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過集中≒努力の娯楽化?

私はスマホやパソコンをいじりすぎたときなど目は使いたくないけど寝たくはないってときに、Voicyっていう音声コンテンツをよく聞いています。

今日もそんな感じでぼんやりとVoicyを聞いていて、サウザーさんという方が配信している『サウザーラジオ~青雲の誓い~』という番組の過去放送で『過集中』についての話を聞きました。

過集中とは?

過集中というのは何かというと、何十時間でも集中して打ち込めるものみたいなもののことです。本人は努力しているつもりはなく、むしろ楽しいと感じることで、ある意味狂気、らしいです。

それを聞いて、ちょっと前にTwitterで流れてきた『娯楽の努力化』という言葉を思い出しました。

「努力の娯楽化」と「娯楽の仕事化」
ツイートにもリンクが載っていますが、木津さんという方が書いたこの記事が娯楽の努力化について分かりやすく書いてあります。

過集中と努力の娯楽化って同じ、または過集中のほんのちょっと先に努力の娯楽化があるのではないかな、と思いました。

私が過集中できるものってなんだ

そこで自分の話になるのですが、私は何をしているときが一番『過集中』になっているか、というのを考えてみました。

これを考えることで、自分にとって伸ばしやすい分野はどこなのか、というのを浮き彫りにできると思ったからです。

ランニング:脚壊さない限り結構走れる(今は長くて2時間くらいかね…)。走ってる間は何も考えていない、しかし楽しい。

旅のプラン練り:交通ルート、宿を考えるの楽しい。自分のでも他人のでも。予算と希望のエリア、使う交通手段(駅、空港名)、日程言ってくれたらおすすめめっちゃ探す。Yahoo乗り換えとGoogleマップはお友達。

写真:同じ場所で似たような写真100枚くらい撮る。これは写真撮る人ならする人多いのかな。けど構図とか色合い調整していたらわりとすぐ時間って経つし枚数も余裕で3桁は超えがち。調整して試行錯誤、楽しい。

文章の写経:自分が文章を書くのではなくて、人の素敵な文章をノートに手書きするのが楽しい(...ほとんど見返さないけど笑)

Twitter見る:TL眺めてたらいつの間にか半日過ぎてることもある(ツイ廃)

Pixiv辞典でリンク飛びまくる:原作読まなくてもある程度のストーリーは追える(ただのにわかオタク)

っとまぁこのくらいかなと。
最後の2つはネタとして、上の4つはわりと努力ではないけど楽しく長時間続けられます。

今はそうでもないけれど、留学中は中国語の勉強が過集中できてました。
授業終わってから1日10時間とか平気で机の前に座ってぶつぶつやってました。むしろ時間が足りなくてしんどいってくらいに。笑

逆に、英語はそうでもなくて、どうしても楽しむより努力しなきゃ...って思ってしまうから、結局続かなくて。

ブログやnoteで文章はちょこちょこ書いていますが、過集中というところまでは行きついていないみたいで。あまり向いていないのかもしれないな、けどそう言えるほど数をこなしていないよな、と最近ちょっと考えること多いです。まぁ淡々と書き続けるしかないのですが。

娯楽を仕事にしたい

少しだけ分析ができたから、これを何か実益につなげたいと思っています。
私の目指すところは家やカフェ、旅をしながらなど、ネットさえあれば生きていけるフリーランスです。

理由は、会社で働いたことはないけれど、会社っていう場所に偏見があり、会社に通勤するって考えただけでテンションが下がります。これってもしかして、内定ブルー?
中学高校と、ある程度規律があって軍隊のような場所は苦手でした。なぜって?だってそもそも朝起きるの苦手だから!!!なんで決まった時間に決められた場所に行かなきゃいけないんだ!みたいなこと思ってました。笑((社会不適合かよ))

だから、自分の好きなことで、好きな場所で生きていけるってとても憧れます。
でもそれには何かしらの価値が必要で。私にはその価値を作るということまでは落とし込めていない。

それこそブログで木津さんが言っている娯楽の仕事化に繋げるフェーズなのではないかと思ってます、、


何をすればいいかは分からないですが、とにかくこれからも好きなことにフォーカスしつつ試行錯誤して動いていきたいところです。


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