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板垣さんがいない

冬の月曜日の朝。職員通用口の壁にずらっと掲げられた名前札からじぶんの札をひっくり返そうとして、あっと気がついた。

今日からはもう、板垣さんがいない。

夏から一緒に働いてきた板垣さんは、一月いっぱい迄の任期で、先週末の金曜日が最後の出勤日だった。

アンパンマンに出てくる可愛いうさぎのキャラクター「うさこ」に似ていた板垣さんは、可憐で儚げで、互いにお酒が好きなことからよく飲みに行き、しっかりしているからとてもたすけられたし、ふんわりしいてるけど芯があって、きちんと意見を言うべき時には言う彼女を、年下だけど私は尊敬していた。

板垣さんの名前札が掛かっているL字フックは、ひん曲がっていた。

一緒に退勤する時には、すぐ左隣の彼女の札もひっくり返してあげるのだけれど、板垣さんのL字フックだけやけに曲がっているものだから、ひっくり返すのがとても難儀で「掛けヅラっ‼︎」と文句をいいながら、“L字フック不運”を背負った板垣さんをいつもからかって心の底から笑っていた。カワイイ子が小さな不運に見舞われていると、めっぽう性格がひん曲がっている私はなにやら無性に嬉しい。

そのフックに、今日からはそのやけにひん曲がったL字フックに、私の札が掛かっていた。板垣さんの名前札が抜けて、一つ隣に私のが掛け替えられたのだ。

やってくれる。L字フックを笑う者、L字フックに泣く。

チョーねじ曲がった板垣さんのL字フックを笑って、板垣さんが「これでも捻って直して少しはマシになったんですよー」と言って笑って、「全然じゃん!」といっそう笑ったあの日。
板垣さんがいなくなって、そのハズレL字フックが次はじぶんに降り掛かるなんて考えも及ばなかったあのとき。

会えているときってどんだけか。
あの日あのとき、板垣さんがいたことのかけがえのなさ。




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