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NPOで不動産仲介免許をとった理由、想い、目指すもの そして、そもそものNPOの役割や運営についてを〈もやい〉から考える

noteをはじめてみようと思った。ふだん、紙やweb媒体ではなかなか書きにくいことなども、何らかの形で残しておきたいなと。日々は流れていくから。
ちなみに、ふだんは、yahoo!ニュース個人現代ビジネスで書いています。(そちらも合わせて読んでもらえたらうれしいです)

まず、最初に何を書こうかなと思ったんだけれども、、、実は5月1日に僕が理事長をつとめる〈もやい〉でリリースを出した。この件について、あまり想いを書いたりできていなかったので、ここで書いてみようと思う。 

〈もやい〉の新しい取り組み

〈もやい〉は2001年に設立したNPO法人。(2014年からは認定NPO法人)
何をやっているのかをざっくり言うと、日本の貧困や格差に取り組んでいる。生活に困っている人への相談支援(年間約4000件)、住まいがない人がアパートを借りる際の連帯保証人等の提供(のべ約3000世帯)居場所作りの活動(カフェやコーヒー焙煎等)メディアでの発信や政府・自治体への政策提言など。

〈もやい〉は設立から18年目になる、NPOとしては老舗(?)の団体だと思う。(NPO法が成立したのは1998年)
僕はその〈もやい〉に2010年頃から関わりはじめ、2012年から有給スタッフになり、2014年に2代目の理事長になった。

団体ができてから18年も経つと、それこそ、いろいろな変化があるものだ。設立時から関わっているメンバーはいまは数人しかいないし、現理事長の僕自身もその歴史の半分も体験していない。そして、そういった「団体」だけの話ではなく、「社会」の変化も著しい。

僕が〈もやい〉の活動に参加したのは、「ポスト年越し派遣村」である。
ここではあまり触れないけれども、「貧困がない」と言われた時代から「貧困が存在する」「日本の貧困率は高い」というフェーズに変わっていくタイミングだった。そして、その後、2010年代には「子どもの貧困対策基本法」ができたりと、少しずつではあるが(不十分な点も多いが)、政策ができはじめている。(いまは日本社会で「貧困がない」という人はほとんどいないだろう)

2001年の状況と2018年の今では大きく違う。生活に困っている人も関わるメンバーも社会のあり方やさまざまな制度なども。2001年には「ネットカフェ難民」という言葉もなかったし、製造業では派遣が禁止されていた。

だから、当然、団体のあり方や方向性、取り組む課題やおこなう事業についても、必要に応じて変わっていく(変えていく)必要があるだろう。
そういった「変化」を念頭に入れつつ、以下、話をしていこうと思う。

ここでは、なぜ、NPO法人で不動産仲介免許をとろうと思ったのか。(認定NPO法人では全国初)
また、政策ができつつあるなかで(一方で、まだ光のあたっていない分野もある)、NPO等がになうべき役割は何なのか、考えてみたいと思う。

「連帯保証人」から「不動産」へ

まず、なぜ、不動産仲介免許をとろうと思ったのか。それは非常にシンプルだ。

残念ながら、まだまだ日本社会では一度「住まい」を失ってしまうと、再度「住まい」を得るのは難しい
アパートを借りるのにも、初期費用や安定的な収入(安定した仕事)、保証人や身分証明書などが必要で、それを用意できない人が、結果的にアパート生活に移行できない、という問題がある。

〈もやい〉では、これまで約2400世帯に連帯保証人を、約600世帯に緊急連絡先の提供をおこなってきた。2001年の設立時には元野宿の人への連帯保証人提供が中心だったが、その後、母子世帯や障がいを持つ人、ネットカフェ生活をしていた人やDV(配偶者等からの暴力)や家族からの暴力から逃げてきた人など、さまざまな背景を持つ人たちのアパート生活への支援をおこなってきた。

