見出し画像

商店街は回復スポットだった

一昨日、冷凍庫でストックしていた肉を使い切ってしまった。
いつもなら肉は隣町の商店街にある肉屋さんで買っているんだけど、仕事帰りだし面倒という気持ちが勝ってしまって近くのスーパーに買いに行った。

けど肉のパックを手にとって、買うのを辞めた。というか買えなかった。

なぜならいつも100g47円+税で買っている鶏ムネ肉が、100g88円+税だったから...。

帰り道だったし、隣町まで行く時間や労力を考えたら十分妥当な価格だったのだけど、どうしても貧乏性が出てしまった。

それと同時にスーパーに陳列しているパックの肉を見て、なぜか物足りなさを感じた。

結局、今日の帰りに隣町の肉屋さんに行ってきた。

ちょっと残業して疲れてたにも関わらず、買って帰る時には回復していて。

無意識に商店街という場所で癒されていたんだなぁと気づいてしまった。

小さい頃から食材の買い物といえば商店街に行ってたくらいには生活の一部の認識ではあったけど、なんで好きかまでは考えて見たことがなかったから家までの帰り道でぼんやり考えてみた。

1. 新鮮で安い

商店街での買い物が好きな一番の理由がこれ。
スーパーに陳列してあるものも鮮度はある程度保たれているのだろうけど、色艶と大きさに対する価格は圧倒的に商店街の八百屋さんの勝ち。
肉屋さんの肉も(当たり前だけど)色が悪くなってないし、汁が出ていない。安い。勝ち。

2.価格の変動を見て、市場の傾向や旬の野菜を感じられる

定期的に買い物に行く事で
「最近はこの野菜が安いんだな...旬か...」とか、
「あら、ここ最近は葉物がずっと高い...高騰してるのか..」みたいに
価格の変動を感じることができる。

スーパーでも市場の傾向は見えるけど、商店街の八百屋の方が顕著。

3. 人のエネルギーがある

今日はちょっと時間も遅かったし人もまばらだったけど、スーパーとかじゃ感じられない人の活気というか、エネルギーがあった気がする。

肉を買うのもパックに詰められているのを手前から取ってレジに持っていくではなく、店員さんに欲しいものとグラムを伝えて、買う。

ほんの少しの会話だけど、これがあちこちで行われているからエネルギーの循環ができるのかなぁと思ったり。

八百屋のおじちゃんが旬の野菜を「安いよー!」と売っている声もエネルギーの塊だし、なぜか癒しだったりもする。

♦︎

昔、時間をお金で買うことについて書きだしたことがあったんだけど、商店街にわざわざ行って目的別に店舗を巡る行為は全然効率的じゃない。

だけど、効率には代え難い癒しがあるから定期的に商店街に行ってしまうんだろうなとふと考えてしまった。

いただいたサポートは旅行資金にさせていただいきます☺