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2020/8/9〜8/15 日記(居場所とは編)

8/9 日
朝、二度寝したら学校に行く夢を見た。夢の中で、自分は自分が行くべき教室を探していた。けれどもいつまでも辿り着かない。足が重く、動かない。動かなくなったところで目が覚めた。
この歳になっても学校に行く夢を見てうなされる。トラウマになっているのが分かる。小学校から高校まで通ったけど、他人に邪険にされたり、勉強が出来なかったりと辛いことばかりで、いつも酷く悲しかった。そしてその辛さを誰にもうまく言えなかった。今になってこうして言葉で感情を整理できるようになったが、当時は全く出来なかった。そのせいで周りから誤解されることばかりだった。
思い出したくないのに、寝ているとこうして夢を見て思い出させられるから嫌だ。

昼、鬱が来て少し動けなくなる。昼寝して誤魔化したかったが失敗。無理矢理起きて日記をnoteにアップ。虚脱と摩耗。

配信や録音の拠点になるようなプライベートルームが欲しい。そこに来れば大体の音は録れて、演奏もできるくらいのお洒落な部屋が欲しい。色々つらいが、要は居場所が欲しいんだと思う。自分探しはしないが、パーソナルな居場所はずっとずっと探している。
まったく、何もしていないと欲ばかり湧いてくるからダメだ。本当に必要なものはもう大体揃っている気もするのだが。これからは取捨選択する勇気を持たなければならない。要らないものは要らないし、要るものは手元に既にあったりするのだ。
恐れることなく、目の前の毎日に飛び込んでいけばいいのだ。敵?敵は居ない。敵は居ないということに気付け。それに気付くのが遅くなると、嫌な青年になり、嫌なおっさんになり、嫌なじいさんになってしまう。当たり前によく分かっておくべきことだ。自戒だ。

MOCKY「Key Change」、ずっと聴いてるけど飽きない。こういう作品も作りたいのだが、俺の声じゃなかなか様にならなそうだ。「Whistlin'」のMVのような暮らしに憧れる。
(まったく、いい大人になっても何かに憧れてばかりで自分が嫌になる!憧れより具体的な行動を積み重ねるべきだ。どうしても自分は自分にしか成れないんだから。何か持っているような気分で、本当は空虚で曖昧だ。誤魔化してばかり。)

夕方少し鬱。布団に潜ると鬱が来るようだ。歌詞を書いて気を持ち直す。

夜は焼肉食ったが、より鬱になってきて、考える。みんな辛い思いで、みんな悔しい思いを味わっているのが今の社会だということを分かっている、ようで、本気でその重大さを考えていない俺は、いつもいつも自分が一番辛い!みたいな顔をしているが、本当は全くそんなことはないのだろう。家族の扶養で生活も保障され、やりたいことだけたらふくやって生きている自分なんか、全然苦しんでいないに等しい気がする。充分に幸せな癖に、何か作家的な苦悩を演出したくて、鬱だ、つらいと無闇に騒いでいるだけのようにも思えてくる。自分はあらゆる面において「偽物」なのではないか、という不安は常にある。どこまで行ったら罪の意識が消えるのか。いつの間にか背負わされている十字架の重さが年々増し、俺を食い荒らしていく。


8/10 月
朝から気持ち悪い。吐き気。虚脱感。午前中ずっと鬱。ベッドから動けない。眠っても鬱が霧散しない。きつい。頭が締め付けられるように重い。
つらすぎてパットメセニー「One Quiet Night」しか聴けず。何の説明も訓戒もなく、ただただ美しくアコギが反響し続ける名作。

頭の上に黒い靄が出て来ている感じがする。頭から何か湧いてくる、という表現が一番正しいような。湧いてくるのだ、どうしても。
曲作りたいがバーンアウト気味で気力が出ない。情けない。短期間で作り過ぎたか??
まあ、要は自分の居場所がどこなのか分からないから苛ついているのだ。ここが俺のスポットだと心から理解できる場所が欲しい。誰かと話したいけど話す気力も無い。なぜ鬱になったんだろう。もう理由が分からない。明確な理由があってなるものでもないのかもしれないが。

