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失速しちゃったシリーズ物の新刊と、失速しなかったシリーズ物の新刊。違いはどこ?

小説のシリーズものを読んでいると、新刊が出るのが待ち遠しいし楽しみではあるのだけれど、特に推理物なんかは途中から失速してしまうものも出てくる。

そんなこと言ったら作者に失礼かもしれないけれど、キャラクターも魅力的だし何冊か読んでいくうちに知り合いみたいな気分になって、愛着も湧いてくるから読みはするのだけれど、読み終わった後、贔屓目にみても今回はちょっとなと思う事もある。

かといって新刊が出ると買ってしまって途中でやめられないし、もしかしたら次の作品でおおって言うほど面白いかもしれないと、淡い期待も持ってしまう。
その期待はシリーズの1冊目が面白かったからに他ならない。

そう考えると、アガサ・クリスティーとか、アーサー・コナン・ドイルとかってすごい。確かにお話ごとにキレッキレなものと、そうでもーっていうのがあるけれど、あれだけ手を替え品を替え描き続けるって、相当大変だったんだろうな。

エルキュール・ポアロも、シャーロック・ホームズも、世間に認知されて人気が出れば出るほど、作家にとってはなかなか大変だったんじゃないかと思われる。
ジェームズ・ボンドもそうか。
途中でめんどくさくなって殺しちゃうかって思ったこともあるかなあ。
まあ、あれだけ人気が出ると出版社とかが許さないだろうけれどね。

でも、シリーズものでも意外と失速しないものもある。
推理小説なんて誰かが死んで、誰かが犯人で、結局バレちゃうし、殺し方って言っても、もう密室殺人とか天井から口元に毒を垂らし込んだとか、素っ頓狂ではありはしても出尽くしてる感があるし、あとは死体の処理に手間をかけて、溶かすとかバラバラにするとか、壁に塗り込むとか、動機にしたって復讐とか、ただ殺すのが好きとか、お金とか愛憎とかそんな感じだし、大体人間が持ってる感情で人殺すぞってとこまで行く思いなんてそんなに多くないだろうから、それだけで持っていくには限りがある。
まあ、100人いたら、悲しいスイッチや怒るスイッチの種類は100通りあるかもしれないけれど、書いてる作家は1人だからね。

でも、そんな事は分かりきっているのに、飽きさせない作家もいる。
そういう作家の特徴は、それ以外の部分で読ませるってところかなあと思っている。
街や建物、主人公たちが生きる世界、季節の描写とか、乗ってる車とかまあなんでもいいんだけど、そういう本筋とは関係ないんだけど、それがあるからこそ本筋や主人公やそれを含む人たちの魅力が生き生きとして来る。なんていうか作家の趣味とか生き方とか経験なんかがが生かされてくる部分。
そういう本はやっぱり読んでて発見もあるし楽しいから、人が死のうが犯人が誰だろうが、読み終えたときに、読んだーって感じがして満足する。

海外ミステリーが好きなのはそういう事なのかも。
北欧の冷たくて暗そうな描写とか、マイアミの熱過ぎる気候とか、ヨーロッパの豪華なホテルとか、アジアの片隅の路地とか、モロッコの埃っぽい市場とか、そういう描写が出てくるだけで、現実から離れてその世界に浸れるから面白いっていう感じも倍増するものね。

それと、キャラクターたちの考え方とか行動がやっぱり日本人とは違うから、そこのところも面白い。
日本人のキャラクターが面白くないって言ってるわけじゃないよ。
スケキヨなんて、最高にキッチュだと思うし、江戸川乱歩も屋根裏を散歩させてくれるから、そのくらいの時代の作家になると、今は見ることができない世界を見せてくれるから面白い。
日本の作家だって、単発の本だったら面白い本は死ぬほどある。
今回はあくまで最近の推理小説のシリーズもののお話。

ちょうど最近読んだ日本の作家と海外の作家の本が、あまりにも私の中で評価が別れたから一体全体この感じはどこからくるんだろう?どこが違うのかなあってこんなことを考えた次第。
それだけの事。

今日はこれから映画を見に行く。
って言ったら何見るかわかっちゃうよね☆
週末に向けて、ワクワク楽しい元気をもらいに行ってきます。
見目麗しい彼が、きっと楽しくしてくれる。
ヒュー・グラントもウンパ・ルンパになる前は(それもキュートではある)当時の世間の女子をシャラメ並みに(と言っておこう)キャーキャー言わせてた気もする。
「モーリス」とか「日の名残り」とかが大好きって言ってた女子いたもの。今回もきっと違う感じでキャーキャー言わせてくれるかもしれない。

と言うことで、行ってきまーす。
今日でお仕事が終わりの人は、ワクワク楽しい週末に突入してください。





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