「嶋田 大井川駿遠」−人足への信頼が一番大事−『東海道五十三次』
最近頑張っていることがあり、それを黙々とこなしていた今日です。
ある講座を受講して資格をゲットしたいと思っています。
やはり何かに集中している時間は人の充実したインスタグラムの投稿を見ているより心が綺麗になります、、、。
最近は人が充実している様子を見ることを意識的に避けているので友人が何をしているとか誰といるのかの情報がゼロで、今後会う友人ですら初歩的なことから話が始まりそうです。笑
「会話が増えるならいいじゃないか!泣」と開き直りかけている今日も広重。今回は『東海道五十三次』の「嶋田 大井川駿岸」です。
◼️ファーストインプレッション
これまでの作品の中でもかなり俯瞰した視点から描かれていますね。
ここが大井川であることが副題からわかります。大井川は名前の通り、非常に大きな川であることがこの視点から表現されているような気がします。
確かに、この大きな川を中洲に立って富士山を眺めるように描く方法を広重は取るとは思えないなと思います。
こうして大胆に表現しながらもしっかり細々したところまでこだわっているのが広重だなと感じます。
川が右上から左下に向かって流れているのに対して人間の列が右下から左上に向かって連なっています。
こうして交差させることももちろん、対角線に向かって物を配置することでその先にももっと続いているような視覚的な錯覚を起こさせますね。
大井川自体、非常に大きな川であることがこの絵だけでもよくわかりますのでここを渡るのは非常に難しいことが予想されます。
これだけ人が多いのは、きっと川を渡る専用の人間が常駐していたのではないでしょうか。
絵を見る限り上半身裸の褌の男性たちがきっとその役割を果たしているのでしょう。
その半裸の人たち以外は旅人であるか、武士であるか、少しだけ見分けがつきやすいようにデフォルメされていますね。
いろんな職業の人たちがここで一時的に待機することで物語も生まれていたのではないかと思います。
今回はこの大井川の渡しについてよく見ていきます。
◼️嶋田 大井川
以前は安倍川がありましたが、またもや大きな川が登場するなんて東海道の旅路も歩くだけの簡単な物ではないことを思い知りますね。
この湾曲しているのが大きな大井川。地図の真ん中より少し左にある「島田宿大井川川越」とありますね。
そこがきっっと渡し場で、東海道だったのでしょう。
一番川幅が広いところと言っても過言ではなさそうですが、もう少し幅の狭いところでも可能性はありそう。でも広所の方が流れが緩やかだったりしたのかな。
ちなみに副題の「駿岸」は駿河川の岸ということで、まさに地図の上半分の陸地のことですね。因みに反対側は遠江国が待ち受けているということで、少しずつ旅の後半戦が始まることを予感させますね。
今回の絵でこの人々は大名行列の人々であると参考書に書かれています。
確かにこの人数はただの旅人たちが集まってできた物ではないことはわかります。
なので持ち物が非常に多いし、槍や弓など、武具を備えているのに加えて台所用品だったり衣服、家具などもこの箱のどれかに入っているのでしょう。
◼️大井川の渡し
大井川、絶対どこかで見たことがあると記憶を辿ってみると北斎の『富嶽三十六景』「金谷ノ不二」で見ていました。
やはり、どこをとっても荒れ狂って大きな川ですね。
この日が特別大きな波である可能性よりも、この波がたつ可能性の方が高そうなのでここを渡るための職人が必要なのは納得です。
渡しのための人足はやはり褌一丁ですね。
広重の『富士三十六景』「駿遠大井川」です。
広重は北斎ほど荒波を描かないようですね。
北斎が視覚的な刺激を狙った可能性が高いのでそこは広重の写実性に信頼を置いてみましょう。
やはり褌一丁と思われる男性たちが輦台を担いで人々や荷物を運びます。
胸の高さまで水位があり、非常に命懸け。
確かに正面を向いている男性3人は顔を険しくして息を切らしているようにも見えます。
広重の『大井川連台渡之図』です。
なかなか大迫力の一枚。
川の広さの先に大きな富士山が待ち受けていることがよく伝わってきます。
人足たちが列を成して対岸に向かってゆっくり歩みを進めている動きが伝わります。
偉い人が輦台に乗せてもらって、あとは肩車。ここを渡るのがいかにチームプレーなのか、人足への信頼が大きな物なのかが非常にありありと描写されていますね。
今回は大井川についてと大井川の渡しを描いた他の作品をみていきました。
今日はここまで!
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