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体系的思想と文芸時評

柄谷行人の文芸時評を暴力的に読んでいる。暴力的という読み方だ。

柄谷行人は文芸時評を書くにあたって「印象批評」であると自嘲的にことわりを入れている。確かに書かれた批評には「体系的な思想」というようなものはない。ただその時代に同時代的にたまたま発表されたものを文芸誌に依頼されるままに表現している。

この文芸時評で批評される作品は現代から見ると忘れたれた作品ばかりだ。まさに大江健三郎が書きたいと言っていた「同時代から離れると死んでしまう文学」の実践である。

確かに「体系的な思想」はない。そこには柄谷行人の生の感性が反映されている。だからこそ暴力的に読むことも許されるのではないか?

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