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2020/8/16〜8/22 日記(快楽とは編)

8/16 日
朝、テンションは上がり切らないが少し気分良い。
午前中は寝て誤魔化す。色々なことを。

鬱と診断された以上はじっとして年単位で治療していくしかないのだが、何が情けないって仕事が出来ていないのが情けない。働きたい気持ちはあるのに、一切行動に移せない。仕事のことを考えると悲しくなる。
過集中気味でただ仕事するだけでも相当エネルギーを使うし、街を行き帰りするだけでも色々な声というか、想念が頭に入り込んでくる。気のせいではなく。街の音、人の営みが聞こえて見えてくるのがきつい。雑踏を見ると、あの人はああ思っているのだろうな、あの人はつらそうだ、あの人もつらそうだ...という感じで、皆がつらそうに見えてくる。自分の側がおかしいのは分かっているが、どうしてもそういう風に世界を悲観して見つめる癖が治らない。
街で生きること。それ自体が自分にとっては苦しみだ。それを認めるまでは時間がかかった。最近ハッとそれに気付いたのだ。
歌は街から生まれるものだと思う。歌を作る人間として、街と真摯に向き合えないことは悪いことだと思っていたのだ。しかし、自縄自縛でまんまと鬱になっている今、自分の気持ちは「生きていく上で発生する苦しみを全て断ち切らねば」という情動に切り替わった。
これからは努めて、なるべく引きこもることにする。誰かからそれじゃいかんと言われても、そうする。いつか田舎にも越す。恐らくだが。

昼、映画「ジャックポット」観る。ポーカーなどの賭け事でハイになっていく人々の話。ユーモラスな内容で面白かったが、他人事とも思えなかった。自分が世の中に音楽や文章などを発表して広めようとしているのも、よく考えたら賭け事みたいなものだ。どれだけ聴いてもらえたか、読んでもらえたかと一喜一憂し、更なる反響を求めてひたすら創作物を出していっている自分も、「ジャックポット」の主人公たちと内面的な意識のありようが大して変わらない気がして、少し怖くなった。俺は創作にカネは賭けていないけど、精神はガッツリ賭けている。結論として、いつくたばってもおかしくはないのだ。

その後は所用でファイル交換、ミックス、マスタリング作業など。
久しぶりに歯茎が痛くなって来た。擦り剥いてるだけなので自然治癒するとは思うが…。


8/17 月
午前中から起き出して映像編集。ツイッターも動かす。歯茎は少し痛くなくなった。止血してる感じ。
トムヨーク「ANIMA」聴いて気分を奮い立たせる。

ECD「失点 In the Park」聴くと元気が出る。こんな音にはワクワクする。こういう音のアルバムが現代にも必要だ。

夕方、いおりさんとの新曲「GRIND 2 EXIT」急遽アップ。


8/18 火
朝起きると相当身体がだるく、つらい。その後、二度寝がかなり深い眠りだった。作品出して消耗したのか。オンライン上だけでやってる話なのに、ひとつひとつ作品出すのはやはり神経、体力を使う。どれだけうまくやれるように運んでもどこかで粗が出てしまう。作曲からエンジニア系の作業までパーフェクトに出来る人は凄い。何もかもパーフェクトにこなせるのが今や当たり前な時代だとは思う。自分はパーフェクトな人間ではないが、粗が味になってるわけでもないからダメ。自分という存在のつまらなさ、くだらなさに吐き気がする。

Sufjan Stevens「Carrie & Lowell」は傑作であることを改めて確認する。

昼、身体が重くだるい。足に力が入らない。つらい。なんとか昼飯食ったがダメ。歯茎はほぼ治った。

しかしなんとか身体動かして、「暑中見舞い#1」という曲を作る。作りたかったから作った。ラップ。粗いけど出したい。いつも悩むのはどこまで粗を残すか。完璧に全て整理整頓し切ってる音楽のつまらなさというのは確実にある。ソングライティングが極まっていれば、どれだけローファイでもローテクでも光る気はする。気はするのだが。実際どうなんだろう。もう少し自分の創作に客観性を持てるようになりたいが。

ゴス期のダムドとスティーリーダンをApple Musicに追加。皆がそれぞれの形で幸せであって欲しいと願いながら寝る。


8/19 水
朝から下痢。きつい。

寝っ転がっていたら鬱が部屋の扉を叩いて、どうですか?と言うので、どうぞ、と言って迎え入れる。結果、頭が重くなる。妙に神経が昂ぶっており眠ることも出来ない。仕方なくボズ・スキャッグス「Speak Low」聴いて耐える。歯茎は完治。

本当に、自分が適応障害や鬱になるなんて予想していなかった。生活的にも肉体的にも大して苦しんでいないくせに、悩みや悲しみ、悔しさ、怒りが間断なく湧いて頭が重くなり、吐き気がするのは何故?今まで怠惰に無礼に生きて来た罰だ、と言われれば納得もするが。
自分を押し殺しながら生きるのはとてもつらい。でも本当の自分が考えていることは酷く無礼で残酷で陰湿なことばかりだ。そんな「本当の自分」なんか、他人に表せる訳がない。
誰かに嫌われてしまうのが怖い。自分の存在価値が下がるのが怖い。その恐怖が俺を動けなくさせる。何も言えなくさせる。つまり、つらい。

昼、睡眠薬飲んで無理矢理にでも寝ようとするも失敗。意識が絶え間なく動き続けていて眠れない。考え事が止まらず、次から次に思考が切り替わって苦しい。こういう、意識や思考の量がやたら多くて気疲れするのは何なんだろう?病気?

