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062『ぼっち・ざ・ろっく!』、そして『ガールズバンドクライ』!③ 楽曲論その1 ロックを定義する/青春コンプレックス

 本題に入る前にロックの定義、私のロックに対する認識を明らかにする必要があります。平たく言えば「何がロックか?」。それを説明するためにはロックとするには扱いが困る、ポップスとの線上、境界に位置づけられるアーチストを論じるのが良さそうです。私にとってそれはZARDであり倉木麻衣、そしてそれに類するアーチスト。昔の歌だったら「My Revolution」の渡辺美里。
 いずれの楽曲もロックの楽器の編成になってますが、「これがロックと言えるのか?」。完璧に骨抜きに、脱臭された「頑張れソング」と思うのです。それならば最初のOPの「タッチ」を筆頭に、応援ソングを悉く拒否したアニメ『タッチ』の主題歌/挿入歌が余程ロックだった。総監督の杉井ギサブローは全て青春の歌として独立してると自負してたけど、三本の劇場版の歌も含め、単純に誰かを応援して済ます歌は一曲もなかった。

 しかし面白いことは起きるもので、歌詞は純粋、素直な「頑張れ」になってても、曲と歌い手によってそれ以上の意味を込めることが出来る。その代表例が「パパの歌」。曲と歌は忌野清志郎だけど、詞は糸井重里。当初は私も清志郎もコマーシャリズムに魂を売ったかと、失望したと思う。
 確かに詞だけ読めば仕事人間のパパを肯定してるだけだけど、清志郎によってブルースのような哀愁の歌に変容した。それはパパの仕事ぶりを一概に批判、否定している訳ではないため、「家族のために頑張ってるパパ」にエールを送る趣旨にギリギリ叶ってる。私だって少し経てば分かったこと、同時代の同業者は気づいたはずで、清志郎のキャリアに傷がつくことはなかった。私も「天晴れ」と思ってます。

 やっと結束バンド、その第一曲目になるOPの「青春コンプレックス」。

暗く狭いのが好きだった 深く被るフードの中
無情な世界を恨んだ眼は どうしようもなく愛を欲していた

 今読んでも、OPを視聴しても、楽曲だけを聴いても、驚きを禁じ得ません。この屈折しまくった感情、正に私が求めてたロックと分かったのです。楽曲としてはそんなに激烈でないし歌詞も聞き取りやすいけど、歌い手の声に僅かな哀愁をかぎ取り、「やられた!」と思ったのでした。そして次の部分。

どうしよう! 大暴走獰猛な鼓動を
どうしよう? 超奔放凶暴な本性を

 ここでこんな言葉を付けるんだと、驚いたのです。こんな大袈裟な言葉、不用意に使えば滑るはずなのに、歌い手の気持ちが入っているのか、違和感なく聴くことが出来たのです。


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