一方で、そういったアパート生活への支援をしていくなかで、大きな壁も感じていた。
それは、連帯保証人の引き受けや緊急連絡先の提供という形で、アパート入居への手伝いをできてはいるものの、まだまだ、それだけでは「住まいの貧困」の解決には到底いたらない、ということ。

アパート契約までのハードルの高さをクリアするために

生活に困っている人がアパートを探すとき、収入が低い人がアパートを探すとき、それから、生活保護を利用している人がアパートを探すとき、身寄りがない人がアパートを探すとき。親身になって物件を調べてくれる不動産屋さんは決して多くはない

また、アパートの大家さんの多くも、所得が低い人や病気や障がいを持つ人などは敬遠してしまうことも多いのが実態だ。
現に、私たち〈もやい〉が連帯保証人を引き受けできると伝えても、物件の審査に落ちてしまったり、そもそも、不動産屋さんで門前払いをされてしまうこともある。(不動産屋さんからすれば、所得が低い人の物件を扱っても利益が少ないし、むしろ家賃滞納などのトラブルが起こり、それに対応するためのコストを考えると二の足を踏む)

また、「生活保護OK」などののぼりを店頭に立てている不動産屋さんなども見かけることが増えたが、すべての業者が必ずしも良心的な契約内容で対応してくれるわけではない

また、物件を借りたいと思っている人の側でも、身分証がなかったり、安定した職に就いていなかったりなど、大家さんがリスクを感じてしまう状況の人もいれば、コミュニケーションが上手ではなくて、不動産屋さんとのやりとりで自分の状況や必要な条件をうまく伝えられないなどの、課題がある場合もあった。

これまで〈もやい〉は、「入居支援事業」をおこなってくるなかで約3000世帯の人のアパート入居への支援ができた半面、これまでやれていなかったこと、〈もやい〉が連帯保証人や緊急連絡先を引き受けても、アパート生活にたどり着くことができない人が存在していたのも事実なのだ。

不動産「仲介」を始めるよ

実際にアパートを紹介するには不動産仲介の免許が必要だ。これまでも心ある大家さんなどから個別に「うちのアパートを使っていいよ」などのお声かけをいただくこともあったが、〈もやい〉として対応が難しかったこともある。

何軒も不動産屋さんを回ったがけんもほろろだった、そもそも病気や障がいがあり自分で不動産屋を回るのが難しい、そういった人に対して、私たち〈もやい〉が不動産を「仲介」する、ということの必要性を感じていた。

また、たとえば、生活保護を利用して無料低額宿泊所などの施設などに望まずに長く滞在せざるを得ない状況に置かれている人などで、役所の担当者がなかなかアパート生活への移行を許可しない、アパート生活に移行するための一時金申請をするにしても、物件の見積もり書が必要だ、などの人にとっても、確かなニーズがあった。

連帯保証人、緊急連絡先、そして、不動産仲介へと事業を展開することにより、「住まいの貧困」の問題に正面から向かっていこうと、〈もやい〉としても内部での議論を進めていくなかで準備を進め、このたび、不動産仲介のための免許である「宅地建物取引業免許」を取得した。(免許番号:東京都知事[1]第101796号)

これにより、不動産業者として物件情報を調べ、不動産屋さんや大家さんと交渉したり、契約に立ち会ったり、また、契約自体をおこなうことができるようになった。

誰もが当たり前のように苦労せずにアパートに入居できる社会にしたい

とはいえ、不動産業の実務経験があるわけではないし、街の不動産屋さんとして活動するわけではない。まあ、ある種それは当然だが、自分の力でアパート探しが難しい人に伴走していくことを目指すので、「住まいの貧困」に取り組むために特定非営利活動としてアパートの仲介をおこなう。

