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ルーキーであることをいろんな角度から突き付けられた1日の話

2024年1月19日金曜日。
大卒ルーキーにとって、こんなに刺激的な1日はなかなかあったもんじゃない。ぜひともこの場に記録しておこうと思う。
いったいどんな刺激だったのか覗いてみたいという方は、ぜひ最後までお読みいただきたい。


直木賞作家がホンマに椎葉に来た

1月19日の朝、椎葉村図書館「ぶん文Bun」はいつもと少し違う雰囲気が漂っていた。無理もない。この日、直木賞作家がやってくることになっていたのだ。かの有名な直木賞を受賞した作家が、秘境椎葉村にやってくるというのだ。
いつにもまして念入りに開館作業にあたるスタッフ一同。
午前中、お昼前には先生がお越しになるということだった。
そりゃ粗相があってはいけない。
少なくとも僕はどこか落ち着きなく、そしていくばくかの緊張を感じていた。

ところで、直木賞について読者の皆さんは説明できるだろうか。
この記事にたどり着いたような方であれば説明できるのかもしれない。
でも、はっきり言おう。

僕は説明できない。

そもそも、直木って誰やねんとならないだろうか。
はっきり言おう。

僕は誰やねんって思っている。

さすがに図書館員として誇れることではないから、ちょいとググってみたら、なんだ直木三十五というらしい。
三十五。そういえばそういう名前だったかもしれない。
それよりも何だ、どういう事情があったのか知らないが、以下のリンク先「別称欄」に三十一、三十二、三十三とあるではないか。やれやれ、面白いネタを持っていやがる。名を変えるにあたっては志ん生顔負けだったのか?

直木三十五について、簡単にではあるが理解できた。
では、常にセットで語られる芥川賞との違いは何か。
残念ながら僕は説明できない。
お前、それでも図書館員か?と言われたら、面目ない。

だが、世間一般でもあまりなじみがないようで、よく問われているらしい。
ちゃんと皆が知りたいアンサーが、公益財団法人 日本文学振興会のホームページ「よくあるご質問」のトップに堂々と君臨しているではないか!

ここには、次のように記されている。

芥川賞は、雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品のなかから選ばれます。直木賞は、新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)が対象です。

公益財団法人 日本文学振興会ホームページ「よくあるご質問」

新進作家という言葉が肝だろう。要は新人ということだ。芥川賞は新人対象で純文学縛り。直木賞は新人に限らず、中堅どころも対象で、娯楽要素の多い作品が対象となっているのだ。
これはなるほど、門外漢にはわかりにくいに違いない。

過去にどんな作家さんが受賞しているのか、以下から確認できるのでぜひ見てみてほしい。きっとあなたの聞いたことのある作家さんもいるはずだ。

1月19日、果たして椎葉村図書館に姿を現したのは、第166回直木賞受賞作家・今村翔吾先生であった。
今村翔吾先生について詳しく知らないという方は、以下のオフィシャルサイトをご覧いただきたい。そして何よりも作品を読むことをお勧めしたい。僕は椎葉村に来るまで、今村先生のことをろくに知らなかった。それが今はどうだ。フツーに作品にハマろうとしている。作家の力はそれほど偉大だ。

椎葉村と今村先生のご縁は、「まつり旅」ご来村いただいたことが始まり。今回、今村先生がお越しになった理由と直結する企画の担当ではなかった僕は、他のスタッフともども、よろしくお願いしますと簡単にご挨拶をしただけで終わってしまった。タイトなスケジュールで動いていたこともあり、やむを得ないことだったように思う。それに13時半からの「本番」前に必要な確認事項も多々あったようだ。

そうこうしているうちに、企画担当者から仕事を仰せつかった。
「秘境の文筆家」と書かれたA3の紙が貼ってあるボードを用意してほしいとのこと。13時半からの「本番」のあとに使いたいとのことだった。

僕含め、スタッフたちですぐさま作成に取り掛かる。
すぐ終わるはずが、普段A3印刷には使用しないプリンターで印刷しようとしたものだから、思ったよりも時間がかかってしまった。

