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数学と化学とわたしの苦い思い出。


バリバリの文系だった。
数学、化学、地理はとことんダメだった。
数学の公式は芸術のように美しい。
解があるからと聞いたことがあるが、割り切れない数字や何百年も答えがでていない数式に挑む学者達の途方もない労力にこそ美の価値があるのではなかろうか。


中学校の数学担当の先生は2人。
わたしの担任となったのはナラバァとあだ名をつけられた中年の女性の先生。
今思えばちょうど更年期だったのか、ちょっとした生徒の悪ふざけにもすぐに沸点に達し、顔を真っ赤にして唇の前で人差し指を振って唾を飛ばして怒っていた。そして吃った。
い、いいか。
お前らな、ひ、人をな、なめるのもいい加減にしろよ!
誰も舐めてなんかいませ〜ん。
てか、誰が舐めるかよ。笑い声があがる。
生徒の揶揄するような物言いにまたオクターブ声がうわずるのだ。
まともな授業にならなかったのでもちろん数学の楽しさなど知るよしもなかった。


もうひとりはゴカちゃんと呼ばれていた、いかにも数学教師然とした風貌の男性。
七三にきっちりわけられた毛量たっぷりの髪型と黒縁の四角い眼鏡がトレードマーク。
体育館の朝礼などの締めの挨拶は必ずゴカちゃんだった。
マイクを持ち、チラッと時計を見る。
えー、もう時間もないので手短に話します。
この一連の動作と枕詞はマスト。 
頭が良い先生の話は聞いていて納得もできる。 この先生に教わっていたら、きっと数学に興味を持っただろう。
おそらく。きっと。


数学同様、化学もさっぱりだった。
公式も頭に入らない。
高校の担当の先生はこれまた名物と言っても良いお方だった。
浅黒く目がぎょろっと大きく、鼻も口も大きかった。そして太く大きい怒ったような喋りはぶっきらぼうで生徒達を圧倒した。
化学の授業の前は教室中が緊張でピリピリした。ドアが思いきりバーンと開けられると、まだのんびりしていた生徒も皆慌てて席に着く。
機嫌が悪いと入口の手近な机の脚を曲がってる!と、どかっと蹴る。
衝撃で列からはみ出た机を慌てて生徒が元の位置に戻す。持ってきた書類やらを教卓の上にまたばーんと置く。目が血走っている。
やばい。今日はタチの悪い日だ。
生徒達は暗黙のうちに悟る。
今日は誰が犠牲になるのか。
わたしだった。


おい、メガネザル! 
そう言われて誰も立とうとしなかった。
おい、お前だよ。
そこのメガネザル!
眼鏡をかけているのはキョウちゃんとわたしくらいだ…
ふっと顔を上げるとギョロ目と周囲の生徒の目が一斉にわたしを見ていた。気の毒そうにうすら笑いを浮かべているのもいる。
それはわたしのことだった。慌ててガタガタと起立する。
答えてみろ。
問題が理解できない。答えが出てこない。
…わかりません。
チッと舌打ちされる。
そのまま立ってろ、メガネザル!
なんでこんなことくらいわからないんだ。
だみ声の説教が続く中、まわりの生徒達はひたすら俯いていて、わたしも俯いて早く終業のチャイムが鳴ることをひたすら願っていた。
後で聞いたのだが、先生は前日のお見合いを断られ、30連敗確定だったようだ。
だめだった次の授業では荒れ狂うらしいと聞いた。
八つ当たりだった。


数学なんて生活する上で必要ない。
サインコサインタンジェントなんて使う日常はない。ルートも使わない。
なんてその時は本当にそう思っていた。
しかし、世の中は間違いなく数字で成り立っている。
計算式でなりたっている。
世界を支えているのは数字だ。
コンピュータに最初にデータを打ち込んでいるのは人間だ。
数学と化学がなければ人類と文明はここまで成長できなかった。
心から感謝している。


それでもやはり数学や化学は苦手だ。
もう学び直そうという気は残念ながら起きない。
過去の教師達がもっと上手に教えてくれさえしたら、或いは違った視点で世の中を見ることができてもう少し賢くなっていたかもしれない。
ただこうして賢くもなんともないわたしが、世の中にまるで役に立っていないものを書いているのも悪くないと密かに思っている。


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