認定NPO法人として全国初の「宅地建物取引業免許」を取得ということもあり、まだまだ手探りの部分もあるが、これまで以上に「住まいの貧困」の解決に向けて、取り組んでいきたいと思っている。
「住まいは人権」という言葉があるが、誰もが当たり前のように苦労せずにアパートに入居できる社会にしたい。それを〈もやい〉としても目指していく。そして、そのための新事業としての「不動産仲介」なのである。

アパートに入居したいができずに困っている人と、部屋は空いているが(空き家は都内だけで約80万戸。もちろんすべてが低所得者向けの賃貸ではないが)、家賃滞納や近隣トラブルなどのリスクを敬遠して(不安を感じて)入居させない大家さん。その双方をうまく「つないでいく」ことができれば(社会の価値観や風潮も変えていく必要があるが)、社会にとっても大きなインパクトがあるだろう。まさに、「住まいの貧困」に対応するためのレバレッジポイントがそこにあると考えた。

〈もやい〉では、主旨に賛同してくれる大家さんを募集しているし、応援してくれるサポーターを募集している。ご支援・ご協力をお願いしたい。

と、ここまでは〈もやい〉の新事業についての紹介と説明。
今日ここで書きたいのは、少し違う角度からの話。せっかくnoteで書くわけなので。

〈もやい〉はNPOとして何をおこなっていくべきなのか

そもそもがNPOとして支援をおこなうというのはどういうことなのか。てか、そもそも〈もやい〉は何を目指して、どんな立ち位置で何に取り組み、どのような社会を構想するのか。。。言葉にすると大きな話だけれども、少し考えていきたい。
ここからは、超〈もやい〉の話なので関係ない人、興味ない人にはつまらないかもしれない。でも、読み物としてこういう団体があるんだ、なんか模索しながらやっているんだ的に楽しんでもらえたら、とは思う。長文になるのでご覚悟を。僕のなかでの思考をまとめる目的もある文章なので。

1.〈もやい〉の成り立ち

〈もやい〉のそもそもの成り立ちは特異だ。〈もやい〉は新宿や渋谷で野宿者支援をおこなうメンバーたちによって、住まいがない人のアパート契約の際の「連帯保証人」を引き受ける、という目的で創設された。
現場が〈もやい〉になったのではなく、現場でのニーズや課題を解決する「現場」として〈もやい〉がうまれたことに特徴がある

これは、すでにそれぞれに現場で課題解決に奔走している人が(これは支援者の場合や当事者の場合もある)、自分たちだけの個人や単体のグループ・活動、分野、地域では解決できない課題に直面した時に(それは往々にして共通の課題である)、その課題を突破するための一つの解決策として〈もやい〉が求められたということでもある。

具体的には「保証人」という共通の課題(壁)に対して、〈もやい〉という枠組みがハブ的に引き受けることにより、結果的に都内各地のホームレス支援団体や公的機関をもとより、保証人のニーズがあった(家族などの頼れる血縁関係をもたないという共通項のあった)DV支援や外国人支援団体ともつながっていった。そして、このことは偶然ではない。

〈もやい〉設立メンバーである湯浅誠氏がフードバンクを設立したこと、反貧困ネットワークを立ち上げていったことも、この考えに基づく。

〈もやい〉という「現場」が、さまざまな課題を解決してきたのではなく、さまざまな現場の活動があり、そこを補ったり(生活保護申請などのノウハウの公表や保証人提供)、支えることにより、〈もやい〉は「現場」を持ってきたと言っていい。

そして、地域密着や専門分野特化では対応できないところ、こぼれるところを拒まず、対応してきたことにも大きな意味があった。保証人も予審をしないし、生活相談も対象を限定しない。それにより地域性や専門性がうすれてしまうことは受け入れつつも、横断的であることに戦略的にこだわってきたといってもいいだろう。
それにより、〈もやい〉は業界内での立ち位置、メディア発信、政策提言等の力を持ってきたのだと思う。

