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蜃気楼と埃と瞑想と。


風が吹いたのだろう。

12月の終わりの頃から私の内側に埃が舞っている。
うっすらと光が差す空間を埃は不規則な動きで彷徨っている。
その空間をぼんやりと眺め時間を過ごす。埃の動きはなんとなくだけど奥行きを感じ、なんとなくだけど飽きが来ない。
それでもときどき埃に視点を定め、埃を見つめる。

そこに真理を探すように、そこに真理があるかのように埃をじっと見つめる。もちろんそこに真理はなく、ないということを納得させるために見つめているに過ぎない。

埃はストーリーの痕跡。


ある日、霞んだ私は蜃気楼を見る。蜃気楼をさも存在するものと取り違え、その景色に何かが反応し、罪なき人を断罪するかのように攻撃的な叫び声を浴びせる。叫び声は凶器になり狂気にもなる。叫び声は空間に響き、消え去る。叫び声は他者を傷つけ、私をも傷つける。
またいつしかの、リフレイン。

蜃気楼はストーリーが紡ぎ出す幻影。


波動(マントラ)を用いた瞑想。
波動に委ね、ただリラックスして目を閉じる。
おだやかに柔らかに時は流れる。

思考と私の間には隙間が生じ、思考と私は距離を置き、
私は思考が湧いていることを感じている。
思考は思考としてあり、私がわたしとして在る時間。

瞑想は溜まった埃をはらい、幻影から目覚めさせてくれる。



_φ(・_・

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