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つながれ、いのち

ことばは生き物なのだということを初めて知ったのは、大学生の時だった。

最初は間違っているとされていた言い方や表現でも、それを使う人が多くなればやがて正しい意味として通用するようになったりするし、

絶滅してしまう動物がいるのと同じように、
話者が一人もいなくなってしまった言語は「消滅言語」、つまり「死んだ」言語とされてしまう。

———わたしが通っていた大学に、インドで話されているマイナーな言語の研究をしている先生がいた。

どれだけマイナーかというと、その言語の名前を検索すると、その先生が書いた論文しか出てこないほど。
言うまでもないけれど、大学に入るまで一度も耳にしたことのない言語だった。

先生は、その言語には文字に起こした資料が全くないから、自分が作って遺そうとしているのだ、と仰った。

当時はそれがどれほどすごいことなのか気づくことができなかった。
けれど最近、ふとそのすごさを実感する出来事があった。

先生は、そのことばの命を繋ぎ止めようとしているのだ、と。

———先生の言語学の講義を取っていた時に出された、その言語の親族名称の法則を事前知識なしで見つけるという課題。

同じ講義を取っていた友達と週末にファミレスに行って、ああだこうだと話し合いながら解いていた時は、わたしはどうして休日にこんなことをしているのだろうかと思ったけれど、あれもきっと必要なことだったのだ。

そのことばの命を、繋ぐために。

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