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これでいいと思える生き方がしたい

こんばんわ。ゆうみです。

昨日のnoteがあまりにまとまらなさすぎて、今日は、ほんとうに書く気がしない。

前はもっと書きたいことがあったし、うまく書けたのに、とか、誰からも感想が来ない低レベルの駄文日記を続けても意味がないとか、またとりあえず続けている自分を見ないで、否定する言葉が浮かんでくる。

誰かに認めてもらえなくても、誰にも評価してもらえなくても、自分が好きだったらやる。

ただそれだけでいいのに、わたしにはスキルが足りないから、と、日本語教師の資格を取ったり、心理学を勉強したり、自己啓発の本を読んだりしてきた。

よく言えば、向上心があるんだけど、たぶん、これまで、今の自分に◎を付けることができていなかった。

「わたしはもっとできるはずだから」と、心の中で思っていても、「このままじゃ足りない」と、手を替え品を替え、学んできた。

だから、結局、「わたしはできない」が現実化しているのかもなぁって思った。

完全にSNSを断って2年半。自分を整えるのに、2年半もかかった。

そう友人に話したら、たった2年半だよ!と言われて、そのとき、また無意識に自分に高いハードルを課していたなぁって気付いたの。

わたしの今のnoteは、正直、わたしだけが楽しくて、発散していて、テーマも一貫性もなく、書きたいときに書きたいことを書き殴っている。

でも、読み手が楽しい文章を書けているか?というと、そうじゃないと思う。

なのに、申し訳ないくらいレベルの低い記事を出しても、スキを押してくれる人たちも確かにいて、応援してもらえてる、1人じゃないと思える。

今のわたしは

何の成長にも繋がらないし、誰の役にも立ってないし、時間の無駄だし、誰にも認められなくても、本当に好きだと思うこと、今やりたいことをやる

そういうフェーズな気がしている。

今はとにかく、書く。

書きまくったら本当の自分が見えてくるかもしれない。

いつかわからないし、一生見えないかもしれない。

それでも今この瞬間に自分が癒されてるなら、それでいい。

わたしはよくやっている。

こんなに取り止めもなく、読み手に何も提供できない、記事を量産することが恥ずかしい。

ほんとうは内容を練って、質の高いものに仕上げたい。

だけどそれをやってしまうと、またわたしは、「何か」を、期待して「見せかけだけのきらきら起業女子」に戻ってしまう。

本質を見失うくらいなら、恥を晒す方がマシだ。

優しい嘘よりも、きつい真実の方が好きだ。

今日は文章も推敲しない、脳内垂れ流し日記。



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