2024.5.31

昔はゲーム依存症だった。9歳から17歳までの8年間、ジャンプアルティメットスターズ(DSソフト)というゲームを毎日やっていた。ジャンプに登場するキャラクターを操作して戦う格闘ゲームで、カスタマイズのバリエーションが、これまで世界に存在していた雲の形くらいあったので、途方もなくやりこめるものだった。Wi-Fiがあれば全国の誰とでも対戦することができた。高校に入学したとき、我が家にもWi-Fiルータが設置されることになったが、小学生の頃はそういうものがまだ普及しておらず、近所のトイザらスにあるWi-Fiステーションが、全国のプレイヤーに自分を知らしめるただひとつの方法だった。休日は、ほとんどトイザらスの中にいて、住んでいると言ってもおかしくなかった。本来座るためのところではないスペースによく腰をおろしていた。何組もの親子が目の前を通りすぎていき、自分とは、別の生き物郡のように感じられた。「この人はここでなにをしているんだろう」と不思議そうな目で見つめる子供と、汚いものを見るように俺を一瞥したあと、歩くのをやめた子供の手を引っ張り、なにか用があるわけでもないのに先急ぐ大人。その点に関して、俺は不感症だった。ただ、ゲームのやりすぎで頭と首は壊れそうになっていた。最初は楽しいけれど、最後の方はバッドに入っている。俺はゲーミングトリップをしていた。幻覚や幻聴はすべて、DSを持つ手のひらが、見て、聴いていた。なにひとつ買わずに帰っていくのが当たり前だった。自分の内側で大きくなりすぎた混じりけのない依存衝動が罪悪感を押し潰してくれていた。夏休みなどの長期休暇はトイザらスに通うことが増えて、疲労が蓄積されていった。トイザらスの外にもWi-Fiが行き届いていると知ってからはコンビニにたむろするヤンキーみたいに店の前の地べたに座ってDSをかっぴらいて遊んでいた。学校の友達も集まるようになり、みんなでジャンプに耽って過ごした。警備員に通路の邪魔だと注意されることもあった。それでも、そこに行くのをやめることはできなかった。行けば誰かしらと繋がれるからだ。友達か対戦相手のどちらかはいるからだ。ある日、いつものように友達と集まってジャンプをやっていた時、僕らのもとにある青年が近づいてきた。つばのあるキャップを被り、健康的な太り方をしているクォーター顔の男だった。「へぇ、君らもジャンプやってるんだ」。彼はのちに僕たちの間で「トイザらスお兄さん(通称 トイ兄)」と呼ばれる、高校生活に馴染めない若者だった。彼の登場は漫画やアニメのようなフィクションのドキドキを感じさせた。それは、異物混入の不安感と新たな出会いのワクワク感に同時に初めて触れたときだった。


さまざまなクリエイターが作ったファミコンのラベルの展示会「わたしのファミカセ展 2024」に行ってきたので、その話に繋げようと思い過去のゲームの思い出を書いてたら長くなっちゃった。


ファミコンの展示会は別の記事で書きます。


トイ兄に出会ったのは小5~6だったような。友達とトイ兄でジャンプとドラクエ9と遊戯王とデュエマして、ダイエーのデュエマの大会も一緒に出て、家行ったり、ジャンプフェスタに連れてってもらったりと。最後に出会ったのは中2。そのときトイ兄はおそらく高3でした。なにを言ったか忘れましたけど、僕が笑いながらトイ兄との今までの友情を無下にするようなことを言ったら「あまり大人を舐めるなよ」と言われてマックの階段から突き落とされました。それ以来トイザらスでトイ兄の姿を見なくなり、僕らもトイザらスに行かなくなりました。思い返すと、めちゃくちゃバッドエンドでした。

銭ズラ