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MONOの話 #3 『牛皿と豚皿』

こんにちは。今回で3ヶ月目です。早いものですね、お昼の春菊です。連載テーマは「物(モノ)」です。毎月、1つの物について書いています。記事中のイラストを担当して下さっているクリスティアン・ラッセンさんにお礼の意味を込めてお中元を贈らせて頂こうと思うんですが、何を送ればいいか、目下、悩み中です。

さて、第3回のテーマの「モノ」ですが、今回は…


「牛皿と豚皿」の話。


みなさんは、牛丼屋の「牛皿」というメニューはご存知でしょうか?

たぶん大概のチェーンの牛丼屋さんにはサイドメニューというのがあって「牛皿」が頼めます。一応、馴染みのない方にも説明しますと「牛皿」はいわゆる牛丼の上の具のみ、ご飯なしで牛肉を煮たのだけを別個で注文できるやつです。


(イメージイラスト画像)(※後日差し込み)


私がこれまで住んでいた街にはたまたまあんまり近所に牛丼屋さんがなく、利用する時は専ら出先、イートインで食べるというのが主だったんですが、現在の家に引っ越してからはよく「お持ち帰り」を利用するようになりました。

家から駅までの最短ルート、一番近い駅出口からの通り道に有名チェーンの牛丼屋さんがあり、コンビニの前は通らなくても牛丼屋さんの前は毎日通ります。

牛丼屋さんが家から近い特典として「お持ち帰り」はかなりナイスです。レンジでチンしなくて温かいし、お味噌汁まで付けられて、すぐ食べられる状態でもらえます。これは自炊文化がない人間にとって何よりの嬉しみです。牛丼をいつどこで食べてもいいのです。

なんなら帰り道を歩いてる途中に食べる事だって、近所でヒソヒソされる事を気にしなければ出来ます。

なんならレジでお金を左手で払いながら右手でフタを開けて食べ始めることだって倫理を無視さえすれば出来ます。

で、中でも非常にお持ち帰り向きのメニューが「牛皿」です。家にお米が炊けていれば上だけ持ち帰ってお手製牛丼にしてもいいし、うどんに乗せたりサラダに乗せたり一旦おでこに乗せたり自由です。


さて、前談が長くなりましたが、今日の話はそんな牛丼屋さんの近くに引っ越して間もなくの「牛皿」をお持ち帰りしようとした日に迷い込んだ、ある自問自答の話です。





その日の晩御飯のおかず用に何かお持ち帰りしよう、と私は牛丼屋さんに寄りました。

レジの横にベロンと貼り付けてあるメニュー表の下の方の、小さく書かれたサイドメニュー欄に「牛皿」の文字を見つけ、私は一瞬で完全に”牛皿の口”になったのですが、よく見ると、その「牛皿」の横に牛皿より少し値段が安い「豚皿」というメニューがありました。

「そうか、豚丼とかがあるなら豚皿もそりゃあるよな。うわ、それも美味しそうだな、どっちにしようかな〜?」と幸せな目移りをしつつ、どちらにするか悩みました。

注文の列に並ぶ間で散々迷った挙句、私は当初の「牛皿」ではなく、人生初めての「豚皿」をチョイスすることにしました。楽しみです。という事で、さあ、列の先頭。店員さんに注文です。



イップスみたいなことだったんだと今なら思います。私はそこでわからなくなりました。「はて?これ、読み方はどうなんだ?」と。



皆さんは「豚皿」をどう読みますか?




