そういう考えもあるんだね
初めましてkeigoです。
『自分や隣人の価値を誰もが認め合い、愛することでいつでもワクワクする世界を!』
をビジョンに活動していく3児の父・夫・会社員です。
今日は初投稿ということで、この活動のきっかけとなった原体験について話したいと思います。
高2の夏、修学旅行で東京に行った夜に、尊敬していた友人と2人部屋になりました。
この友人と「もっと仲良くなりたい、知りたい」と思った私は”恋バナ”をしようと持ち掛け、話しだしました(ひとまず本題ではないので割愛)。
そして話し終わった後に『じゃー次はSの番で』とふりました。
『そーくるよね、・・・』と話し出したのは私のウキウキ青春真っただ中の夜を真っ黒ズーンとしていくのに十分だった。
主旨は
Sと従妹と幼馴染(女性)がいて仲良くしていた。
小さいころから当たり前に3人でいた。中学生までそんな感じだった。
高1になってすぐくらいに事故でその幼馴染が亡くなった。
亡くなって気付いた、多分好きだった。もう伝えられない。辛い。
もう20年くらい前の話だけど、今でも部屋が急激に暗く重くなっていく感覚を覚えている。彼は真剣に話してくれた。私は何を話したらいい?何ができる?
16歳の私には身近に亡くなった人などいなかった。
パッと浮かんだのは毎週日曜日に教会で学んでいる”福音(イエス・キリストの教え)”の中の『幸福の計画』だった。
幸福の計画なんて仰々しい名前をここで説明するのは主題ではない。
クッキーとキスの話だと思ってもらったらよい。
つまり人が今と永遠に渡って愛する人と幸せにいられる考え方だ。
詳しく知りたい人がいるかもしれないのでクッキーとキスの話も貼っておく(まじめなんで)。
さて16歳の私はこの計画を信じてたとは言えないが、とにかくこの概念は知識としてあったし、亡くなったらどうなるか他に知らなかった。
私『・・・ぼくが行っている教会ではね・・・』って感じで話し始めた
主旨はこうだ(結局言う)
今生きている私たちには身体と魂があって、魂には魂の父、神様がいる
神様は私たちに自分のように幸せになって欲しくて幸福の計画を用意した
肉体が死んでも魂は存在し、今世の思いと行動に即した次の世界へ行く
※幸福の計画に贖い主イエス・キリストは不可欠だけど、ちょっと長くなるので割愛。ただS氏には説明した。
もうちょっと詳しく知りたい方はこちら
彼は黙って聞いたり、時々質問したり、私は知っている限り応えた
一通り話した後に彼は一言、
『…そういう考えもあるんだね』
と、少し軽くなった表情で言ってくれた。その瞬間、真っ暗ズーンが一気に晴れて、部屋の空気が軽くなったように感じた。
彼が完全に信じた訳ではないと思うけれど(今もクリスチャンではない、はず)、心を楽に・軽くする考え方として彼自身は受け止めてくれた。
そうか、福音には人を救う力があるんだ、と感じた瞬間だった。
(後になって思うと彼の懐の広さっ!と改めて尊敬だ。)
彼は今、素敵な奥さんと子どもに恵まれて幸せな家庭を築いている
(何年か前に一度帰省する際には我が実家に訪問してくれた)。
さて何が起きたのか。
彼の中の変化はそこまで深堀りしていないので定かではないが、
(もちろん、この夜だけが彼の世界観に影響を与えた訳ではないが)上記の結果だけでも自分らしく幸せに歩んでると思う。
私自身、勇気を出して自分の学んでいることをシェアすることで、人が前向きに歩みだす小さなきっかけになる体験をした。
実際にこの経験で一番救われたのは、私自身だったかもしれないが。
人生に意味がない、その価値を疑う、未来に希望が持てない、
そんな時はあの夜感じた光や他の天啓(天国との繋がりを感じる)をシェアしたい。そしてまた天啓を味わいたい。
大体はお節介にこの人の力になりたい!と夢中で動いた先に
このために生まれてきたんだって思うこと、天啓が起きる。
だからこそ我がままにほかの人の価値観、考え方を聞きたい
そして彼のように
『そういう考えもあるんだね』
と互いに言える世界にしたい。そこに天啓があると信じて
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