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不登校はなぜ批判を受けるか

不登校は選択肢の一つです。それに過ぎないのです。

私はアカウント名にある通り、元・不登校です。
中学2年の二学期から半年余り学校に行っていなかったのですが、自分のことは「積極的不登校」と説明していました。
後から調べると積極的不登校という言葉が存在することを知りましたが、文科大臣のホームページでも使われている公式な言葉だと知りました(笑)

不登校歴は半年ですが、その間に色々な大人から様々な言葉をかけられました。中には不登校に対して否定的な意見を持っておられる方も、肯定的な意見の方もいらっしゃいます。
個人の意見なのでどちらも尊重されるべきだとは思いますが、否定的な意見を言われた経験を通して何を思うか。そのお話をしたいと思います。


まず私が何度か言われたことがあるのは、
私が学校に行かない選択を取ることは贅沢
ということです。

確かに世界には行きたくても行けないような状況に置かれた子供もいるでしょう。終戦直後の子供達は進学を諦め働かざるを得なかったので、その年代に生まれた方々にそう思われてしまうのは仕方ないのかもしれません。頂いたチャンスを捨てたと思われてしまったのかもしれません。
私はこの意見には今でも賛成できずにいます。言い訳に過ぎませんが、当時学校で起きていたことに耐えるのも苦しく、毎日通うことを考えると泣いてしまう程辛いことでした。もし私が学校に無理して行き続けていたら、この命は無いなと思います。

言われてしまったことは仕方ないし、理解はしているつもりです。
みんなが当たり前にできていることが自分だけできない。自分だけ学校に行かないことが、甘えに見えてしまったのかなと。


次に何度か言われたのが、
今ここで逃げたら、一生何事も成し遂げられない/続かない人間になる
です。

本当にそうでしょうか?
この言葉に関しては、疑問を抱かずにはいられません。
今の私は何も続かない人間なのでしょうか?
結論から言うと、私が中学校の不登校以外に他人の反対を押し切ってまで辞めたことはありません。そして留学も三年間続けてきたし、高校は単位制ですが、過去二年間で単位は落としませんでした。
相手がどのような意味で私にそう言ったのかわからないので、本当の意味はいつまでもわからないままですが、これは中学に通うことは当たり前と言う固定概念があるからだと思います。
その概念と全く正反対の方向に進もうとしたら、否定的になってしまうのも理解はできます。

ただ、不登校を『逃げる』と表現されたのが納得できません。
学校が自分の命を脅かす危険な場所だとしても、不登校になる選択をした事で私は『逃げた』のでしょうか?
何が正解なのかは分からないですが、不登校は選択肢でありそれを選択することは逃げではなく自己防衛だと考えます。
嫌なことや苦しいことが毎日何回も行われる環境に身を置き、傷ついても誰も気づいてくれない場所で生きる希望を失くしてしまう位なら、そんな場所に行かなくていい。命に代わる一番大切なものなんてないです。
私の周囲には、そのような命も危険もある環境にいた経験がある方が少なかったかもしれませんが、勇気を持って行かない選択をすることは何一つ悪くありません。

勉強は少し遅れを取ってしまうかもしれませんが、やる気と根気があればいくらでも取り戻せるロスです。


最後は私は言われたことはないけど、現代社会で思われている方が多いと感じること
学校(勉強)サボってずるくない?みんな頑張っているのに。

これも私は懐疑的な目を向けたくなります。本当にそうでしょうか?
一当事者として強調しておきたいのは、たくさんの当事者の中で進んで不登校になった人は多くない事です。
私自身は中学の時、学校の成績も平均よりも良く、勉強に対して意欲がある生徒でした。高校進学も考えており、県内でもかなり難関校を受験しようかと考えたり、将来は医者として活躍したいという夢もありました。
しかし校内でのいじめが二年続いた時耐えられずに不登校になり、先生方からは教室でみんなと授業を受けない限り成績は全てゼロになる、と聞かされました。

自分の未来を全て奪われてしまった。
高校進学もできないし、どうしよう。

不登校になったきっかけがいじめなだけに、虐めの加害者は学校に通い続け、好きに描ける未来があるのに、被害者には夢も未来もないのだ、と改めて理不尽さを感じました。
何が言いたいかというと、不登校が必ずしも勉強をサボりたくて学校に行っていない訳ではないという事です。
精神の傷も考えると同じ教室には戻れないですし、もっと思いつめてしまう原因にもなっているのが現実です。
友人が進学に向かって一生懸命努力している姿や、自分が学べない中で友人が学校でしている事を見聞きするのは、あまりにも辛かったです。素直に喜べない自分が嫌にもなってしまいました。


不登校が批判を受けやすい、そんな的だから仕方ないのではなく、社会全体で不登校に対する意識や固定概念を変えていかなくてはならないのです。
理解がされないために、大人の『こうあるべき』という声に押しつぶされそうな子供はたくさんいます。私もその一人でした、
もっと理解されれば、もっと社会がこの問題に口先だけではなく、優しく寄り添ってくれたなら、時間はかかりそうですが、変えていけるだろうと信じています。
不登校の原因として頻繁にみる虐めを根絶することは難しくても、まずは周囲のアフターケアや社会に受け皿を設け、当事者を支えられるようになっていけたらと思います。


心無い言葉に傷つく生徒が減りますように。

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