夜外出。久しぶりにたくさん他人と話して気が晴れた。午前三時頃帰宅。


8/20 木
朝、気が晴れていたが、朝飯食って自室に戻って横になると鬱がドアを開けて入って来た。どうぞ、と言って迎え入れる。拒めるほど残忍にはなれん。

Dogleg良い。Fountains D.C.も良い。悲しく熱く冷めて暗いロック。もっとこういうバンドが出て来て欲しい。いくら出て来ても出て来過ぎるということは無い。

昼さらに鬱が増す。太陽が昇って来ると調子悪くなるのか?
自分が物凄くつまらなく、失礼で、愚かな人間に思えてしょうがない。自分という生き物は酷く変だ。奇妙だ。そこで、ああ!普通になりたい!と願ってしまうのが、また更にダメ。この世に「普通」なんて概念は別に無いのに。

束の間の昼寝後足が痛くなり、つらい。蛭子能収が書いたムーンライダーズ「だるい人」の歌詞みたいな生活。別に悪くないし、別に良くもない。金さえあればの二十代。何もしたくない。

夜、下痢。


8/21 金
朝、いつもより調子良いがテンションは上がり切らない。二度寝が深い寝入りだったので良しとする。
鬱になると自分のテンションを上げる作業がほぼ出来なくなる。他人と盛り上がって会話したり、張り切って何か激しくインプットアウトプットするのは不可能に近い。頭の上に黒い渦が常に存在している感じがある。

ああ、ワクワクするようなことを常にやっていたい。これ以上苦しむのは御免だ。努めて引きこもっていたいし、つらい思いは避けたい。愛されたいなら愛するしかないと分かっている。

何かがうまく行くと、いや、実は裏側では何か失敗しているのではないか、取り返しのつかないような失敗を気付かない内にしているのではないか、と心配になる。一方で、何かがうまく行かないとそれを大体三ヶ月は引きずる。
俺は俺にNOとしか言えない。俺のやることなすことは全てダメで腐り切っている。これが俺の基本的な精神性である。
安易に自分にYESを出すのが怖いし、嫌だ。俺は俺に自信が無いし、下手に自信を持って嫌らしく不遜な奴になることが怖い。くだらない。俺はつまらな過ぎる。ダメだ、もう今日はこの手の思考しか出来そうにない。いつまでこんな思考ばっかしてるんだろう。
世界もまた滅茶苦茶だ。多くの人間があらゆる場所で「敵」を探している。ヘイトを深め合って連帯を強固にしようとしている。俺は内側から腐って、知らず知らずの内にダメになっていく。世界と俺とがかけ離れて、遠くなって、もう何も分からない。
正しさって何?嘘って何?そんな言葉は要らない!俺等は快楽だけに気を研ぎ澄ませて生きたらええのや!と怒鳴りたくもなる。

聴覚過敏で狂ってしまいそうだ。外の音気になる。集合住宅だから家の中の音も気になって仕方ない。イヤホンが無いと狂ってしまう。つらい。泣きたいのに泣けない。

夕方「暑中見舞い#1」アップ。

夜、鬱が止まらない。仕事も生活もしたくない。精神科もカウンセリングも行きたくない。何もかも遮断しなきゃおかしくなりそうだ。街から姿を消して、どこか引きこもって音楽と文章だけ作っていたい。


8/22 土
自分に嫌気が差すような一日。何を話しても何をやっても意味の無い念仏を唱えているようなものに思える。何もかもが間違っていて、改善する方法も掴めない。誰かに捨てられるのをボーッと待っているゴミ屑みたいな気分だ。
まあ、誰かが正しいことを言ってくれたって信用する訳もないくせに、いつまでもごちゃごちゃ助けを求めてる自分は愚かだ。どの方向も見ずに、腐らずにやっていかなきゃしょうがないじゃないか。

昼から夕方にかけて動画編集で苦戦。

ところで、何者かになりたい、認められていたいという願望は狂気だ。しかし俺はそれを持ち過ぎている。その狂気に気付いているだけマシだろ、というような顔で。いっそアバウトに怠惰に生きたい。正義感やプライドや承認欲求や野暮ったい生真面目さで動きたくないのが本音だ。解脱したいくらいきつい。ふざけた毎日。ふざけた時代。ふざけた肉体。ふざけた精神。



来週に続きます。

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