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喫茶店を経営するつもりなどなかった。〈1〉

——サラリーマンを辞める理由。それは誰しも一つではないだろう。幾層にも積み重なった念いと焦燥。或いはその時に置かれた状況や条件が結果的に決断させているはずで私の場合は、まず趣味の延長で入社したITベンチャーが予想外に大成長し、元々本業のつもりではなかったから「生活費を稼ぐ意味では面白い仕事」と思いつつ年々待遇が向上し、次々と時代を先取るサービスに携わる事が掛け値なしに面白く、気付けば16年経ち50才をとうに超えていた。

——50才。独身であった私は家庭などの枷はなかったが、それでも新たな事を始めるには最後のチャンスだろうと感覚的に思っていた。少なくとも定年まで在籍する考えはなかった。

65才でおっぽり出されたら体力も気力も相当衰えているだろうし、そこから先の選択肢もかなり限定される事は明らかだろう。何より私は死ぬまで働いていたかった。だからいずれどこかのタイミングでサラリーマンと決別する必要があった。だが、新たな仕事を興すにも元手が要る。それどころかローン返済もまだ残っており、それだけが自分を縛っていた。

その会社には退職金制度がなかった。501kを自身で運用し退職金代わりにしろ——というのが方針だった。ところが社員の若返りを至急図りたい方向性となり、50才以上を対象に「転進金制度」という名で早期退職奨励の退職金を貰える事になった。

それまで合併吸収を重ねて来たその会社は元の社員数を上回る規模のレガシー企業を買収していた事を契機に平均年齢が15才以上上昇し完全に「大企業病化」。仕事の速度感も気風も入社時の様子とは全く変わり果ててしまい。顧客目線を忘れ、嫉妬からか何かと足を引っ張る同僚と上司達に、速度感を持って仕事を進める事を信条とする自分にはもはや耐えられず限界になっていた。頭の中は「辞めよう、辞めよう、いつ辞めよう」がぐるぐる回っていた。

「転進金制度」も1000万という金額は、16年勤務した退職金として多くはない。しかしローンを完済し、新たな事業を興すには必要充分な金額ではある。心は決まった。この制度は上長へ報告する義務はなく、専用のフォームに申請すれば、一方的に人事から上長へ通達されるだけだ。

しかし16年積み重ねて来たキャリアを捨てるにも勇気が要った。これにはまず自身が驚いた。「一度申請したら退社が確定する」と考えるとあれだけ頭では決意していたものが、実際に専用フォームの“送信ボタン”を押す段階で幾度も指が迷った。

「レールから外れる恐怖」を感じるサラリーマン体質に染まっていた現実に少なからずショックを受けた。ゆうに一週間迷った挙げ句、期限日を超える深夜0時にまもなく差し掛かろうとする23:55分に「ええいままよ!」と“送信ボタン”を押した。

——「押してしまった」とその時こそは思いもしたが、翌朝は気持ちはすっかり清々しく切り替わっていた。

業務の引き継ぎも最小限になるよう準備をしていたし、出張を方便に私の退社が発表されるであろう所属部署の定例会議は欠席し、上長には「送別会は開かないで下さい。開くのは勝手ですが私は行きません」とメールを送り、世話になってもいない(社の合併で後からこの会社に来たような)本部長以上への儀礼的な挨拶も忌避したい考えから、出勤最終日を本社ではなく出張先の大阪支社にした。異例中の異例だが、文句も言わせなかった。「辞める」と決まっていると肚も決まる。辞め方は誰に従うわけでもなく自身のスタイルを貫いた。

さて、問題は「退社して何をするか」が決まっていなかった事だ(笑)〈つづく〉

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