それでも何とか作り上げたときには、もう13時半。
「ぶん文Bun」も入るKaterie2階にある大会議室で、「本番」となる会見が始まった。

今回動き出した企画はこれだ。
椎葉村地域おこし協力隊「秘境の文筆家」を募集するというもの。これだけ聞くと、総務省が力を入れている地域おこし協力隊とやらの新しい募集が始まっただけじゃん!となるかもしれないが、この募集、「一般社団法人ホンミライ連携事業」なのである。ここが非常に重要なのだ。このホンミライの理事長を務めるのが、何を隠そう、今村翔吾先生なのである。
長くなるので企画詳細については以下リンク先をご覧いただくことにするが、この取り組み、すでに多くのメディアでも取り上げられており、なかなかの反響となっているようである。個人的には、地域おこし協力隊という制度を活用した、クリエイター向けのベーシックインカムの実証実験と言っていいのでは?と考えている。今村先生はプロ野球の育成制度になぞらえておられた。非常に刺激的な企画だ。
ご興味のある方はぜひ、覗いてみてほしい。

今回メインで触れたいのはこの取り組みそのものではない。
この取り組みを企画した上司である。

いやはや、冷静に考えておそるべしである。
プレス向けに情報解禁され、徐々にネット記事がアップされたり、地元テレビ局でニュースが流されるようになるにつれて、その反響が増大していくこの感じ。これを見越して、今村先生とのご縁をつなぎ、作家育成という出版業界のなかでも関心の高いであろうド真ん中のテーマに殴り込み(そんなケンカ腰ではないかもしれないが)、かつ椎葉村に還元できる仕組みを考え、地域おこし協力隊制度を最大限活用する形を模索し、おまけに図書館業界にドーンと一発花火を打ち上げた上司、単純にヤバイ

もちろん、それ相応の時間をかけて企画しているはずではあるが、それにしても着想段階からこの仕組みを構築しちゃうのは、恐れ入りましたとしか言いようがない。

今回は今村先生のお力によるところが大きいだろうが、これだけのメディアを巻き込めるのがすごい。いつも「ふーん」と見ているニュースサイトや記事に載っているのだもの。おいおい、マジかよとなる。

上司のチルドレンを名乗った昨春からもうすぐ1年。
睡眠のとり方と酒の飲み方以外の背中を追っかけてきたわけだが、また遥か彼方に行かれてしまったようで、何とももどかしい
非常にのびのびと、長所を生かしながら育てていただいている実感があるわけだが、まだまだそこは育成選手。支配下登録は先の先だろう。きっと今はまだ1軍では歯が立たない。不得意分野を最低限のレベルに引き上げることと、得意分野を1軍で通用する形にしなくてはいけない。
2年目はそういう年にする。

と、まぁ、意気込んではみたが、根本的にビジネスでブイブイ言わせたいとか、そういう成長意欲は皆無だ。そう、「皆無」だ。少なくともそれを前面に押し出すようなことはしたくない。その代わりというわけでもないが、人間的な成長への意欲はある。いや、成長という言葉は好かねぇな。人間を磨くとでも言っておこうか。これまたなんかかっこつけすぎだが。まぁ、どちらにしろこれらは対立するもんでもなし、かぶっている部分も大いにあるだろうが、自分の中では分けて考えているだけの話だ。人間なんて所詮こんなもんだろという考えの中で(これは必ずしも悲観や諦観だけじゃない、この心持ちは気楽に生きる上で大事だ)、てめぇの生きていくうえでの了見はなんだという問いを続けていくのが自分なのかもしれない。

……何言ってんだ俺?
よくわからなくなったから話を戻す。とか言って、最後太字にしているし。馬鹿野郎。こういう話はまた別のどこかで。

本当に話を戻す。

そうそう、忘れてはならないのが、この熱意に応えてくれる今村先生の存在だ!素晴らしいではないか!今回だって、超忙しい中わざわざ秘境まで飛んできてくれたのだから、その思いの強さたるや、相当なものがあるに違いない。

まだ、始まったばかりの「秘境の文筆家」募集。
多くの問い合わせに東奔西走している上司の背中を見ながら、己の身の振り方に思いを馳せている。

ルーキー・オブ・ザ・イヤー2024 in LOCALに滑り込み参加(観覧)してきた!