2.横断的であることの「強味」と「弱み」

湯浅誠氏が渋谷でのみ活動をしていたり、稲葉剛氏(前理事長)が新宿でのみ活動していたら、彼らは今、大学教員にはなっていないのではないかと思う。(念のため書くがdisってはいない)

(ちなみに、湯浅誠氏は現在、「子ども食堂安全安心向上委員会」という活動をやっていて、稲葉剛氏は中野区を中心に生活困窮者へのシェルター提供や居場所作りの活動などをおこあっている。

「貧困を語れる」ということは、つまり、「貧困を知っている」ということ。例えば、子ども食堂のNPO代表のところに、派遣労働や精神科病棟の社会的入院、待機児童問題について、メディアでのコメント依頼が来ることはほとんどない。横断的であることの意味と価値、重要性はそこにある。

もちろん、個別の課題を軽視しているわけではない。個別の地域密着や専門性に特化した活動がなければ、〈もやい〉は成り立たない。彼らの「現場」が最前線であることには変わりはないし、彼らの活動と情熱がなければ(多くはボランティアベースなので)、まだまだ公的支援や地域生活につながれない人がたくさんいる。

他方で、「貧困の可視化」「社会問題化」においても、横断的であること(一部の問題ではないこと、普遍化できるロジックがあること)はとても重要な要素になる。
特に「貧困」の問題への取り組みには、多くの人の「共感」と「協力」が不可欠である。もちろん、この「共感」や「協力」はミソではあるのだが、実際に「他人事ではない」や、「権利が守られていない」と理解してもらわなければ、活動は拡がらないからだ。

そして、残念ながら多くの人がみなこちらが望む理解をするわけではないなかで、ある地域、専門性の一本やりで突っ込むことは汎用性に欠くだろう。そういう事例は枚挙にいとまがない。
それぞれの課題が実は「つながっている」という視点、そして、それらの諸課題の解決には個別の対策ではなかなか難しい、という現実には、「貧困」という横ぐしで問題を明らかにすることが一つの切り口になるのだ。

では、「弱み」は何か。それは、地域密着や専門性に特化していない、ということだ。たとえば、新宿区の百人町近辺でのみの活動であれば、地域に密着した手厚い支援が展開できる。しかし、逆に言うと、百人町以外の人や、新宿区外の人は対応できなくなっていく。
間口を広くとること、地域を限定しなかったり、専門性で窓口を分けないことのデメリットとしては、伴走・よりそい的な支援がやりにくいという問題である。
とはいえ、ここは、そもそも、〈もやい〉の役割なのか、という疑問はぬぐえない。
それぞれの地域や専門性のなかで各団体、機関が基本的に対応するべきであり、各団体、機関が地域性、専門性の壁で対応できない共通の課題に対して、〈もやい〉がサービスを提供したりアイデアを考える、というのが本来の役割だと〈もやい〉は考えるからである。

しかし、実際には、地域、専門分野において、個別の活動や団体、機関がないことも多く、この図式があてはならないことも多い。

3. ハブとは何か

ハブ的であるということはどういうことか。それは、地域密着の活動、専門性に特化した活動同士をつなげたり、ノウハウを共有したり、支援したりすることだ。
そして、そういった地場の活動(ローカルな活動)がない地域、専門性においては、それを作る支援をしたり、それも難しい場合は、公的な機能にそこを求める提言をおこなうことにより、民間のみならず公的支援のセーフティーネットを構築することだ。

〈もやい〉の2000年代中盤以降の活動の意義と役割は、ほぼそこにあったと言っていい。

・「ホームレス」への生活相談(同行支援)から「生活困窮者」へ。(経済的貧困という共通項)
・「ホームレス」への保証人提供から「人間関係のつながりをもたない人」へ。(つながりの貧困という共通項)


一つの分野(対象)からスタートしてその共通項に気づき、「貧困」という切り口で問題を広くとらえて見つめてきた。

それは、地域的にも同じで、例えば、「ホームレス問題」で言えば、「寄せ場(山谷や釜ヶ崎など)」の問題が1990年代に「ターミナル駅(新宿駅近辺など)」の問題となった。

