推しと祟り

 ”前田敦子はキリストを超えた”という本があるように、ヲタクにとって推しは神にも匹敵する存在です。そして、日本では神の怒りに触れると祟りが怒るという言い伝えが全国各地に存在しています。


祟りとは。

 goo辞書によると、祟りとは
・神仏や怨霊などによって災厄をこうむること。
・行為の報いとして受ける災難。
とあります。

全国各地で様々な伝承があるかと思いますが、ある程度共通しているのは、神聖な場所やものに無礼な行為をしたら、その報いとして祟りが起きるということかと思います。

なぜ祟りは起こるのか。

 祟りの伝承が全国各地にあるのは、実際に祟りと思われるような災害や疫病が起こったからでしょう。祟りと災害や疫病の因果関係を科学的に証明することは難しいかと思いますが、長年伝承され続けているからには、祟りがあるとしておくべき理由があるからだと思います。私はその理由には大きく2つのパターンがあるかと思います。
 一つ目は実際にその場所が危険だからです。
 中国チベット自治州にある梅里雪山は人類未到の山であり、過去には中国国外を含む複数の登山隊が登頂に挑みましたがいずれも失敗に終わっています。この山は地元の人々にとっては神聖な場所であり、登山隊を神聖な場所を汚す存在と見る風潮もあるようです。日本でも山頂や森の奥深くの樹木、あるいは離島が神聖な場所とされて禁足地となっている事例がありますが、このような場合には、実際にそこに行くには大きな危険が伴うため、その危険を”祟り”として、神聖な場所に人々を近づけないようにしていると考えることが出来ます。
 二つ目は実態がないことです。
 神様や仏様は今現在、実態がある者ではありません。また、伝承や書物を通じて様々な逸話や教訓が残されていますが、そこにある物語の真偽を確認する方法はありません。科学的に問い詰めていけば信仰の多くは、実態のないもの、フィックションとも言えますが、それでは人々のよりどころが失われて、社会の秩序に悪影響を与える可能性があります。そこで、神様に近付くことで祟りが起きるとして、真実を探求するよりも信仰に重きをおいて、秩序を保っていると考えられます。

推しに近づき過ぎると祟りが起きる。

  前置きが長くなりましたが、神に近づくと祟りがあるように、推しに近づき過ぎると不幸なことが起こります。例えば、推しのプライベートを知りたいがあまりに、ストーカー行為を働いてしまえば犯罪者として罰せられてますし、ストーカーまで行かなくともライブやお話し会で不適切な行為を行えば、出入り禁止となり推しに会うことは出来なくなります。
 また、何かの偶然が重なり推しと近しい関係になってしまった場合には、推しとヲタクという関係が消えてしまい、それ相応の関係を築かなければならなくなります。そしてその中で、さらに良い面が見えることもあれば、嫌な面が見えてくる可能性があるのも人間関係の定めといえるでしょう。
 こうして推しに会えなくなったり、推しが推しでなくなってしまうのは、一種の祟りとして考えることが出来るのではないでしょうか。

推しとの正しい距離感の大切さ。

 推しはあくまでステージの向こう側の存在で、決して手が届いてはならない神聖な存在です。もし、どうしても推しとさらに近づきたい。例えば、アップフロントでマネージャーとして働こうと思って、実際に働いたなら、それはもう推しではなく、所属タレントでありマネジメントすべき商品のひとつとなってしまいます。それでも推しに近づきたいのでえれば、それ相応の覚悟が必要ですし、同時に推しを失うことにもなるでしょう。
 今、推しが輝いているのは推しをヲタクの関係だからこそだと思います。そのことを胸に刻んで、これからもヲタ活を続けていきたいと思います。

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