話はまだ終わらない。
1月19日13時半から始まった「秘境の文筆家」募集に関する会見が続く中、僕は静かに椎葉村を後にした。この時、時計の針は14時半を回ろうとしていた。

目指すは宮崎市。
この日の午後は前もって休みを取っていた。
わざわざ平日午後に休みを取って、お世辞にも近いとは言えない宮崎市まで何をしに行くのか。

その答えはここにある。

……このイベントについて発表され、上記記事を読んだとき、心の底からめちゃくちゃオモロいやんけ!と感じ、内心叫んでいた。いや、もうこんなんオモロいに決まってるやん!え、ドンピシャのルーキーここにいてまっせ!こんなんもう参加するしかないやんか!上司!こんなん見つけました!

このイベントは、「地域で働く若手社員(29歳以下)の活躍にスポットを当てローカルのロールモデルをつくる」ことを目的としています。地方創生の流れもあり、若いうちに地方で働くことを選ぶ人は増えてきたと言われますが、将来にどんなキャリアがあるのかイメージができる人はまだ多くありません。地方の中小企業は採用のために企業の魅力を伝えようと躍起になってますが、学生や若手が知りたいのは「その企業で働くロールモデル」ではないでしょうか。地方の企業が活躍する自社の若手を推薦し、仕事の成果や社会的意義をプレゼンテーションし、スポットライトを当てることで地域で活躍するロールモデルを広く共有します。地域でのキャリア、社会の役割を再認識することで日本の安定した経済発展や、多様なキャリア志向の浸透に寄与したいと考えています。

上記note記事より

最初、僕はプレーヤー側で参加する気満々でいた。いや、なんなら、勝ちに行くなら今回は出ない方がいいと思うほどに冷静だった。参加対象者はU-29なのだ。単純な1年目だけではないのだ。それではあまりに厳しい戦いを強いられると感じたのだ。

とはいえ、やはりこの手のイベントは勝ち負けは二の次。参加できるときに参加した方がよい。
早速、件の上司に話を持って行った。

だが、嫌な予感は的中した。上司が担当者に確認してくれたのだ。
僕は地域おこし協力隊で、準公務員。企業に属す形とはなっていない。公務員は今回のエントリー対象外だった。無念。戦わずして敗れた。でも、わかる。民間と公務員との間には、少なからぬ隔たりがあるように思う。評価するのも難しくなることだろう。致し方あるまい。

それならば、せめてものその場にいさせてくれ!ということで観覧&懇親会参加権利がセットになったチケットを購入した。この時はまだ、同日に椎葉村に今村先生が来るとは決まっていなかった。

上記note記事をつぶさにお読みになった方は違和感にお気づきだろう。
このイベント、開始時間は15時。

先ほど私は何時に椎葉を後にしたと書いたか、覚えておられるだろうか。

14時半。

もうやけくそである。この時ほど「どこでもドア」を所望したことはない。
椎葉村から宮崎市まで、2時間半以上は確実にかかるのだ。
仕方ないので、最初から大幅な遅刻をお許しいただいての参加を敢行することにした。それほどの価値があると踏んでいた。それにしてもあそこまで遅れるとは思っていなかったが…。

交流拠点施設Katerieを出発する。
日向市まで出て、高速に乗って宮崎市へというルートをとることにした。

まず、最初の関門が出発して10分後にやってきた。

そう、実はこの時、日向市に出る椎葉村内の道(迂回路)で工事が行われており、時間規制が敷かれていたのだ。15時~15時20分の間しか通れない。他の道もあるから日向市に行けないことはないのだが、この道が最短であった。そして、この時間規制というのは厄介なことに日によって工事をしていたりいなかったりする。毎週のように曜日ごとに工事の有無が変わっていたりするのだ。
だから、ダメもとで工事をしているルートの方に行ってみたところ、これがラッキーなことにこの日は工事が休みだった。そのままスイスイと椎葉が世界に誇るクネクネ迂回路を進んでいく。

危なげなく日向市へ出た。
次の関門は高速道路だ。
なぜ関門かって?