同様に「ホームレス状態」と言うと1990年代以前は「野宿者」を主に指していたのが、2000年代の中頃以降からは「ネットカフェ難民」などの存在が明らかになることによって、ある意味での多様な拡がりをもつ言葉になった。

時代や地域、さまざまな背景があるが、ある社会問題が存在するときに、それが一つの理由(原因)で起きているとは考えにくい
「貧困」であれば、環境的な意味で言うと、経済状況や雇用の問題の影響はあるだろうし、個別的な意味の話で言うと、人間関係や健康状態などの影響があるだろう。「貧困」には「普遍的なリスク(前者)」と「個別的なリスク(後者)」があると考えているが、それぞれは複雑にからみあう。(ここは重要なポイントだが今日は書かない)

〈もやい〉のこれまでの役割や機能、意義を考えた時に、ローカルな活動を志向することは自らの独自性や立ち位置を否定することでもある。あくまで「ハブ」であることによって、〈もやい〉は付加価値をもち、地域密着の、専門性に特化した団体でできない提言や発信ができてきた。

問題の複雑さや困難さを可視化し、一つの団体(専門性)、解決法では足りないことを訴え、「ホームレス問題」ではなく、「ネットカフェ難民」の問題ではなく、「日本に貧困がある」という切り口で発信や提言をおこなってきたからだ。
そして、実際の支援を通じて、支援を担っていることにより、説得力をもってそれをおこなえてきたということでもあるからだ。

4.それぞれの役割の運営について

NPO等の運営は大きく、3つの方法で成り立つ。

1. 寄付、
2. 事業収益(サービスで対価を得る)、
3. 行政委託

である。

〈もやい〉は財源を1の寄付に依存している。(収入の8割以上が個人からの寄付である。感謝!)
しかし、多くのNPO等は1で規模を維持するのは難しい

たとえば、SSSは2である。

ふるさとの会や北九州の抱撲は2と3である。

また、池袋の「東京プロジェクト」は1と2である。

地域の活動を1で担うのは難しい。地域に特化するということはイコールほかの地域にとってはあまり関係がない問題になる。
横断性や汎用性が失われることにより、グッドプラクティスとしての価値はあるが、汎用性を作りにくいことによる訴求力は減少する
「○○モデル」が民間のみでスケールアウトすることは基本的にない。なので、基本的に3による公的予算化によるスケールアウトを目指すことになる。(まず、誰かが身銭を切ってモデルを作り、それを各地域で真似をして、、、というのは理想だが、実際にはみんなが身銭を切れるわけでもなければ、同じ活動をする人の中でも発信力や展開力に違いがありうまくいかない地域・団体もでてくる。ある意味、「公的な枠組み」として多地域での展開を目指したほうが質の低下を招く懸念はあるが現実的な拡大力はある)

また、2のみで事業運営するのはこれまた難しい。SSSのように公的な人件費が予算上つかない以上、住宅扶助上限額(生活保護)と実際に法人が借りている賃料の差額で人件費をまかなう手法にならざるを得ず、大規模化や多角経営によってしか事業を維持できなくなる。そうすると、「貧困ビジネス」と近似してくる。(もちろん、ここでの「質の担保」が重要な視点だが、収益をあげにくい以上、人件費に多くの金額を割くことは大変だ)

なので、このグループは総じて、公的予算化による人件費の捻出を目指す。(ホームレス支援全国ネットのアプローチ)
事実、今国会の生活保護法改正法案においてもこの視点が盛り込まれている。(これ自体はシェルターや施設等の運営をしている団体の底上げにつながる動きだと思う)

