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2020/8/23〜8/29 日記 (悪魔編)

8/23 日
身体の中に大量の虚無感が入って、苦しいから吐き出そうとしてもがいているような状態。何見ても何聴いても不感症みたいになって全然楽しくない。自殺したミュージシャンの歌ばっかり頭の中で流れる。自殺。自殺は嫌だ。絶対したくない。痛みを伴うようなことはしたくない。これから何かまだ良いことがあるような予感もあるのに、わざわざ死ぬか?俺には何か希望があるわけじゃないが、本気で絶望しているわけでもない。中途半端と言えば中途半端である。
甘い汁だけ舐めていたいのが本音だ。インチキみたいな訓戒なぞ聞かずに年中リゾート気分で暮らしていたいのだ。快楽を味わい続けていたいのだ。こういう考えが行き過ぎると薬物依存やアルコール中毒に行き着くんだろうが、俺が言ってるのはそんな愚かな結末に向かいたいということではなく、無理のない範囲で日常を楽しくしたいということであり、危険な道、閉塞感ある場所には行きたくない。ああ、甘い汁。甘い汁をくれ。誰か。

昼、日記を更新した後アルトマンの映画「ナッシュビル」観る。今まで見た中で最も奇天烈な映画。何もかもがすれ違い過ぎてよく分からない。しかし人間の行動原理とは本来こういう不明確でランダムなものなのかもしれない。理由なく歌い、理由なくセックスして、理由なく人を殺す。極めて哲学的な映画と言えよう。見終わった後、なぜか妙にルーリードの「Perfect Day」が聴きたくなった。

日ごとに怠け者の能無しゴミ野郎に成り下がる俺を、何人ものケダモノたちが部屋の死角から見つめ、嘲笑っている。気のせいじゃない、本当に奴等はこっちを見ている。見下されている。コケにされている。バカにすんじゃねえぞ、いつか見返してやる。軽視すんじゃねえ。

攻撃的な心情と暗い内省を行ったり来たり。きつい。


8/24 月
テンション上がり切らない朝。活力あまり無し。キースジャレット聴きながら二度寝。
鬱は凄く苦しいけど、悲しくなってぐったりしてるのが何故か少し気持ち良かったりもするから本当に怖い。一旦鬱にかかるとなかなか抜け出せないのは鬱の中に若干の快楽性、依存性があるからではないか。

バウハウス聴きながら、チャールズブコウスキー「死をポケットに入れて」再読。何度も読み返している一冊。読むたびに面白いし納得の連続。破れかぶれで悲愴だが、本質とはこういうものだ。日記形式なので読み返しやすいのも最高。

自己嫌悪が凄く強くなっており、つらい。お前はダメだ、残酷だ、人でなしの悪党だ、あらゆる苦難から逃げている、ゴミ野郎、努力してないクズ、と叫ぶ声がそこら中から聞こえて鳴り止まない。俺はただあるがまま生きているだけだ。何故そんなことを言われなければならない?いい加減にしてくれ。

昼食後、鬱。頭が重い。焦燥感が押し寄せてくる、このままではダメなのではないかという予感が襲って来て止まらない。(実際ダメ。)

悪事をやらない人、常識から逸脱せず生活してる人間の方が、ワイルドでセクシー。だから政治家、ヤンキーとかは危険なようで危険じゃない。むしろ穏当。
と、ふと思った。本質性を言えばの話ではあるけど。

その後ココア飲み、ヨガ、歌の練習などする。

ライブでデカい声で歌うと気持ち良いけど、大勢の観衆を前にしてデカい声出して気持ち良くなりたがるのはほとんど独裁者、ファシスト的思考だし、歌いたいという気持ちは実は攻撃的で危険なものなのかも。
と、ふと思った。

何をしても何を言っても間違っている気がする。いつもそう。憂鬱でしょうがない。未来が見えて来ない。来年無事に生きていられるかも分からないようなこんな世の中で、どうやって幸せを見つけろと言うんだ?


8/25 火
朝から疲れている。テンション上がらず鬱。突然目が痒くなったが、すぐ治った。何だったんだ?