ふと、耳を傾けた1986オメガトライブ「Navigator」が素晴らしいことを再確認する。シンセサイザーのやけにチープな音色すら美しい。スネアの鳴りもクール。

しかし鬱になると寝転がって音楽を聴くことばかりになるのがつらい。映画や本にも触れたいが、映画も本も味わうには体力要るし、寝転がって見られるものではないので今は難しい。結局また「One Quiet Night」...。

吾妻ひでお「うつうつひでお日記」再読。身に沁みてしょうがない。
一体この先どうなるのだろう?今生きている家族や、周りの人が明日も無事生きているとは限らないのがこの世というものだ。それを思うと不安に襲われて嫌になる。つらい。

ダイナソーJrの「Alone」という暗い歌を聴いていたらますます鬱になってきた。延々続くギターソロがやかましい。Gareth Dicksonに変える。

起きているのがつらい。今はまだ少しは動けるが、だんだん生命力が欠けてきたらどうしようか。つらい。田舎に越して引きこもっていたい。


8/11 火
朝、少し楽。朝飯食ってすぐ寝る。社会を憂う気持ちで目覚める。
Twitter、そこら中茶番、対立、負の感情ばかり。そろそろこのツールも終わるだろう。Twitterではない形で、創作をする人に有効な拡散のためのツールが欲しい。イデオロギーを戦わせたがる人たちには何言っても届かない。何の気なしにSNSに未来を見出していた自分が恥ずかしい。アホだった。こんなのは人を堕落させるだけ。

Washed Outがいつの間にか新作を出していた。80'sニューウェイヴサウンド。METZ新作も良さそう。VELTPUNCH新作もちゃんと聴かねば。

夕方鬱。気分悪い。とにかく悲しくて、変に悔しくて、何見ても何聴いてもダメ。
コロナ以前の世界に戻ろうなんて悪足掻きはよさねば。もう世界は元に戻らない。修復されることはない。世界は闇だ。だからといって苦しんでいる必要はもちろんなくて、無反省に無茶苦茶に様々なことをやるしかない、と思っている。

ダメだ。虚無感で気分が沈んで来る。この先何を達成しても、誰かの大きな物語や、社会の総意の中に自分が取り込まれていくのなら何曲作っても無駄だ。この世界は最悪だ。何かを変えるための努力をするパワーも、今の自分には欠けてしまっている。
そんな気持ちで聴いたマッドハニー「Superfuzz Bigmuff」は、妙に生々しく格好良く聴こえた。俺はやっぱり音楽に導かれ続けるのだろうし、最早それは見えない意志の流れに突き動かされてるようなもので、世界にさえ俺にストップはかけられないのだ。きっと。


8/12 水
午前中鬱。ベッドに倒れ臥して伊藤ゴロー「GLASHAUS」聴きながら耐える。
自分の人間としての未来が見えて来ないのがつらい。見るもの聴くもの全てが変に思える。いつまでもこの生活は続かないことは分かっているのに、何もする気が起きず、動けないまま鬱に呑まれていく。仕事でも、雇い主や顧客と気持ちで繋がれないなら、いくらカネを稼げても無意味に思える。カネだけの関係性は摩耗する。綺麗事ではない。
創作は楽しいが、果てしない荒野に立たされているような孤立感があって、それはそれでつらい。何かを終わらせたくて作っている、という言い方が一番正しい気がする。
要するに、とにかくつらい。

北沢夏音「Get back, SUB! あるリトル・マガジンの魂」少しずつ読んでるが、鬱がきつくて一向に進まない。

昼間、なんとか深い眠りに入って少しは体調マシになった。それでもわだかまりは残る。

夕方散髪。街を歩くのが恐ろしくてたまらず、母親に車送迎を頼む。情けない。本当に情けない。こんなことは今まで無かったのに。これが鬱なのか?
帰宅したら、やはりというかなんというか、どっと疲れが来た。何かやろうと思っていたが身体が動かず、じっとiPodを見る。

