言葉のプレゼントを貰っているなと思う。


そして、母のエッセイ私や弟の『母』としてではない一面の話が読めるのも面白い。

母の最近のホットな記事である。

母が『昭和の女子中学生』だった時代のバレンタインの出来事がエッセイになっているのだが、母の少女な一面を垣間見てとても面白かった。

母の新しい投稿を見ると、負けず嫌いの私も『早く新しいエッセイを書き上げなきゃ!』と熱が増す。そして最近はお互いのエッセイを『ここをこうしたらいいんじゃない?』と添削し合ったり感想を言いあったりするようになった。
かつて私の作文の師匠であった母と、同じ目線で言い合えるようになったのはなんだか感慨深い。

私は、自分のエッセイを読んでくれた人に『気持ちで抱きしめる』ようなあたたかさを感じてもらえるような作品を書けるようになるのが今の目標だ。

まだまだ修行中ではありますが、母娘共々、
読者の方々に成長を見守っていただけたら幸いでございます。



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