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「怪物」

今日も答えのない世界の中で
願ってるんだよ
いつまでも君とただ笑っていたいから

YOASOBI「怪物」

YOASOBIの「怪物」を聴きながら、正義ってなんだろうと考えていた。

物語の悪役にも悪役なりの“正義”や考え方がある、というのはよく聞く話である。
こういった話を聞く度にわたしが思い出すのは、「ディズニー ツイステッドワンダーランド」というスマホゲームだ。

ディズニーのヴィランズ、いわゆる“悪役”をモチーフにしたキャラクターが出てくるゲームで、いろいろなディズニー作品をベースにした物語が展開されている。

ゲームの第1章のモチーフになっているのは、「不思議の国のアリス」。
この物語をアリス目線で読むと、正しいのはアリスで、悪いのは自らの“正義”に反する者を有無を言わさず切り捨てていくハートの女王ということになると思う。

———だけどこのゲームは、あくまでも物語の“悪役”にスポットライトを当てている。
つまり、悪役の目線を中心に描かれているのだ。

ハートの女王をモデルにした第1章のキーパーソン、リドルは、幼い頃からとても厳しいしつけを受けて育ってきた。
スケジュールは分刻みで母親に管理され、外に出て同年代の子どもたちと遊ぶことは一切許されず、勉強漬けの日々を送っていた。

外の世界を全く知らないまま、「私が絶対的に正しい」という考え方の母親の下で育ったリドルは、「自分が母親から言われたこと以外は全て間違ったこと」という認識で過ごしてきたのだ。

結果、学園の寮で定められた規則を破る他の生徒が許せず、規則を破った者を過度に断罪し、「やりすぎだ」と咎める周囲の声も受け入れられず暴走することになってしまう。

それでも、リドルからしたら「母親から正しいと言われてきたこと」、つまり「自分の正義」に従って動いただけのことなのだ。
例え、第三者からしたら行きすぎた行動だと捉えられてしまったとしても。

———だから、正義というのは非常に曖昧で、誰にとっての正義なのかとか、時と場合によって如何様にも形を変えるものなのだとわたしは思っている。

それでも、「自分の正義」を重んじるあまり、誰かを傷つけたり害することはあってはならないことだとも思う。
誰かと誰かが対立しているのを見た第三者が、片方の立場や言い分だけを知った上で物事を判断するのも、とても危険なことだ。

だからこそ、人間関係は難しいということなのかもしれないけれど。
少なくともわたしは、この記事で書いたことを忘れないようにして人と関わっていきたい。

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