見出し画像

映画館と孤独感

またまたエッセイ。肝心の映画評はどこへ行ったのか。まぁ、それは置いといて……

私はとにかく映画が好きだ。できることなら丸一日、映画を見ることだけに費やしたい。映画を見て考え込み、また見て、感傷に浸りたい。できることなら、静かな音楽が流れるような作品と、暴力的で流血沙汰が起こりまくるようなバイオレンスな作品を交互に見たい。

しかしそれはもう、なかなか叶わぬ夢な訳で……

少し、思い出話をしていこう。

大学生の時、私はアルバイトで生計を立てる貧乏学生だった。生活に余裕はなく、できる限り食費を削ったりしていた。

そんな私にも、出費を厭わない贅沢があった。それは、古本屋で本を買うことと、2ヵ月に1回の映画館通いだ。特に好きだったのはミニシアター。学割が効いた(なんと千円で見られた)上、有名ではなくとも、心に響く映画を知ることができた。

通っていた映画館の雰囲気をよく覚えている。座席の色合いや手触り。隣に座った見知らぬ人の息遣い。少し離れた席に座る人の、息を吞む音。

もしくは、貸し切り状態で一人映画を見た思い出。手を伸ばしても誰の迷惑にもならず、のびのびとした気持ちで映画を堪能することができた。ちなみに、そのときに見たのはSF映画の「月に囚われた男」だった。

「月に囚われた男」は面白い。たった一人で月での労働に従事する男性を描いた映画だが、低予算にも関わらず凝った作りをしていた。そして私は、主人公の男性に自分自身を重ねた。

それは、単純に孤独だったということ。そして、見えてはいるけれど、なかなか手が届かない希望を持っているということ。

私は本質的に孤独だった。大切な友人はいても、どこかしら孤独だった。

映画館で見る映画。それは、私の抱く孤独感を癒してくれた。共感・抱擁・警告・目標……。それら全てを内包していた。

今、私を取り巻く環境は変わった。大学を卒業して、就職し、結婚した。今は働きながらWebライターを志し、子供を育てている。大学生の時抱いていた孤独感は、どこかに隠れてしまった。

それでも何等かの拍子に、孤独感が顔を出す。普段忘れているだけに、そのときの勢いは凄まじい。そして私は、また映画館に通いたくなってしまう。

何にしても、私は孤独感と付き合う運命にあるのだろう。そしてそれは、決して不快ではないのだ。


#映画館の思い出

この記事が参加している募集

#映画館の思い出

2,633件

読んでいただき、ありがとうございます! サポートしていただいた分は、見ること、読むことなどの勉強に使い、有意義なものにしたいと考えています。