束の間のことでしたが「なんで黙ってるんだ?この客。」というお店の人の視線を感じながら、私はその場で一瞬、読み方を考えてボーっとしていたと思います。

いえ、こちらも昨日今日お城から初めて出たプリンセスじゃあないんです。「牛皿」を注文した事はありますし、「牛皿」が【ぎゅうさら】なのは知っています。そしてなんなら「豚丼」を注文したことだってあります。その時は「え〜と〜じゃあ、ぶたどん、ひとつ」で注文しています。



『いや!ならば「豚皿」は【ぶたさら】じゃないか!何を悩む事があるんだっ!』そう思いますよね?ええ、言いたい事はわかっています。でも少しお待ちください。



私も初めは【ぶたさら】と思ったんですが、確固たるものが欲しかった私は漢字を分解して考えました。「豚」と「皿」です。

まずは先ほどの「牛皿」の場合で考えてみました。
「牛皿」は【ぎゅうさら】。つまり【音読み+訓読み】です。

それを今、迷っている「豚皿」にそのまま適用すると、
「豚皿」は【音読み+訓読み】で【とんさら】になります。

そして、そう言われればですが「豚丼」を【とんどん】と発音してる人を見たことがあるような気がします。「とんどん1つ!」で注文通ってたような気がします。なので【とんさら】の線も全然ある話です。



『え、待ってよ?!でも【とんさら】って語呂、絶対変じゃない?!』とあなたは今、思ってますよね?




ええ、しかしです。じゃあじゃあ逆に聞きますけど確証はありますか?根拠はなんですか?「豚皿」について誰かと、信頼出来る有識者とじっくり話をした経験がありますか?





もう迷っている時間はありません。店員さんが注文を待っています。私は決断を下さなければならないのです。



『え、待ってよ?どっちでもいいけど、そんなに迷うならメニューを指差せばいいじゃない!』あなたはそうも思いましたよね?




その方法も確かにあるでしょう。ですが店員さんはこちらの目をしっかり見て「ご注文は?」と聞いているのです。こちらも目を見て言葉で返す、心には心で返す。それが江戸っ子じゃないですか?





私は決めました。出した回答は、店員さんの目をしっかり見て、
「えーと、じゃあ とんざら 持ち帰りで1つ ください」です。

【音読み+訓読み】の採用です。そして「さ」を「ざ」と濁したのはとっさの冒険でした。連濁という名の冒険。熟語としてその方が耳気持ちいい気がしたからです。

結果は思わぬものです。
「…ぶたさらですか?」と店員さんに聞き直されました。




つまり2択も冒険も間違えた訳です。やっぱり「豚皿」は【ぶたさら】のようなのです。「牛皿」の【音読み+訓読み】ルールはこちらに何の説明もなく「豚皿」には適用しないようなのです。


そして、ここで1番重要なのは「お店の人が聞き直した」という事実。

「聞き直した」という事は 「注文の再確認が必要だった」という事。つまりこの間違い方はレアケースだったという事になります。

多くの人が「豚皿」を【とんさら】もしくは【とんざら】と間違えているのなら、恐らく店員さんは「ああ、ぶたさらの事ね?ま〜た、この人も間違えてるよ」と心の中で思い、そこはスルーして「豚皿」の注文を通すと思うのです。

「…ぶたさらですか?」と聞き直したという事は、その店員の方にとって”初めての言い間違い方をしてる客”という事の証明であり(※名札バッジは研修中ではなかった!)、

という事は世の中の他の人は全員、予備知識なしで失敗せずに「豚皿」を【ぶたさら】と読めているのだなあという、私はそこで初めての”KI-ZU-KI”を得ました。




そして、豚皿と合わせて買ったお味噌汁をこぼさないようにヨチヨチ歩く帰り道で「もしかしたら私にとって世の中って、他の人よりも生きにくいものなのかな」というような事を少し思い、

「そんなどうでもいい事はほんとどうでもいいから温かいうちに早く食べようっと!」とすごく思った、今回はそんな「牛皿と豚皿」の話です。




※この原稿は、万が一、マガジンハウス編集部から雑誌『POPEYE』への連載依頼が来たら提出しようと思ってたけど、来なかったから書いてどこにも出してないやつを載せたものです。趣味です。全6回分あります。

※この原稿は2014年3月号〜11月号に掲載用に
自主的に書いたものに大幅に加筆修正したものです。

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