最近聴いてる音楽の中ではデフトーンズ、フェネス、ダニエルジョンストンが良い。
午前中からリバーブ、ディレイ思い切りかけてエレキ弾いて恍惚を得る。しかし暗い渦は頭の上に広がり続けて止まらない。どうすりゃいいんだろうか?分からない。

昼、不安が止まらない。一人で部屋にこもっていると、誰もがみんな死んで、取り残されてしまったような感覚になる。他人の姿が遠くなっていく。今ある交友関係や自我は全部幻覚で、本当の自分は誰もいなくなった街で倒れている、ような気がする。心細さと不安が襲う。鬱。
現実はいつも直視できないくらい眩しい。俺の内側の大部分は妄想で出来ている。ただただ妄想をしていれば傷付くことは無く、傷付けることも無い。何事も実行に移す段階で狂っていく。だが妄想じゃ米粒ひとつ食っていけない。このカスな日本社会。まんまと意地悪な妄想に食われて鬱になっている。誰のせいでもない、強いて言えば俺自身のせいである。

風呂上がりに何かよく分からないが焦り、不安感が現れ、目が痛くなってまぶたが閉じられなくなった。たまにこの現象がある。焦燥感、不安感が高まるとまぶたがピクピクし始めるのだ。神経症的な症状。大変だ。ライブ前とか外出時にこれにならなければいいのだが。歌ったりゆらゆら帝国のライブ盤聴いたりなどして気を紛らわせた。数十分経ったら治まったので、とりあえず安心した。KREVAの歌詞じゃないが、何が俺を惑わせているんだ?という気持ちである。


8/26 水
朝から鬱。活力が出ない。鬱というのも言葉では表現しにくいものだ。自分の場合はとにかく頭が重くなって、訳もなく気分が沈むのだが、この感覚はなかなか共有しづらいものではあると思う。だからこそつらいのである。
この世で最も深く人を病ませるのは、他者と理解し合えないという状況だ。逆に言えば、誰かと理解が深まっている、という感触があれば人は生きていけるのである。これは自分の経験則だ。学校や会社で自分の思い、行動が理解されなかったことは自分の中で最低なトラウマになっていて、ふと思い返すたびに悔しくなる。未だにそのトラウマの幻影を振り払えていない。つまり、つらい。そして、だるい。嘘みたいにだるい。
身体が落ち込んでいる。感覚が塞いでいる。他者となかなか共有できない感情で今の自分は動いていて、その動きの流れは今や急流のように止められない強固さだ。
ああ、なんでこんなネガティブなことばかり言ってんだろう?でも、無理矢理にでもポジティブなことを言おうと努めるのは逆につらい。ネガティブな思考には中毒性がある。一旦ハマると抜け出しにくい。うまいこと成功体験が得られるようなことがあればいいのだが。まあ、自分で色々仕掛けていかないと状況は変わらない。それは分かっている。分かっているのだが。今日明日で素晴らしい結果が出る訳がないのだが。求めてしまう。考えてしまう。欠落を感じている。

昼、エレキ弾く。マルチストンプのコンプレッサーを研究。Dual Compという機能が良かった。ツマミで色々調整したらダイナコンプ並みの音になった。コンプレッサーはかけてないと気持ちが悪くなるぐらい自分にとって重要。

鬱が絶え間なく降る。肩こりのせいで腕も歯も痛くなって来た。ジャクソン・ブラウン「Late For The Sky」でなんとか持ちこたえる。どうにもならん。

夕方「I'm always rain」のPOTATO GENIUS!あらすか氏リミックスバージョンをアップ。
ラップ録音。「相席食堂」観る。
歌詞書く。寝る。


8/27 木
朝から雨模様で鬱。鬱は天候に左右されるというのは有名な話だが、自分とて例外ではない。相変わらず外に出るのが怖いし、傷付きたくないからあらゆる行動に対して臆病になっている。「怖がってばかりじゃ何が正しいのかも分からない」というGREAT3の歌詞を思い出す。全くその通りだと思う。

二度寝。深い寝入り。日本を憂う気持ちで目覚める。
多くの人間が対立を深めて連帯を強めようと企んでいる。今の世の中ははっきりと不健全だ。自分を正当化する論理だけはたくさん持っているくせに、他者への配慮はしない。そういう人間たちがデカい声を出して、暮らしに困っている人々を扇動しようとしている。
この世は権力を持った順に狂っていく仕組みになっている。SNSのせいで、何もしていなくても他人の無鉄砲な悪意が頭に入って来る。現実にもネットにも、どこにも精神的な逃げ場が無い。俺のように鬱病に罹患する人はますます増えるだろう。
人間のメンタルや、繊細な部分について思いを巡らせておらず、マッチョイズム優先で物を語り、総意を演出したがるだけのこんな国は十年も経てば衰退している。もう衰退するなら勝手にすればいい。スラムになった路上で思い切り歌ってやる。