さきほど、「東京プロジェクト」の例を出した。「東京プロジェクト」は2013年に1年間僕も雇用されて(僕の雇用先は世界の医療団)関わったプロジェクトである。
世界の医療団、てのはし、べてぶくろ、カゾック、ゆうりんクリニックなどの多職種・業種の協働プロジェクトであるが、ここでは、いわゆるシェルター事業や生活ケアの部分を「報酬」という形でまかなうことでの事業運営を目指した。つまり、医師の指示書による訪問看護が生活を支えるというモデルであり、いわゆる欧米の「ハウジングファースト」モデルが重度の精神障がい、知的障がいをもつホームレス状態の人を対象にしていたことに着想を得たものでもある。(もちろん、「社会モデル」ではあるが。ここについては担い手の人からは異論があるかもしれないが)

医療的な専門職種が医療サービスの対価としての医療扶助、介護扶助で生活支援をまかなうという考え方である。考え方としては「地域包括ケア」に近いと思う。
とはいえ、この課題は、そういったサービスにつなぐまでの期間をどうするか、という問題であり、「東京プロジェクト」のなかで僕が中核をになっていると思っている「ゆうりんクリニック」では、ここを医者が低賃金で働くことによって捻出された資金で雇われているSWが対応するという形(僕が聞いた時点では、なので今は違うかもしれない。公表してほしくない内容であったなら申し訳ない)をとっていて、医師が低賃金で働くという時点で他地域や他事業所でのスケールが不可能になっている。これは医師による1であるとも言え、持続的に機能するには3の制度化(予算化)を実現する必要がある。そういう意味でも、こちらはローカルの事業だが、グッドプラクティス(先進事例)としてのモデル事業の側面がある。(ちなみに「世界の医療団」は、本国ではハウジングファースト事業としてフランス政府やマルセイユ市等から委託を受けて事業を展開している)
※「ゆうりんクリニック」の記述は公開後に追記

このように、「ローカル」な活動は、「貧困ビジネス」にならないために、基本的には3の委託事業が前提になる、もしくは、3を作るために1と2を組み合わせる、そして、官民協働として2と3をおこなうことにより地域資源として機能する、ということが大枠の道筋と思っていい。しかし、基本的に「ローカル」にやる以上、地域が限定される。

〈もやい〉はそれをやりたいか、というと、僕はそう思わない。「ローカル」な活動は大事だし、その実践からしか地域支援はうまれないが、そういった「ローカル」な実践や事例からそれを広く展開したり、分析する、「ローカル」ではできない事業をおこなうのが「ハブ」である〈もやい〉の役割と考える。
ローカルな活動からは日本全体をどうするのか、という発想はうまれにくいし、3ありきになる提言は利益誘導の側面を持ってしまうからでもある。(それが必要なことは否定しない。そもそも、1を前提とする支援活動は多分に「自己責任論的」である。支援を必要としていて、でも実際には制度や政策がない以上、それを要求し、実現し、その担い手になることは決して変なことではなく、ある意味地域等では当然のことではある)

5.互助(共助)という考え方

さきほど、1.で寄付という言い方をしたが、正確には互助(共助)という考え方である。当事者同士の支え合いや市民同士の支え合いと言う意味である。(〈もやい〉では「もやい結び」と言う言葉を使うが、この言葉には寄り添ってことをなす、協働でことをなすという意味がある)

〈もやい〉はどの事業の作り方も、この「もやい結び」の概念に基づいている。
保証人提供も互助会向けのサービスであり、生活相談も専門家による相談というより専門知識のある隣人(知人)による相談や同行であり、交流事業は当事者メンバーが中心である。

よって、〈もやい〉の今後の当事者支援の事業も、その中心に互助的な考え方を置くことはぶれるべきではないと思う。
一方で、互助と言うのは必ずしも当事者任せの丸投げ的なものではない。(えてして互助的なコミュニティーは、そこに苦手な人がいたりすると参加しにくくなったりして、問題を抱えてしまうこともある)