Washed Out新作がやたら良い。煌めく夏を幻視。レディオヘッドも聴き返す。「KID A」「Amnesiac」が一番いい。

「あちこちオードリー」観ながら夕食。東京03、バカリズムがゲスト。実に爆笑し感動する。


8/13 木
朝、少し気分が穏やかだったが時間が経つとだんだん鬱が入って来た。パットメセニー「One Quiet Night」で寝る。

昼飯後さらに鬱になる。過去のつらかった記憶を思い出してしまう。中学の時、部活を辞めた時の記憶など。あの時もうまく周りに自分を説明出来ずダメになっていた。今なら言えることもたくさんあるが、もうあの頃周りに居た人たちが現在どうしているかなんて知らないから、伝えられない。彼らの記憶の中で、俺はどう映っているのだろうか。無論そんなことを気にしても仕方ないが、昔も今も行く先々でダメ人間、もしくは奇妙だと思われてしまうことばかりだからつらい。だからといって純粋さ、寛容さと言えるようなものは俺には無いし、そんな自分を取り繕っていても無理が生じる。

街に出るのが本格的に嫌になってきた。引きこもって想像力だけで飛躍したい。
引きこもることは良くない、と言われがちだが、引きこもることの何が悪いのか分からない。家にいてもドラマはあるし、歌も物語もいくらでも生まれる。全ては想像力次第だ。引きこもることは悪いことじゃない。引きこもっていた方がインスピレーションが活性化するタイプの人間も居るのだ。それが俺だ。

夕方、一曲作る。夜、「ゴッドタン」観て爆笑。
寝ようという段になって鬱が来て頭が重くなる。


8/14 金
朝、二度寝から起きたら比較的楽。つらくなったり安心したり、感情の変動が多過ぎて疲れてしまう。

プリンス「サイン・オブ・ザ・タイムズ」デラックス再発が楽しみ。膨大な秘蔵音源とライブが発掘されるようだ。

microstar「東京の空から」を聴くと感動する。これがDTMで作られているというのは驚異的だ。しかし俺は毎日毎日、音楽ばかり聴いていて、自分でもよく飽きないなーと思うが、もう音楽は身体の一部なので、異常だけど、どうにもならない。音のテクスチャーとメロディーをずっと味わっていたい。

夕方、また一曲作る。短い曲。

明日は盆なので鶴田へ墓参りに行く予定だが、外出できるか不安で仕方ない。街は怖い。でも留守番も不安だ。どっちみち行くしかないか。

Ben Watt「North Marine Drive」を聴き直し、改めて名作であることを確認する。個人の独り言、鬱屈、内省が見事に極上の音楽になっている。少し曇った音像さえ美しい。何かと一体感やシェアを求め合い、正義感を押し付け合う隙を多くの人が狙っている、こんな時代だからこそこのアルバムに存在する精神性を大事にしなければ。現代に生み出される創作物も重要。しかし、過去の名作が教えてくれることは、そりゃもうたくさんある。

今週作っていた新曲「夜嵐」をネットにアップ。

夜、鬱が止まらず頭が重く、悲しい。何も言いたくない。何もしたくない。寝転がってサンデイズ聴いてるだけで精一杯。


8/15 土
朝から墓参りのため鶴田へ。鬱がなんとか治まっている隙に出かける。
車中でスフィアン・スティーブンス、エリオット・スミスなど聴く。
毎回思うが、宮之城。鶴田。あの辺りは景観が良い。あんな風景の中に暮らしたい気分だ。外も大して暑くなく、墓参りを終え、正午辺りに無事帰宅。

夕方、所用でリモートワーク。ファイル交換など。
夜は深く眠れた。鬱で夜更かしも出来なくなった。いつも21時台には眠ってしまう。



来週に続きます。

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