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なぜ生きる?の答えは、仏教にある。

人は、なぜ生きるのだろう?
最後は死ぬとわかっていて、なぜ生きるのか?
そんなことを考えたことはありますか?

私は、子どものころから、どうして人間は生きてるのだろう?と折に触れ考えてきました。今52歳ですが、答えはまだ見つかっていません。ただ、仏教を学び始めて、明確に分かったことがあります。それは、

「目的」と「手段」は違う

ということです。例えば、受験でいうと、

目的は、「第一志望の学校に合格すること」で、
手段は、「入学試験に合格するために勉強する」ことです。

より深く考えている人なら、受験の目的は、「入学後にどんな研究をして、卒業後どんな仕事をして、世の中のためになる人になる」という将来まで考えているかもしれません。

しかし、受験勉強も、合格も、その後の研究も、世の中のためになる人になることも、お釈迦様からみると、全て「目的」ではなく「手段」なのです。

「手段」は、「生き甲斐」と言い換えると、よりわかりやすいかもしれません。

「生き甲斐」にはキリがありませんよね?
「生き甲斐」をすごく感じたら、より大きな「生き甲斐」を求めて精進しようとします。それが生きてきた意味、生きる目的だと思っているからです。

でも、「生き甲斐」は、欲望を満たす喜びと同じなので、満たされたと思ったら、また次の「生き甲斐」を探します。欲望には、終わりがないのです。お釈迦様は、このキリがない欲求は、海水を飲むようなもので、「満たせば二倍の度を増して渇く」ことから「渇愛かつあい」とおっしゃっています。

私たちは、「手段」や「生き甲斐」が「生きる目的」だと思って生きています。しかし、お釈迦様は、「手段」や「生き甲斐」をいくら頑張って満たしたところで、終わりがないので、「手段」や「生き甲斐」の延長線上に「生きる目的」があるのではないとおっしゃっています。学歴もお金も名誉も宝物も死んでしまったら次の世に持っていくことはできません。なので、死の間際に「今まで頑張って生きていた意味は何だったのか?」と思いながら死んでいくのです。

人間にかぎらず、この世の中にあるものは、全て無常です。無常とは、「常がない」「続かない」つまり、必ず「終わりがある」ということです。そんな限られた命なのに、「生きる目的」と「生きる手段や生き甲斐」との違いもわからず、渇いた心を潤すために、どんどん生き甲斐という名の手段に時間を割いているのです。

🟩人間に生まれることは、有難い

感謝の気持ちを伝えるとき、人は「ありがとう」といいます。「ありがとう」は仏教では「有難い」という意味で、「あることが難しい」つまり「非常に稀である」という意味です。では、何が有難いのか?それは、

人間に生まれるということ

です。人は、はるか昔から、生まれ変わり死に変わり、何度も生死を繰り返しています。ある時は、草木だったり、虫だったり、動物だったりして、人間に生まれ変われるのは、「大海を泳ぐ盲目の亀が、海面に首を出した時、たまたま流木に空いていた穴にすっぽり入る」ぐらい無いに等しい千載一遇のチャンスなのだ、とお釈迦様はおっしゃっています。この非常に有難いチャンスは、もう二度と来ないかもしれない。なのに、手段を目的と思いこんで、本当の生きる意味に気づかないまま命を終えてしまうのです。

🟩人生の目的

では、どうすれば「生まれてきた意味」や「人生の目的」を見つけることができるのでしょうか?それは、

無常むじょうかんずるは菩提心ぼだいしんはじめなり(釈尊)

とお釈迦様が言われるように、まず

「自分の命も終わりがある。何事も続かないのだ」

ということに気づくこと。それが本当の幸せに近づく最初の一歩であるということです。

そして限りある命に気が付いたら、今度は、死んだ後どうなるのか?「後生ごしょうの一大事」を解決することで「ああ、人間に生まれて本当に良かった」という生命の大歓喜が生まれてくる、とお釈迦様はおっしゃっています。そのためにまず何をしなければいけないのでしょうか?

人身じんしん受けがたし、今すでく。
仏法聞きがたし、今すでに聞く。
この身今生こんじょうに向かってせずんば、
さらにいずれのしょうに向ってか、この身をせん。(釈尊)

(現代語訳)
生まれがたい人間に今生まれた。(仏教を聞くのは人間にしかできない)
出会うのが難しいといわれた本当の仏教を今聞く機会に恵まれた。
今世生きている間に、仏教を聞いて後生の一大事を解決しなければ、
一体いつまた人間に生まれ変わって、仏教を聞くことができるというのか。

とお釈迦様はおっしゃっています。
人生の目的である、「なぜ生きるのか?」の答えは仏教に説かれているので、ようやく人間に生まれることができた今世、生きている間に仏教を聞かなければ、もう本当の幸せになるチャンスがないではないか。とお釈迦様が教えてくださっています。

仏教を聞くのに、年齢、性別、国籍、学歴は一切関係ありません。
病人であっても、罪を犯した人であっても、全ての人を救ってやるぞ、という全宇宙最高の仏である阿弥陀仏のお約束を、繰り返し教えてくださっている仏教を聞くことによって、本当の幸せになることができるのです。

終活って、ひとりでやろうとすると、途中で挫折したりします。趣味:終活って言ってる終活プロデューサー(終活P)の私を頼ってください!多分お役に立てると思います。