それをコーディネートする役割、そして、当事者だけの問題ではないこと、当事者以外の人にも広がりを持たせて支援の輪を拡げていく機能も必要である。(当事者のみの問題=社会問題ではなくなってしまう。「貧困」は特定の人のみの課題ではなくすべての人にとっての共通の課題であるというのが一貫して訴えてきたことである)

そして、それは、当事者間、当事者と〈もやい〉のみならず、ローカルな団体と〈もやい〉についても同様である。
それぞれの役割の違いはあれど、互助的な側面というもの(〈もやい〉は〈もやい〉のみのことを考えずに業界全体を考えること。もちろん、利益誘導ではなく、だが)。
また、戦略的にもそこは貫いてきたことでもある。それをこれからも変えるべきではないだろう。(そして、その意味で、現在のところ、ぼく個人としては「我が事丸ごと地域共生社会」の議論には懐疑的である。これはここでは書かないがどこかで書きたいと思う)

6.社会の変化による「役割の変化」

さて、前置きが長くなった(笑)
2010年代の後半に入り、全国各地にさまざまな団体ができたり、制度や法律ができたこともあり、〈もやい〉の担ってきた役割は変化しつつある。
各事業がアップデートを迫られているのは事実であり、不動産事業はその流れのなかからきた。

連帯保証人については、新規の保証人提供が減っている。これは明らかに2000年代の後半から保証会社が参入し、しかも、以前に比べて穏当な保証会社(追い出しやという社会問題もあった)も増え、保証会社でこと足りる人が増えたということだ。
これは民間のセーフティネットがうまれたことでもある。市場の拡大と呼ぶべきか。(保証会社の利用に必要な「緊急連絡先」などのニーズは今後もあるだろうが)

とはいえ、すべての望む人がアパートに入れるようになったわけではない。残念ながら営利企業である「保証会社」の「審査」に落ちてしまう人が一定数存在する。(市場は拡大したがすべての人がなかに包摂されているわけではない。むしろ、困難な状況の人ほど拡大した市場にも入場できない状況がある

であれば、保証人と言うニーズは保証会社の登場により減少した(なくなったわけではないので一定対応することは残しつつも)、そのなかでアパート入居の支援として何をするべきかということを考えるべきである。

アパート入居への支援として「横断的」であるのは、不動産事業であり、事業としては、「仲介」が該当する。
管理とサブリースは必ずしも「横断的」とは言えないため(地域が限定される、対象者に限りがある等)、モデル事業としての役割や機能(ハブと言うよりはローカルな実践、グッドプラクティスを目指す。最終的には2、3のモデルを目指すということでもある)と言っていい。

そして、上記に長々と述べてきたように、〈もやい〉らしさを考えると、

・地域を限定しない
・対象を限定しない(ホームレス状態等にゆるくとる)


ことは重要だ。

また、

・互助的な機能である
・他団体との連携を密にする
(生活支援等を地域の団体や機関につないでいく、もしくは、彼らが自分たちができない仲介業をハブ的な存在としての〈もやい〉に依頼するという形)

もっとも重要なのは、私たちが「貧困ビジネス」ではないし「利益誘導型の提言」をする団体でもないということ
また、発展的解消、つまり、制度ができたり、他の団体等が担うことにより私たちがやる必要がなくなったら解散するということを目指している、ということである。支援をし続けることを志向するのではないということだ。

それこそ、大手の不動産業者等が、入居差別なく対応するようなモデル的取り組みをはじめれば、大きな成果が出るだろう。それが現実的な最適解かもしれない。(一方で「市場の拡大」のみでは包摂されない存在はうまれるであろうと思うので、公的住宅市場の拡大などの「供給」は必要になるだろう)

7.NPOとして〈もやい〉が目指していくこと

これまで、〈もやい〉のスタンス等について触れてきたが、大切なことは、〈もやい〉が人権をテーマにしているということである。「人権」というと大きな話だが、生活相談も入居支援も交流事業も、一人ひとりの人権を守るための活動である。そして、そういった権利を守る社会を作るのが広報啓発事業の役割である。

