ワンキンス退職記~弊社罵倒編~

 最澄は人を殺さずにいるのは善人だからではなく、殺さずに済む環境で過ごしているからだと説いた。
 最澄じゃなかったかもしれない。いや多分最澄だ。

 このことから得られる教訓は善でありたければ環境を変えるべきだということだろう。
 ブラック企業に骨髄まで黒く染められバイオレンスな気分になっている諸兄姉におかれましても最澄理論を持ち出して上司の口へと退職届をねじ込んでいただきたい。

 だが目鼻口へ退職届をねじ込むだけでは恨み冷めやらぬという人々も多いであろう。かくいう私もその手の怨恨を引きずる人間である。では私が上司のどの穴へ退職届をねじ込んだのか、あまり詳細を述べると1億の日本国民うち多くとも数十名にしか届かぬであろう個人的日記帳と化したNoteでも営業妨害でしょっ引かれるリスクが宝くじ当選くらいの確率で発生するため、詳細は伏す。

 その代わりに上司のあんなところやこんなところへ退職届を詰め込むに至った経緯経験の類を羅列していこう。

 弊社は黒毛和牛の生産および飼養管理を主な業務とする牧場企業である。長いので略すと黒企業だ。
 人間にとっても黒々とした待遇と環境なのだが、これは牛にとっても同様である。

 牛の飼養管理といっても人それぞれ。
 ブランド牛産地でも上と下は天と地ほどの差がある。
 
 さて、一応弊社も自社ブランドとして肉を売っているのだが、弊社の飼養管理は地に足がついてしまっている。
 高校時代以来とても温厚で仏のような笑顔を売りにしてきた私ですら
「たまに話しかけるのを戸惑う顔をしている」
 と評されるほど劣悪な飼養環境なのだ。

 言ってしまえば昭和の刑務所。いや、江戸時代かもしれない。
 最も驚いたのが扇風機である。
 黒毛和牛は高温に弱く、低温に強い。日本とは古来鬼のような寒さが特徴的な土地であり、そんな場所で生きる者たちは嫌でも寒さに強くなるものだ。

 しかし真冬の1月、気温が零下10度を下回るような日でも弊社では扇風機をぶん回しているのだ。やりすぎである。犯罪者に残酷な私刑を下すSAWという映画で似たような処刑があったように思う。冷凍庫の中に全裸で吊るして霧吹きをかけるというものだ。無論、やられた人は凍死した。
 牛も言っちゃあれだが毛深いだけで全裸である。冷凍庫に匹敵する気温の中、全裸に扇風機を当てる。
 その理由は堆肥を乾かすため、とのことである。

 意味不明である。
 ガチガチに凍っている堆肥に風を当てたら堆肥が乾くというのだろうか。否、よりガチガチに凍るだけである。
 そしてガチガチに凍った堆肥は富士8合目と見紛うほどゴツゴツした堆肥氷山と化す。だというのに敷き藁も何も無く、牛たちは岩の上で眠るのだ。その様子を見ながら従業員の一人と話をしていた。その人はもともと自営農家であり、経営を中止する際に弊社へ牛を売った人だった。
「なんて所に売ってしまったんだろう、って、すげぇ後悔したよ。心がすげぇ痛んだ」
 眉を寄せてそう語る姿を見て思わず泣きそうになったのはここだけの話である。

 ここの牛舎は大型ゆえか壁が無く、ただ柱と床と屋根があるだけの作りだ。
 そのため雪が吹き込む。吹き込む雪は扇風機で直下の牛たちへ吹き付けられ、黒毛和牛は粉砂糖を振ったブラウニーのような状態になる。そして自身が発する呼気は凍り付き、ヒゲがシベリアの針葉樹じみて白く染まる。

