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「交響曲 第9番」 マーラー ~ 心が折れそうになったときのプレイリスト 第400曲

<タイトル>

交響曲 第9番 ニ長調

<作曲者>

グスタフ・マーラー

<おすすめ盤>

レナード・バーンスタイン(指揮)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

レナード・バーンスタイン(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

クラウディオ・アバド(指揮)
グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団

https://www.youtube.com/watch?v=tkChdHBuoiQ&t=1356s

<解説>

 僭越ながら本エッセイも400回を迎え、すなわち400曲の楽曲を紹介したことになります。

 ここまで書きつづけることができたのも、ひとえに応援してくださるみなさまのおかげです。

 謹んで感謝の意を表明いたします。

 さて、記念すべき第400回は何の曲にしようと悩んだ結果、やはりというかわたしにとっての救い主である、マーラー先生のナンバーにしてみようかと思います。

 そこで今回は、彼が完成させた最後の交響曲であり、ファンの間でも最高傑作の呼び声高い第9番を取りあげることにします。

 ちなみに次の第10番は、ほとんどが断片的なスケッチからなる絶筆です。

 のちに補筆補完されているのですが、それについてはまたおいおいということにしておきましょう。

 第9番について、古典的な交響曲の形式である全4楽章で書かれておりますが、その「異形」ぶりが語り草となっています。

 特に人気のある第1楽章「アンダンテ・コモド」についていうと、これ自体が時間にして30分もある大曲です。

 「一応」ソナタ形式で書かれておりますが、限界まで拡張され、肥大化しております。

 瞠目すべきは、冒頭の数小節で提示されるいくつかの音型によって、楽章の全体が作られている点でしょう。

 有名曲でいうと、たとえばベートーヴェンの「運命」などがこのやり方によっており、これはその延長線上にあると言えそうです。

 おそるべき構造の美、あえていうなら「システマティック・ケイオス」でしょうか。

 楽章を聴き進めていくと、徐々にできあがっていく音楽が突然崩壊し、また平穏を得ていく流れになっております。

 創造、そして破壊を繰り返すさまはあたかも、人間あるは世界の様相そのものを描写しているような……

 救世主になりたかった男・マーラー先生の最後の仕事として、これほどふさわしいものはないでしょう。

 ただただため息が出るばかりです。

 この曲はかつて、「死」を象徴していると解釈されていました。

 偉大なる先達、ベートーヴェンやシューベルト、あるいはブルックナーがそうであったように、「交響曲第9番を書くと死ぬ」というジンクスに取りつかれていたと考えられていたのです。

 これには夫・グスタフを英雄化しようとした妻・アルマの思惑も絡んでいたとされます。

 しかし近年では、マーラーはむしろ「死を肯定していた」という学説が有力になってきているようです。

 なぜなら「天国の存在」を信じていたからだというのですね。

 急にジョジョっぽくなってきました(汗)

 「エリュシオン思想」とも呼ばれ、キリスト教的な価値観なのかもしれませんが、いずれにせよ過去の解釈とはある意味で真逆です。

 先生はスタンド使いだったのでしょうか?(違う)

 しかしながら、空想がふくらみます。

 おすすめするのはバーンスタインが2点と、あとひとつはアバドのライブです。

 コンセルトヘボウとの録音はドイツ・グラモフォン(レーベル)の全集からの一枚で、個人的にはこちらを一番手に取ります。

 ヴィオラの効き具合がたまらない、端正に作りこまれた名盤ですね。

 次のベルリン・フィル盤は、彼が生涯で唯一このオーケストラと共演をした、一期一会のライブ録音になります。

 独特の緊張感がこたえられない一枚です。

 アバドのものは晩年、彼が結成したユース・オーケストラとの共演になります。

 ユーロ・アーツの公式配信ですので、映像で見たいという方はぜひ。

 特有の世界観を持つマーラー先生ではありますが、一度この「世界」に入りこむと抜け出せなくなります。

 毎回言っているような気もしますが、時間や空間を超越して他者を救済する先生の仕事に、ただただ脱帽と畏敬の念を禁じえません。

 これこそが表現の本懐であると、個人的には信じたいところです。

 そんなことをボヤきながら、また音楽を聴いているわたしなのでした。

 よろしければ今後とも、本エッセイをよろしくお願いいたします。

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