実は、椎葉に来るからと免許を2023年2月頭に取った僕は、どこに行くのにも遠い椎葉村では高速道路の恩恵をあまり感じられず、よほど到着時刻に差が出るとき以外、全部下道でいいじゃん!という発想で、今まで一度も高速道路を利用してこなかったのだ。いや、正確には練馬の教習所でカリキュラムにあった高速教習で乗った時と、2023年3月末に札幌から椎葉まで車を運んでくれた親父と延岡まで買出しに行ったときに気が付いたら高速に乗っていた(助手席に父あり)時の2回だけである。あとは、ETCカードを作っていなかったこともあり、高速道路をなんとなく避けていた。高速を使わずに、熊本市や小林市や宮崎市や鹿児島県長島町などに行ってきた。ただの馬鹿である。

だから、事実上今回が初めての高速利用だったのだ。もう、この時点でルーキー・オブ・ザ・イヤー2024 in LOCAL大賞でもいいくらいだ。ローカルの車社会に悪戦苦闘するルーキーの姿がそこにあるではないか、と思ってみたり。

高速利用の判断に踏み切れたのには、超絶急いでいたからという理由のほかに、10日ほど前に他人の運転で、まさに同じルートで東九州自動車道に乗る機会があったからという理由もあった。要は予習できたのである。どうだ、準公務員も半年以上やっていると、立派な前例主義が身体に備わってきているではないか(蝕まれたくない!でも車に関しては、当たり前だが取り返しがつかない事故を起こしたくないので、結構慎重に動いているつもりだ)。

相変わらずETCカードは持っていなかったので、一般ゲートに向かい、ボタンをポチっと押して、券を発行する。難なくクリア。ひたすらカーブを曲がって、ようやく本線に合流。この合流が危険で厄介だと感じていたし、話でも聞いていたが、幸いあまり車通りは多くなく、これまたクリア。乗ってしまえば、そこまで気にならない。むしろ途中、結構車が詰まっていて、速度を落とさないといけないくらいだった。

高速に乗る前に休憩していたこともあり、一気に宮崎西ICを目指した。しかし、やはり油断は禁物だ。あと20分もすれば高速を降りようかという頃、後ろからすさまじいスピードで抜かしていったトラック(あれは4tトラックだったろうか)がいた。そして抜かすだけなら構わないのだが、そんなスピードを出していたからだろう、お土産を落としていきやがった。

そう、田舎あるあるといっても過言ではない長靴が前方から飛んできたのだ。おいおい、勘弁してくれよと思いつつ、無事に接触することなく避けられた。まさか、初めての高速でこの体験をするとは思いもよらなかった。

宮崎西ICに到着。
一般レーンに並ぶ。
今どきは、便利だ。ETCカードがなくても、クレジットカードを差し込めばいいらしい。事前に調べていたのである。ということで、クレジットカードを挿入。
なかなか出てこない。反応が悪いのだろうか。
まだ出てこない。僕のカード、もしやダメなやつ?
え?こんな時間かかる?初めてだから?初診の病院でめっちゃ問診票書くみたいなもん?