日々、色々あり過ぎ。倦怠感や怒りが募るがもう黙々と好きなことを好きなだけやるだけだ、それしかないんだ、と思っている。懲りずに、バカバカしく、やり切れなくても。難しい話じゃないはずだ。
何もかも諦めた上で、誰かが作ったつまらん状況に乗っかっていくような真似はしたくない。結局、自分の手で面白いものを作れなければ、あとはくたばるだけじゃないか。俺はまだ生き続けたい。だから色々作って世に出す。

夜、無力感に襲われる。何曲作ろうがこの暗い迷路から抜け出すことは出来ないのだろう。鬱だろうがなんだろうが、きちんと仕事探して働いて金稼いだ方がためになるはなるだろう。しかし働く気が起きないのはさらに病みが深くなるのが怖いからだ。
働こうが、音楽や文章書くのを頑張ろうが、自分がこんな酷い性格ではどうしようもない。そもそも、ありのままの自分が腐り過ぎていてゴミ屑なのが悪い。人格改造。できるもんならしたいところだ。それで感受性や繊細さが失われても構わないとすら思う。

「あちこちオードリー」観る。パンサー向井の壮絶な独白。聞いてはいけない言葉を聞いてしまったような感じ。純文学みたいな番組。凄かった。
特に何か成す訳でもなく眠る。


8/28 金
朝、二度寝が深い寝入りだったので良しとする。
インプット、アウトプットすることに疲れて来た。Apple Musicで色々ダウンロードしてるが、少しずつしか聴けてない。本も読もうとしてなかなか読み進められず、いわゆる積ん読になっている。日記書いて、キースジャレット聴きながら倒れ臥すだけで精一杯。何も成せない時間はただただつらい。何をもって「成した」と言うべきかということも考えねばならない。しかし考えるより手を動かした方が絶対にいいのだ。

コロナになって、今は不幸な時代だと思われてるとは感じるが、不幸を不幸なだけで終わらせるのも、そこから飛躍しようとするのも自分次第な訳で、コロナだから不幸だとかそんな風に決め付けるのは嫌だ。自分で面白くすればいいのだ。面白くするには体力が必要だし、擦り切れるような大変さもあろうが、でもそれを諦めたら本当に終わりだ。黙って苦しめられている必要は別に無い。と、ふと思った。

昼、録音と動画編集。

首相が辞めるとのこと。政治の話題なんてアホらしい。こんな寛容さに欠けた国なんか、十年も経てばダメになっている。いざダメになった時に何が出来るかにかかっている。新しい文化や新鮮な意見を作れるか。個人性を大事に出来るかどうか。

意味も無く腹立たしくなる。生きているだけで辱められているような気分。衆人監視の中で全裸を晒されているような、誰かに毎秒尾行され銃で狙われているような気分。罪をいくつも背負わされながら生きさせられている気分だ。被害妄想じゃない。悪魔がいる。俺のせいか?街のせいか?政治のせいか?分かっている、誰のせいでもない。
誰かが救い出してくれる訳は無い。今やりたいことをひたすら突き詰めるだけ。音楽。言葉。だけ。

Converge聴いて自分を鼓舞する。続いてDischargeも聴く。こんな日にはぴったりだ。


8/29 土
深い寝入りから目覚めたら土曜日だった。最近は眠りが良いので助かっている。鬱は相変わらず辺りを旋回しているが、眠れるだけ恵まれていると思わなければ。

プリンス「20Ten」は良い。こういう箱庭的な響きのファンクは最高に好き。

人生においては、立場なく協力し合うしかない。優しさを置き忘れた人間にはそれなりの深い代償が降って来る。

昼、湿疹らしき何かが出来たので皮膚科へ行く。塗り薬と錠剤を頂く。

昼から夕方にかけて、いおりさん宅で配信ライブと録音。いおりさんは出すフレーズに迷いが無いのが素晴らしい。すんなり一曲出来たので来週金曜出す。

夕飯食いながら宮下草薙が自炊する動画観て、彼らコンビふたりの善性を信じる。でも実際は相方の首絞めたり、高校を身体測定の日ぐらいに辞めたりしてるわけで、こういう人間たちが居てくれて良かった。宮下草薙の存在はテレビ界の、人間界の奇跡だ。

更に、中原昌也「死んでも何も残さない 中原昌也自伝」読了。言いっ放しの本音、残酷な思いしか書いてなくて凄かった。でもなんか救われてる気分で読めた。徹底してネガティブな表現は、人をポジティブにすることがある。

ラモーンズの「It's Alive」というライブ盤聴いてるとグッと来る。似たような曲ばかりを勢い良く思い切り振りかぶって演ってるのが最高。

今日は鬱が逃げている。今なら何でも出来そうに思えるから不思議だ。ああ、今度は躁に切り替わるのか?万能感とかが出始めたら危ない。



来週に続きます。

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