誰もがアパートで暮らしていくために〈もやい〉は何ができるのか。また、社会がそれを後押しするために何を訴えていけばいいか。民間と公的なセーフティネットを構築するために何を実践し、訴えるべきか。(民間の市場によって包摂できる部分の拡大を目指しつつも、公的な機能として網の機能をもつものとの役割分担をどのように考えるかということ)

〈もやい〉の不動産仲介事業は常にそれを念頭に入れなければならない。
そして、この問いは、日本のNPO業界の多くの団体が今後何を目指していくのか、という問いにつながっていく。

NPOは民間の企業とどう違うのか。違いを大切にするのか、その差があいまいになっていくのか
そして、社会的企業として事業規模が億単位の規模に大きくなっていくNPOもあれば、年間予算が数百万円で地域のグッドプラクティスとなっている団体もあるなど、同じ法人格でも顕著な違いがうまれつつある。

〈もやい〉のように、基本的に寄付で運営をまかなっているところもあれば、行政委託前提で運営している団体もある。

同じNPOといっても、活動分野だけではなく、その事業規模、目指している団体のミッション、ビジョンもふくめて多様になっている。

この文章に答えはないが、NPO法ができて20年。全国にNPOは5万あるといわれているが、その在り方も含めて、むしろ、社会に問われている(問われていく)のではないか。

創設メンバーがそのカリスマ性で10年以上引っ張って来たところがある。ボランティアベースで20年以上続けている互助的なところがある。社員が100名をこえて、最先端のテクノロジーをつかった事業を展開しているところもある。政府の審議会のメンバーに入り政策決定のテーブルに参加するところがある。
一方で、創業期の熱が冷め、そっと活動を閉じるところや、担っていたメンバーの高齢化により世代交代ができないでいるところ、大手の企業などの参入により(福祉の市場化的な)活動を維持できなくなるところもある。

〈もやい〉もそういったNPOのなかの一つの実践として、ロールモデルがない中での模索をしていくしかないのだろうなと思っている。

NPO法には、以下の記述がある。

(目的)
第一条 この法律は、特定非営利活動を行う団体に法人格を付与すること並びに運営組織及び事業活動が適正であって公益の増進に資する特定非営利活動法人の認定に係る制度を設けること等により、ボランティア活動をはじめとする市民が行う自由な社会貢献活動としての特定非営利活動の健全な発展を促進し、もって公益の増進に寄与することを目的とする。

ここには、「ボランティア活動をはじめとする市民が行う自由な社会貢献活動」とあるわけだが、、、すでに多くのNPO等の活動は、ボランティア活動や社会貢献活動の域を超えているのではないだろうか。

むしろ、ソーシャルチェンジやソーシャルアクション的な言葉で語るのがふさわしいようなフェーズに来ていると言えるだろう。
いちNPOの理事長として(認定NPOでもあるし)、また、寄付で運営しているNPOを運営する立場として(財政規模は5000万円弱の必ずしも大きな団体とは言えないが)、どのようなビジョンを描いていくのか、が求められているのではないか、とも思う。

新公益連盟などの動きも社会的企業関係のグループからは始まっている。

一方で、より市民活動、社会活動に近い活動、団体等のなかからも、もっとこういったこれからのNPOや市民活動の在り方を考える場や機会、ネットワークを作っていく機運を盛り上げていかなければならないのではないか、とも思う。

〈もやい〉もそうだが、こういったテーマにおいても、できることを模索していきたい。

本稿はここでいったん終わるが、このテーマについては引き続き何らかの形で検討し、時にとりとめのない文章になるかもしれないけれども、書き留めていきたいと思っている。

ご意見があれば遠慮なくいただきたいし、議論していきたい。

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