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振り返り

入院してから3年になる。2021年の3月に入院して6月に退院した。精神科病棟での生活は質素で本を読むかテレビを見るかの二択だった。夕方はラウンジに行ってテレビをつけた。外国の観光映像が流れていて港に住む家族が映されていた。海の上に家を建てて住んでいる。海の上で眠ってご飯を食べて学校に行く。そんな子供が映された。他には路上で詩を書いて売る人などがいた。寝る前にはネイチャードキュメンタリーを見た。美しい海の映像だ。内容は忘れたけれど音もすごく綺麗だったし二つあるうちの一つのテレビを占拠できたから良かった。もう一つのテレビの前ではソファに三人が座って何か見ていた。僕たちはラウンジでネイチャードキュメンタリーを観ていた。漫画も読んだ。鬼滅の刃を最後まで読み切った。あまり面白くはないと思う。でも映画はなかなかよかったし自分なりの解釈もできて楽しかった。その頃は病気の状態が悪くて電車で隣に座った人に話しかけたりカフェで店員に本を渡したりおかしなことをしていた。今振り返るとなかなか妄想の強い日常を過ごしていたと思う。僕は統合失調症を患っていて楽しくなる妄想状態にあった。今はもうそんなことはないけれどテレビカメラの撮影がある前から僕はおかしかった。TENETを見た頃からおかしくなっていたと思う。ドイツの硬いパンを「カルテスエッセンブロート」と呼んで深夜に力を込めて思い切り齧ることで家庭での争いをせずに済むのだと思っていた。パン屋さんの壁にも子供がブロートを抱えてる絵が展示されていたし、カルテスエッセンブロートは暴力の防止に役に立つのだと思っていた。自分でも用意して齧ったけれどまずかった。人は死ぬと他の人として生きるとも思っていた。僕が死ねば次の瞬間から別の誰かの意識に移って第二の僕の生活を送るのだと思っていた。人は全て同一なのだとそう感じていた。夢を見る方法は枕の近くに物を置くことで眠っている時に置いたものから夢を投影しているのだと思っていた。目を瞑っていても眠っている時には部屋にある物全てが夢への投影するための膜となるのだと思っていた。全ての家庭は母親が囚われていて父親がレイプして家庭を繁栄させるのだと思っていた。だからその家庭の中では母親は暗号でしか話すことはできず「猫語の教科書」は母親の暗号を解くためのレッスンだと思っていた。こんな風に変な妄想ばかりが支配する時期で疲れたしいつも音声を記録していたから独り言を喋る危ない人に見られていたと思う。自分のことを炭治郎と同一だと思っていたり。クリストファーノーランがエルモやカーミットで遊んでいる光景を想像した。

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