となドル感想(裏)

表の感想は、ちゃんとした感想文だけれど、こちらは完全に自分を投影したバージョン。心理面でやや大きめの欠陥がある人なので、内容はちょっとヤバいかもしれません。てか、確実にヤバいです。
正直、本は全然関係ないかもですww

僕も、自分の脳内を曝け出すみたいな感じになるので、少しばかりの覚悟を決めてはいますが…。


ひとつめ。

主人公の蓮くんは「なんでも中途半端であった」ということに、ドキッとした。

今までの自分を考えると、けっこう中途半端で終わってしまうことが多かったと思う。例えば高校時代にやっていた将棋も、高2でそこそこの結果を出してから、幽霊部員になった。もっと長くちゃんとやれば、3年生でももう少し良い結果が出たのかもしれない。
極め付きは大学入試で、遊ばずもっと勉強をしていれば、大学合格も夢ではなかったのかもしれない。

現在の僕の大学の学びを考えてみると、あと数ヶ月で研究室配属が迫ってきているのに、「何がやりたいのか」が決まっていない。なんだがこのままだと、大学院とか卒業研究とかも中途半端になりそうで怖い。

だからこそ、今大学でやっているサークル活動は、自分が納得いくところまで突き詰めたいと改めて思った。サークルの第一線から退くまで残り数ヶ月だが、最後まで妥協せず駆け抜けたいよね。
今僕がこっそり進めている企画も、納得したものが実現できるように…。

   

ふたつめ。

先日、ただ普通に世間話をしていたときに、ふと過去のトラウマを思い出した友だちがいた。
よく悩みとかを互いに打ち明け合い、相談し合うような仲だったので、何かしてあげたかたった。

でも、僕は何もできなかった。余計なことを言って、また崩してしまいそうだったからだ。
そのときに一緒にいたほかの子が励ましていたけれど、僕はただ友だちの言葉に傍で頷くことしかできなかった。
僕にも何かできることはあったはずだったのに……

みるふぃーが過呼吸になった場面を読んで、そのことを思い出してしまった。
何もできなかった自分を思い出し、悔しくなった。

蓮くんもこのときの言動が「正解」だったとは限らない。また層を積み重ねてしまったからね。
自分の場合、あのときの「正解」の行動とは、何だったのだろう???
 

  

みっつめ。

この本を読み終えた直後は、スマホのバッテリーも無くなって、他の読み物もなく暇だったので、いろいろ考えながら電車に揺られていたのだが…

「みるふぃー」でも、「香澄」でもなく、本当の「私」になりたい

思えば、自分も「呼び方の違う2種類の自分」がいると考えたら、現状がいろいろ説明ができた。

小中学生の頃は普通に下の名前で呼ばれていた。特にクラスで目立って勉強ができるわけでもなく、身体は弱かったけれど、無邪気に遊んで好きなことをしていた。

けれど、中学に入ると急に「大谷くんは勉強ができるね」と言われるようになった。高校大学と進学するにつれて「大谷くん」呼びが増え、自分でもそれがデフォルトとなり、今では下の名前で呼ぶ人は皆無である。
でも、僕は苗字呼びがスタンダードになるにしたがって、勉強、勉強と、何かを犠牲にしてまで、勉強が自分の全てだと思い込み、中途半端に勉強を続けていた。
子どもだった自分を悪いように何十にもコーティングして、「勉強だけの男」へと塗りつぶしてしまったのかもしれない。

もちろん、「大谷くん」と言われる自体は嫌ではない。これほど便利な苗字は無いからね。
でも、今の「大谷」を構成しているのは、「勉強ができる人」と塗りつぶしているハリボテなのかもしれない。めちゃめちゃ勉強ができるというわけではないのに、「大谷=勉強」という等式を無理やり導きだし、成績以外に取り柄のない、勉強ができなくなったら何もない人だと思っている。

本当の自分はどこかに落としてきた気がする。
勉強以外の、自分の大事な構成要素。

それを見つけば、これまでの病みまくっていた自分から良いほうに変われるのかもしれないよね。

  

最後に、オマケ。

踏切は、警報機が存在するだけマシ!
そして、高校生が日帰りでディスティニーランドに行けるのが羨ましすぎるぞ!こちとら最寄りのテーマパークはベ○ーランドじゃ!

あの踏切で、こう叫びたいですね。

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