やっと出てきた。
何もないならさっさと出てきてほしかった。ホッと一息、胸をなでおろす。

高速を降りて向かったのは、ホテルだ。
この日は宮崎市内に宿泊し、翌日は早朝の便で東京へ向かうことになっていた。車を置いて、チェックインを済ませたうえで会場へ行きたかったこともあり、ホテルへと急いだ。

何とかホテルへと着いた。
ホテル専用駐車場を見つけるのに結構苦労することが多いが、今回は難なく見つけられ、フロントへと急ぐ。丁寧な案内を受け、部屋へと向かい、荷物を選別し、すぐさま会場へ徒歩で向かう。この時すでに17時40分前。イベント終了は18時。もうやけくそを超えていた。

会場のATOMica宮崎ってどこやねんと思いながら、Google Mapとにらめっこしつつ急ぐ。ようやくその建物にたどり着き、エレベーターで8階へと上がる。どこやねんと思いながら廊下を進むと…あった。確かにやっている。

ガラス扉が馬鹿みたいに重く感じられたが、両手で開けて、近くの担当者に事情を説明し、中に入れてもらう。そのうち見知った顔も見つけられ、居心地悪くも、ここにいる資格を得たようで安堵した。急いで来た分、そして会場の熱気でこの時期とは思えない汗が噴き出てきた。会場の状況をつかもうと必死にキョロキョロしていると、どこからか、どうやら僕の方を見ながら、「大学の同級生です」とか言っている声が聞こえてくる。視界を横切るその声の主らしき男。どっかで見たことあるような…。

10分間だけ表彰式を観覧した。
席もあったが、もう後ろで立って見ていた。
本当に申し訳ないが、何が何やらという状態で、感動を共有できずじまいだった。来るんじゃなかったと、後悔の念がふつふつと湧きおこっていたのは想像に難くないだろう。

最後に記念写真を撮りますとアナウンスがされた。
僕は最初写ることを拒んだ。いや、だって普通に考えて写る資格ないっしょ、10分しか参加していない人間が!
でも、皆さん、優しさという名の強引さで入るように仕向けてくるものだから、入らない方が迷惑がかかるだろうということで、後ろの方で写った。本当にありがたい限り。

その後場所を移して開催された懇親会。
もう、心は折れていた。肩身が狭いったらありゃしない。嫌だな~どないしよ~と考えながら、案内人についていく。
すると、どうだ。
会場のある狭い路地裏。そこは、なんと学生時代にお試しで行っていた椎葉村から避難し、台風14号をやり過ごしたのち、宮崎市内をふらついている時にたまたま通ったことのある路地裏だったのだ。気になる書店(ポロポロ書店)があって、そこに足を運んだのだった。結局その時は開いていなくて、まだ行けていない(今調べたらめちゃくちゃ素敵な本屋さんではないか!しかも、尺八教室もやっているだと!近々尺八習いたいと思っていたんだが…これは運命としか言いようがない!!!行きます!!!)。

そうかと思えば、今度は妙に心くすぐられる着物を売っている店を見つけてしまった。しかも、そこの店の人が店の前で何やら料理をしている。『ドキュメント72時間』の取材班がいたら、たまらない場面だ。一度は、懇親会会場である若草HUTTE内に入ったが(これまたとてつもなく素敵なお店!)、まだ人が集まっていなかったこともあり、一人のこのこ外へ出て、着物を着ながら料理をしているお兄さんに話しかけることにした。聞けば、店の名は「染織こだま」というそうで、話している感じでは結構有名なのではと感じた。簡単にこちらの自己紹介をし、椎葉村のみならず、不土野の名までご存じで、なんならお客さんとして不土野の方が来たこともあるというから世間は狭い。落語についても造詣が深いように感じられた。今年は着物を買おうと思っていたところなので、これはいい店を見つけてしまった。またゆっくりと伺いたいと思う。ちなみに、この日初めて名刺をお渡ししたのがこの方である。

思いがけない出会いに感謝していると、向かいの懇親会会場がだいぶごった返してきていた。いよいよ僕にとってのある意味での本番が始まるのだ。
最初は相変わらず肩身が狭かったが、ファイナリストたちを紹介いただく形でお話をさせてもらった。そこからまた1人、また1人といった具合に少しずつ話せる人が増え、最終的にはそれなりの人数とお話をさせていただいた。
もちろん、人数的には物足りないと言えば物足りないが、1人1人とのお話は中身の濃いものであった。そして、自分が水産系やホタテに興味のある人間で、大阪や陸前高田・気仙沼にご縁がある人間でよかったと心底思った。本当にだいぶ助かった(笑)さらに、地域おこし協力隊であることで広がる話もたくさんあり、ようやく来てよかったと思えたのだった。

