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胸にパットを詰め込んで

ひとは無いものに憧れるが、手に入らないとわかると絶望するか憎むか、諦めるかだろう。
しかしわたしはそのいずれでもなかった。
なんとかそうなろうと無駄にあがいたのだった。


中学生。
思春期の入口。
顔の出来不出来はみればわかる。残酷なまでに。可愛いか、綺麗か。
そうでないか、まあ普通か。
体型も然り。
痩せているか太っているか。バランスが取れてるか、手足は長いかなど。
背が低いか高いか。女の子ならそこにもれなく胸もついてくる。
大きいか小さいか、サイズの問題である。
まず見た目でわかる。
貧乳と書くとますます泣けてくる。 


わたしはいつもあと3センチでいいから大きくなりたいと願っていた。(今もそうだ)
すごく大きな胸は要らない。
でもほどほど、せめて胸だと認知されるくらいは欲しい。無い胸ほどさみしいものはない。まな板になんちゃらと揶揄されるアレだ。


その頃のスポーツブラにパットなどはなかった。(たぶん)
わたしはガーゼのハンカチを折ってパット代わりにしようと試みた。
まず一枚。
あまり変わらない。
またもう一枚。
今度は少しだけ、ふっくらした。でもまだもうちょっと欲しい。
いよいよ最後の一枚だ。
さすがに胸がガーゼハンカチでガサガサしている。それでも空きはまだ十分あった。
最後の一枚をいれるとハンカチの四角い形がうっすら透けて見えた。
胸の上から形を整えるように押したり形を整えたりした。鏡を見ると驚くほど突き出た胸があった。おお、良い良い!!!
胸が大きくなったと感動して、何度も横向きになったりした。


体操着になった時、わたしは四角い形の胸で誇らしげに廊下を歩いた。
その胸を見ても誰も何も言わなかった。
一度友達がチラリと視線を寄越したが、やはり胸大きくなったねとは言ってくれなかった。


こうしてわたしはせっせとスポブラにハンカチを突っ込んでいたが、ある日片方の胸が平になっていることに気づいた。
そして片方だけ、相変わらず異様な四角い胸のまま過ごしていたのだ。
誰も気がつかない訳はない。
急に四角く突き出た胸に何も言えなかっただけなのだと40年近く経って理解した。


中学生だったわたし。
胸が大きければ大きいほど良いと思っていた。今思えば馬鹿なことをしたと笑ってしまうがなんだかいじらしく、痛いほど可愛いじゃないか。
あれが青春の1ページか。
ふふっと笑える54歳のわたしがここにいるなんて、あの頃のわたしは知る由もない。

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