 しかし扇風機は止まらない。狂った上司の息の根を止めない限りこの扇風機は止まらないのだろう。ではもう上司から止めるしかないのか。そんなことを考えているとシャイニングのお父さんみたいな顔になってしまう。うっかり手斧で事務所の扉をぶち壊し「お客さんだよ!」と叫ぶ前に友人へこのことを愚痴った。畜産農家の友人は私以上に怒っていた。
 ああそうだ、これが普通の反応なのだ。申し訳ない話だが怒っている友人を見て少し安心した自分がいる。この牧場で働いていると倫理観がマシュマロめいてフワッフワになっていくのだが、友人のお陰でここの空気に飲まれることなく自我を保つことが出来た。良い友を持ったものである。

 弊社の悪行三昧は扇風機による拷問にとどまらない。
 極寒東北に位置する弊社で堆肥の岩山が峰をなす理由となるのが敷料である。牛舎には床に何かしら敷くものだ。通常はおが屑、モミガラ、稲わら等を敷く。これはコンクリート床で牛が滑って怪我をしないように、そして冷たい床に座って体調を崩さないようにというのが主な理由である。
 では弊社は何を敷くか。堆肥である。
 熟成した堆肥というのは土とさほど変わらない。ゆえに熟成した堆肥を再び敷くのである。
 だがこの熟成堆肥、劣化が非常に速い。そしておが屑やモミガラと違い、堆肥が積みあがるにつれて粘土のような状態になるのだ。ある従業員は粘土状になった牛床をストレートに田んぼと表現した。
 加えて粘土は凹凸を作りやすい。普通の敷料であれば牛が歩くことである程度水平に均されるのだが、粘土は歩いても穴が開くだけだ。ゆえに坂が発生してそこへ寝っ転がった牛がハマり、起き上がれなくなる事態が発生する。起き上がれなくなった牛を起こすのは私の仕事である、私の仕事が増える。
 そして足場が悪いので起こすのにも難儀するというわけだ。もう最悪。

 この牛舎内堆肥散布という蛮行を指示するは我らが場長である。
 最近はもう熟成堆肥どころか生堆肥、ほとんど出したばかりと変わらない堆肥を使い始める有様だ。この堆肥を出して堆肥を入れるという穴を掘って埋めるような拷問作業は従業員たちを大いにフィーバーさせた。上司の痴態ここに極まれり、やれ無能だ馬鹿だと嘲笑吹きすさび、私もこれを琵琶法師が如く場内に歌い上げた。今や堆肥を出して堆肥を入れたという西洋喜劇顔負けの滑稽事案は全従業員が知るところとなったのである。
 その甲斐あってか生堆肥を使うことは無くなったようだ。出来れば事務所に籠って七味とうがらしを一味ずつ仕分ける作業に従事してほしいと願うほど我らが上司は牛飼いを知らない。いや、知っている牛飼いがあまりに古く、洗練とは程遠い完成度なのだ。

 それを象徴するのは彼の主導した寄生虫駆除である。
 寄生虫といっても言葉ほどおどろおどろしいものではない。だが軽んじていいものでもない。
 シラミという虫がいる。牛の毛や皮膚にくっついて血を吸ったり、角質を食ったりする寄生虫のひとつである。これが非常にカユいらしい。らしい、というのは牛の様子から察することしかできないからだ。痒みの程度は牛に聞くしかないが、少なくとも飯を食う量が減少する程度には痒いようである。

 このシラミであるが、秋と春に駆虫剤を一斉投与することで簡単に防除可能である。
 投与といっても薬を瓶に入れてゴキュゴキュ飲ませるような手間のかかるものではなく、背中に液剤をピャっとかけるだけだ。

 我らが上司は背中にピャッと薬液をかける作業すらサボった。
 
 農薬散布用の機械がある。
 よくリンゴ農家などが果樹園に農薬を散布するときに使うものだ。
 こともあろうか、その散布機を利用して駆虫剤を散布したのである。

 当然、散布機は牛の横を走る。散布された駆虫剤は水平方向から60°程度の角度で散布され、牛へ降りかかる。
 するとどうなるか、一番前に居る牛に薬が殆どぶち当たり、その後ろに居る牛へは殆ど薬がかからないのだ。

