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同じ本を読んだのに、明らかに読後感が違った初めての経験。

「高丘親王航海記」
何回読んだだろう。なのに今回はなぜか明らかに読後感が違う。
親王、薬子、安展、秋丸、パタリヤ・パタタ姫、蜜人、漠、迦陵頻迦・・・。

いつもと同じ顔ぶれと一緒に、南の島を、南の海を天竺を目指して旅する冒険。
この間読んだ時から10年くらい経ったんだろうか。

むせ返る熱帯のジャングル、乾き切った砂の上を飛ぶように走る丸木船、水路の先の怪しげな石造りの城、合わせ鏡の封印。
どのシーンをとっても想像が止まず、いっさい風が吹かない島影の見えない大海の上をなすすべもなく、鉛のような水面をジリジリと眺めながら過ごす夜、急に吹き始めた風に乗って星だけを頼りに舳先に佇む夜、白くて丸いジュゴンの頭と怪しくも美しい大粒の真珠。

親王の最後を知っている。
初めて読んだ時は、そういう事なのかと思ったものだ。
でも、それまでの冒険の方が濃厚で面白く、あっさりと迎える最後の瞬間の描写もそれほど気にならなかった。
親王らしいプラスチックのような骨。

もちろん旅の途中の出来事もいつもみたいに面白く読んではいたんだけど、読み進めるうちに何だか今までとは違う感情がずっとついてまわった。
今まではそれほど気にならなかった親王の死に向かう状況と心。

おかしな事に今回は、読み始めた時から今までの感じ方となんか違うなとは気づいていた。
南へ向かう旅は、本来楽しいはずなのに。
ロード・オブ・ザ・リングでエントも言ってる。
「南へ向かう旅はワクワクして好きなんだ」って。

認めざるをえない。私は歳をとった。
今まで何回読んでもこんな気分になったことはなかった。もちろん一年一年当たり前のように歳は重ねて来たはずだった。でも今回は知らず知らずのうちに、何かの見えない境界線を越えて来ちゃったんじゃないかと思った。

親王が「私はもうすぐ死んでしまうのだよ」と告げると、旅のお供は寂しげにうつむき、一番若い春丸はハラハラと涙を流す。そんなこと言わないでくださいと。

今まで読んでる時は、旅のお供の気分で読んでいたんだ。
でも、今回は確実に親王の立場で読んでいた。
目眩く冒険譚も、見たことのない生き物も、目の前に広がる南の海も、余命幾許もない親王の瞳で見ていた。

なんてことだ。
そしてまだ当然、親王のように自分の寿命の話なんて受け入れる気もないし、パタリヤ・パタタ姫のように、あの年齢で不条理で当たり前の死を迎える心構えなんて、とんでも受け入れられないし、争うことしか考えていない。
だから、余計に心がざわついて、どうしようもない焦りまで感じてしまった。

なるほど、虎に運ばれて天竺ね。
なんて、思って読んでいた頃とは全然違う。
冒険譚の行き着く先には死があることは明白だったはずなのに、何を読んでいたんだ。それがあるからこそ、そこに行き着くまでの出来事に意味があるんだと頭ではなく、心で感じたのは初めてだ。

初めて、読み終えて切なく寂しくなった。
親王の最後を読んだ時も、今までだったら誰もができないだろう冒険を成し遂げたんだから、新王は幸せだったんだろうな。なんて他人事のように思っていた頃が懐かしい。
情けないことにそんなステキな冒険より、死に行く者の残された時間と最後に気を取られて、昔のようにキラキラと南の国を旅することが出来なかった。

多分、今が一番中途半端な時間なんだろうと思う。
自分にはまだまだ訪れることなんかないけど、でもわかってるよ、人間なんていつ死ぬかなんてわかんないんだから、なんて口先だけで言えてた頃を過ぎて、なんとなくいつもそれに取り憑かれてはいるものの、そんなに考えないようにして過ごす日々。

そして今はその時期を少し過ぎ、それは現実に平等に確実に誰にでも起こることなんだということが、少し心をよぎるようになってきた。

だけど、まだ親王のように何かを悟って受け入れることなんか出来ないし、新王にしたって旅を終えた年齢は67歳だ。
だからといってそれを見据えて日々過ごすなんて、シュンとしちゃったりする事は嫌いだから考え方を変えた。

10年後に読んだらどんな気持ちになるだろうって。

10年日記をつけている。病気になってしばらく経ってからつけ始めた。
その日記は後一列、そう来年で終わる。
その日記が終わったら、5年日記を買おうかなあと思っていた。

なんて馬鹿なんだ。
病気になったからか、実はちょっと生きる事に遠慮なんてし始めてたんじゃないかって。

今回「高丘親王航海記」を読んで、絶対10年日記を買うことに決めた。
だって、どっちにしたって諦めが悪い私が親王の心持ちになるには5年くらいじゃ時間が足りないし、年齢だって追いつかない。
なんならあと2−3回更新する気になった。
おまけに、読み返す本の読後感の違いを発見する楽しみも知ったしね。

しかしこれが遺作になった澁澤龍彦、改めてすごいと思った。
見つめてた物が全然違うんだろうな。

お母さんが笑いながら私によく言ってた。
「憎まれっ子世に憚る」って。
なんだよって思ってたけど、あれは子供の頃何回も死にかけた私に対する暗示みたいなものだったんじゃないのかな。

今日は朝から雨。
気持ちのいい雨だ。





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