でも、一番の収穫は意外なところからやってきた。
懇親会の半ば、一人の男が近づいてきた。先ほど会場で、「大学の同級生です」と言ってきた男だ。また懲りずに言う。「大学の同級生だ」と。

僕は目を疑った。
「え?覚えてない?」
「え…??えぇっ?……松平??なんでお前ここにいんの???」

テレメン亭松平(まつだいら)(『蝦蟇の油』という演目に由来する高座名である)。コロナ禍において、部費3,000円(年)を払わなかった男である。
そうなのだ。まさかの、大学時代の落研の同級生が、なぜか宮崎市に、目の前に現れたのだ。訳が分からない。びっくり仰天。何が起きているのか。

話を聞くと、今回のイベントの主催を株式会社ことろど(日南市)と一緒に担った、NPO法人G-net(岐阜市)で働いているというではないか!そんなことがあるのか。松平は前もって、参加者名簿に僕の名前があることを確認済みで知っていたらしい。僕はと言えば、そんな、まさか宮崎にいるだなんて思ってもみなかったから、最初はマジで気づかなかった。どんなドッキリかと思ったくらいだ。

いやいや、しかし、これは嬉しい再会であった。
お互いどこで何をしているのか、詳しいことは知らなかったものだから、話に花が咲いた。

結局その流れで、2次会もG-netの皆さんとご一緒させていただくこととなった。寿司屋に入る。サッカー中継を気にしつつ、目の前のお刺身、お寿司をいただく。ろくに宮崎のことを知らないくせに、木挽ブルーをお勧めする。あれやこれやのお話をする。もちろん、自分の仕事のことや椎葉のことも含めて。すばらしい格言もお聞きし、心に留めておこうと誓った。

翌朝のことを考えると、リミットはここまで。
すっかりご馳走になってしまったが、G-netの皆さんとお別れし、ホテルへ。23時頃だったか。怒涛の1日だった。眠りこけたい気分だったが、翌朝の飛行機に乗り遅れるわけにはいかないという緊張感とともに、眠りについたのだった。

まとめ、のようなもの

今回、ルーキー・オブ・ザ・イヤー2024 in LOCALについては直接プレゼンを聞けていないから、ファイナリストたちの凄さを100%理解することはできなかった。しかし、伝え聞くだけでも、強者ぞろいだったことがわかったし、お話をさせていただいた何人かの様子を見ていても、選ばれるべくして選ばれた人たちだったのだと思わされた。きっと、応募していてもファイナリストには残れなかったことだろう。だが、民間畑の多様な業界のルーキーとその関係者たちとお話しできたことは大変刺激になった。また、思わぬ再会もあったわけで、自分の立ち位置を確認するにはとても良い機会となったことは間違いない。ホント、プレゼンは聞きたかったが。
でも、その分、椎葉村という秘境から発信した企画が全国に広がるまさにその瞬間を経験できた。これまた、貴重なことだ。そして、何よりこんな中身の濃いバッティングが起きてしまうことが最高に面白い(笑)。そして、幼き頃なら最初から出られないなら嫌だと投げ出していただろうが、今回はたったのラスト10分でもいいからという想いで、両方あきらめずに行ったのが功を奏したと考えている。見方を変えれば、僕と話せた人はレアキャラと遭遇できたわけで、強運の持ち主だ。ぜひ誇ってほしい(笑)

人生は引き算が大事というし、欲張りすぎるのは良くないという意見には賛成する。だが、今回ばかりは二兎を追った結果、二兎以上の獲物を獲得できたと感じている。

さぁ、アンチテーゼ的な立ち位置として、準公務員として暴れていこうじゃないか。



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