 場長が現場従業員5名を引き連れて実施した冬季寄生虫一斉防除は笑ってしまうほどの愚行であり、牛たちが脳の血管を破裂させながら中指をブチ立てる程度には効果が無かった。ちなみに牛の中指にあたる部位は内側の蹄である。
 それを見た社長は
「やっぱ一回じゃ効果ないか~草草草」
 と笑っていた。無論私は彼に心の中で中指をブチ立てる。
 こんなアホみたいな作業一日一回、365日やっても効果ねぇわ。そう言いたいのをグッと抑えて、彼らが愚かであり続けることを願う。牛には申し訳ないが、その方が都合が良い。

 牛に害をなす生き物はシラミだけではない。
 一番は場長、二番は社長、そして三番目に寄生虫。
 四番目くらいにカラスが挙げられるだろう。
 
 弊社は山に囲まれており、立ち並ぶ木々はカラスの巣になっている。
 カラスが時と場合によっては害鳥の王として君臨するのはよく知られた話である。しかし弊社のカラスは一味違う。

 牛を踊り食いするのである。
 どういうことか、そのままである。牛をつついて、つついて、肉を食い、血を啜る。もはやTウイルスに冒されたゾンビ鳥かと思うほどクチバシを赤黒く染めるのだ。非常に痛そうなものだが、牛は抵抗しないのだ。それはなぜか、恐らく体が痒いからだ。シラミの痒さというのは血がにじむほど皮膚を擦り付けてもなお痒いものらしく、カラスが多少つついた程度では痛気持ちいいくらいなのだろう。
 最初は巣材確保のために牛の毛をむしっていたカラスたちも黒毛和牛という未知の美食に目覚めたら最後、バイオハザードの始まりである。
 
 軽傷なら血が出る程度なのだが、重症になると穴が開く。あまり想像しない方が身のためである。私もこれ以上語らない。


 食い物関係で話を広げると臭い飯というものがある。勝手にこう呼んでいるのだが、弊社名物のひとつだ。

 シンプルに説明すると堆肥が混ざった飼料である。
 弊社は牛の数に対して設備も人も技術も知識も足りていない。足りているのは堕落と悪意と無能な上司くらいだ。それゆえ、牛が暴れるなどして餌の中に飛び散った堆肥は時折放置される。特に弊社は若者に鞭打つ気風があり、一番若手の従業員が担当する牛舎はボロボロ、牛の居る廃墟状態。それなのに追加の仕事を鬼のように与えるため餌を清潔に保つ時間が無いのである。

 牛が餌を残すというのは健康上の理由がほとんどだが、廃墟牛舎は堆肥の混入が理由の8割を占める。スコップで餌をひっくり返すとキナコをまぶした10円玉オハギみたいなのがコロコロ出てくる。これでは食欲も失せるというもの。というかこれを食う脊椎動物など思い当たらない。

 一度このオハギをすっきり掃除しようと頑張ったのだが、他の従業員2名の手を借りて1時間残業した。とんでもねぇ作業量である。これを防ぐためには定期的な堆肥出し、牛房と餌場の境に壁を作る等の対策が考えられるが、弊社はそんな手間のかかることをしない。粗製乱造こそが正義なのだ。

 ここまで書いて私が何故弊社を辞めるに至ったか何となく理解していただけたと思う。
 どれだけ茶化して書いても殺意あふれる闇ブリーダーのような牧場なのだ。

 極めつけはその倫理観にある。
 牛が死んだところで
「仕方ないよね~」
 という空気が流れる、この倫理観の欠如が決定的な退職理由だ。

 そして場長は死体を処理施設へ運ぶ。
 この運搬作業は弊社従業員たちから「ドライブ」と呼ばれており、現場仕事が嫌いな場長は嬉々としてトラックを回す。

 まるで牛の死を喜んでいるような雰囲気を現場のトップが漂わせているのだ。

 これは致命的である。もう真っ当な牧場になることはないのだろう。
 然るに、環境を変えるしかない。変わらざるを得ない環境にするしかない。

 あまり語ると営業妨害で云々なので詳細は伏す。
 一つ確かに言えることは、私が弊社を退職するということだけだ。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?